第2章:料理が変える戦場
シーン1:専属命令と、私の反発
朝が来るたびに、この城の空気は変わる。
エルフェンの朝は靄がかかっていて、どこか夢の続きみたいだった。でもグランディアの朝は違う。夜明けと同時に空気が張り詰めて、城全体がぱきっと目を覚ます。衛兵の交代、馬の蹄の音、遠くの鍛錬場から聞こえる剣戟。すべてが規則正しく、すべてが目的を持って動いている。
そういう場所だ、と三日でわかった。
無駄を嫌う男が治める城は、無駄を許さない空気で満ちている。
「……ぐるる」
「わかってる。起きてる」
パフが枕の横で丸まったまま鼻を鳴らした。こいつの体内時計は完璧で、毎朝私が目を覚ます五分前に必ずぐるぐる言い始める。最初は鬱陶しかったけれど、今は頼りにしている自分がいる。
起き上がって、窓を開けた。
中庭のハーブが朝露に濡れている。ローズマリーの香りが上がってくる。
今日は何を作ろう、と考えながらローブを羽織った。厨房に行く前に今日の食材を確認したい。昨日、料理長のガルドさんから今週の納品リストを見せてもらった。鴨肉が入る。根セロリ、スターアニス、赤ワインビネガー。あと、珍しいところでは南方産の黒胡椒が少量。
脳内で組み合わせが動き始める。
これが私の好きな時間だ。包丁を持つ前の、設計図を描く時間。
扉をノックする音がした。
「リリア様、アルヴェルト様がお呼びです」
執事のハロルドだった。七十に近い老人で、白髪を綺麗になでつけ、常に背筋が伸びている。三日間観察したところ、この人は感情を顔に出さないが、眉の左側だけが状況によって微妙に動く。
今、眉の左側が下がっている。
「……何かあったんですか」
「詳しくは旦那様から」
不吉な一言を残して、彼は去った。
アルヴェルトの執務室は、城の東棟にある。
扉を開けると、彼はすでに机の前に座っていた。書類の山の中で、一枚一枚を目で追いながら羽ペンを動かしている。私が入っても顔を上げない。
「座れ」
父と同じ言い方だ、と思った。でも父の「座れ」は無関心で、彼の「座れ」は違う。情報処理中の人間が作業を止めずに出す指示だ。同じ言葉でも、質が違う。
私は椅子に座った。パフが袖から顔を出して、室内を観察している。
一分後、アルヴェルトが書類を置いた。
「お前を、専属として囲う」
「……専属」
「料理の。毎朝、昼、夜の三食を私に作れ。加えて、騎士団への定期的な提供も担当する」
私は黙って彼を見た。
眼鏡をかけていない目。灰青の瞳。感情の乗っていない顔。でも三日間、この顔を観察してきた私には分かる。口の左端が、ほんの一ミリ、下がっている。
「……昨日より体の調子はどうですか」
「関係ない」
「関係あります。私が聞きたいのは、この依頼が純粋に合理的判断から来ているのか、それとも別の理由があるのか、ということです」
「合理的判断だ」
「本当に?」
「お前の料理を食べた使用人の作業効率が三日間、平均で一・七倍になっている。データが出た。合理的に判断した結果だ」
一・七倍。
彼が数字を持ち出すのは想定内だった。でも「三日間追跡していた」という事実が、私の心の中で小さな警報を鳴らした。
注視されている。
「条件があります」
「昨日の条件は承諾した」
「追加です」
「聞こう」
「私は料理人としてではなく、あなたの婚約者として、この城にいます。料理は私が自分の意思でする。命令されてするものじゃない」
沈黙。
「……意味の違いを説明しろ」
「結果は同じかもしれません。でも意味は全然違います。私が『作りたいから作る』と、私が『作れと言われたから作る』は、根本的に別物です。料理はそういうものです」
アルヴェルトは私をじっと見た。
計算している。
「……非合理だ」
「そうかもしれません」
「結果が同じなら、プロセスの意味に価値はない」
「あなたにとってはそうかもしれません。私にとっては違います」
また沈黙。今度は少し長い。
「……俺に、お前を強制する権限はあるか」
「婚約関係上はあるかもしれません。でも、強制した結果と、自発的な結果が本当に同じだと思いますか」
眉が動いた。
ほんの少し、でも確実に。
「……つまり、強制すれば質が下がると言いたいのか」
「そういう意味ではありません。ただ、私が本当に作りたいと思って作ったものと、義務で作ったものが同じかどうか、三日間の観察データにはないはずです」
アルヴェルトは羽ペンを置いた。
「……承諾した」
「何を承諾したんですか」
「お前の意思を尊重する。ただし、作ってくれると俺は信じている」
「……根拠は?」
「お前は料理が好きだ。好きなことをする機会を、好きな人間が断るはずがない」
私は少し黙った。
「……ぐる」
パフが何か言った。同意のつもりか。
「……分かりました。作ります。自分の意思で」
「ならいい」
「でも一つだけ言わせてください」
「何だ」
「私を道具だと思わないでください」
アルヴェルトの目が、わずかに揺れた。
揺れた、と確かに思った。気のせいじゃない。一瞬だったけれど、あの氷みたいな目が、確かに何かを映した。
「……肝に銘じる」
感情のない声だった。
でもなぜか、この言葉だけは本当のことを言っている気がした。
シーン2:ミオと、本格的な厨房
正式に専属が決まった翌朝。
私は夜明け前に厨房に入った。
誰もいない。かまどの火だけが、橙色に燃えている。その前に立つと、じわっと体が温まる感覚があって、それだけで少し気持ちが解れた。
昨日届いた鴨肉を冷却庫から取り出す。重さを手のひらで確認する。締まりが良い。質の良い肉は、触っただけで分かる。
「リリア様!」
声と同時に扉が開いた。
ミオだった。息を切らしている。髪がまだ寝癖のついたままで、エプロンの紐が片方だけ結ばれていない。
「もう始めてるんですか! 言ってくれたら早く来たのに!」
「自分で確認したかったから。来てくれてよかったです」
「すごいです、鴨肉。今日は何作るんですか」
「鴨のコンフィ、赤ワインビネガーのソース。それと野菜のロースト。夕食の目玉にします」
「コンフィって、低温で長時間煮るやつですよね。時間かかりませんか」
「だから朝から始めます。コンフィは時間が味を作るんです」
ミオの目が輝いた。
三日間、一緒に厨房に立って分かったことがある。ミオは飲み込みが早い。それだけじゃなくて、教えた通りにやるだけじゃなく、「なぜそうするのか」を考える子だ。下ごしらえの切り方一つにしても、「何でこの厚さなんですか」と必ず聞いてくる。
そういう人間が料理をすると、伸びる。確実に。
「スパイスから始めます。スターアニス、黒胡椒、塩。挽き具合は?」
「粗挽きと細挽き、両方用意してください。用途が違うので」
「はい!」
ミオがスパイスミルを取り出した。
私は鴨肉の処理を始める。余分な脂を除きながら、皮目に格子の切れ目を入れる。包丁が皮を割る感触。細かい力加減が必要な作業だ。
「ねえ、ミオ」
「はい?」
「私が料理を作ると、体が熱くなる感覚があるって、あの最初の日に言ってたよね」
「……はい。なんか、体の奥から火がついたみたいな」
「他にどんな感じだった?」
ミオが少し考えた。スパイスミルを回しながら、天井を見上げる。
「走りたかったです。体が動きたくて、じっとしてられなくて。あと……頭が、すごく冴えた感じがしました。いつもよりクリアに見えるというか」
「どのくらい続いた?」
「三時間くらい……かな。その後は普通に戻りました。ちょっと眠かったかも」
「眠かった」
「反動ですかね。燃えた後みたいな」
私は手を止めた。
反動。
それは、私が考えていた仮説と一致する。何かを一時的に引き出している。で、引き出した分だけ、後で落ちる。それが「美味しいスープの栄養効果」の範囲なのか、それとも別の何かなのか。
「リリア様?」
「……何でもないです。続けましょう」
「ぐる」
棚の上からパフが見ている。
後で考える。今は作ることに集中する。
低温で鴨を煮込んでいる間、私は昼食の準備を並行して始めた。
根セロリのポタージュ。生クリームを使わずに、旨味だけで仕上げる。材料は少ないほど、腕が出る。
「これ、材料これだけですか?」
ミオが覗き込んだ。
「セロリと玉ねぎとチキンブロスだけです。あとバターを少し」
「え、生クリームなしでポタージュって……」
「素材の甘みを最大限に出すんです。弱火で長く炒めると、玉ねぎが透明になって、砂糖を入れてないのに甘くなる」
「それが分かるんですか? 見ただけで?」
「色と匂いで分かります」
「すごい……」
「誰でもできます。練習すれば」
「それ、リリア様が言うから信じるしかないんですけど」
私は笑った。
ミオが、ぱっと顔を明るくした。
「……リリア様って、笑うんですね」
「何ですかそれ」
「最初、あんまり笑わないと思ってて。ちょっと怖いかなって」
「包丁持ってたら怖いでしょう」
「そうじゃなくて!」
ミオが笑いながら抗議した。
この子といると、厨房が明るくなる。こういう人間の存在が、空間の温度を変えるんだ、と思った。料理と同じだ。材料一つで、皿の色が変わるように。
「ミオ、一つ教えます」
「なんですか!」
「料理で一番大事なことは、心の状態です」
「心の状態……」
「イライラして作ったものと、楽しんで作ったものは、同じ材料でも仕上がりが違う。科学的に証明するのは難しいかもしれないけれど、私には確かにそれが分かる」
「……それって、リリア様の特別な能力じゃないですか?」
「そうかもしれない。でも感じることはできるはずです。次に料理する時、自分の気持ちに気をつけてみて」
ミオは真剣な顔で頷いた。
メモを取る仕草をした後、「あ、紙持ってない」と気づいて、エプロンのポケットを探した。小さなメモ帳が出てきた。こういうところが、この子の本質だ、と思った。
昼食の時間。
ポタージュと、簡単なパンと、ハーブのサラダ。それだけのメニューだったけれど、食堂に持っていくと、使用人たちが目を見張った。
「昨日より……なんか、香りが違いません?」
「濃い感じ」
「食べてみていいですか」
「どうぞ」
一人が口をつけた。
沈黙。
それから、顔が変わった。
じわっと、体の内側から何かが灯るような顔。熱が出た時の顔じゃない。エンジンがかかった時の顔だ。
「……なんだこれ」
「スープです」
「スープ以上のなんかがある」
「根セロリと玉ねぎです」
「いや、それだけじゃないだろう……」
私は答えなかった。
その代わりに、次の一皿を持っていった。
午後、アルヴェルトのもとに昼食を届けた。
執務室に入ると、彼はまた書類の山の中にいた。
「ポタージュです」
「テーブルに置いておけ」
「冷めます」
「後で食べる」
「……今食べてください」
一拍の間。
アルヴェルトが顔を上げた。
「命令か」
「お願いです。せっかく作ったので」
彼は羽ペンを置いた。
テーブルに移動して、椅子に座った。スープの前に正対して、ゆっくりスプーンを取る。
一口。
二口。
三口目で、手が止まった。
「……何を入れた」
「根セロリと玉ねぎです」
「昨日より違う」
「毎日同じものは作りません。材料の状態も、私の状態も、毎日違うので」
アルヴェルトは私を見た。
「お前の状態が、料理に出るのか」
「出ます。たぶん」
「……非効率だ」
「でしょうね」
「均質な出力の方が、管理しやすい」
「私は機械じゃないので」
また、あの一瞬の揺れ。目の奥の、何か。
「……そうだな」
「はい」
「食べていい、ということか」
「変な確認ですが、そうです」
彼はスープを飲み続けた。
その間、私はテーブルの端に立って観察した。飲み終えた時の彼の呼吸が、少し深くなっている。肩の緊張が、わずかに解れた。
「……美味かった」
感情が乗っていない声だった。
でも「美味かった」という言葉自体が、この人から出てくる言葉として、何かを超えている気がした。
「ありがとうございます」
「明日も頼む」
「自分の意思で作ります」
「分かっている」
私は扉に向かった。
「リリア」
振り返った。
名前を呼ばれたのは、初めてだった。
「……騎士団の朝練は明後日だ。その朝に、全員分を作れるか」
「何人ですか」
「百二十名」
「……可能です」
「無理をするな」
「無理とは思っていません」
「そうか」
「ただ、一つ聞いていいですか」
「何だ」
「その百二十名に食べさせる目的は何ですか」
沈黙。
「……性能確認だ」
正直な答えだった。
「分かりました。それを知った上で作ります」
「なぜ知りたかった」
「目的を知って作るものと、知らないで作るものは、違うからです。さっきと同じ理由です」
アルヴェルトは少しだけ、目を細めた。
怒っているんじゃない。考えている顔だ。
「……お前は、面白いな」
「そうですか」
「珍しい意味で」
「ありがとうございます、たぶん」
扉を閉めた。
廊下に出て、パフが袖から顔を出した。
「ぐるる」
「そうね」
百二十人分。明後日。
問題は量じゃない。時間だ。
夜から仕込みを始めれば、間に合う。でも何を作るか。効果を最大化しながら、かつ「朝に食べるもの」として適切なもの。
脳内で材料が並び始めた。
今夜、設計図を描こう。
シーン3:百二十名への料理
明後日の夜明け前、二時。
私は厨房にいた。
ミオも来ている。寝不足の目で、でも絶対に休まないという顔で、エプロンの紐を結んでいる。
「本当に百二十人分、二人でできますか」
「できます。ただし、今夜中に仕込みを終わらせることが条件です」
「じゃあやります」
答えは一秒で返ってきた。
私はミオを見た。
この子、強いな、と思った。強い、というのは筋力じゃない。折れない、という意味で。
「まずパン生地を仕込みます。一次発酵に三時間かかるので、これが最初。並行してスープのベースを作ります。大鍋、三つ使います」
「了解です!」
「材料の計量は私がやります。ミオは計量が終わったものから処理を始めてください。二人でリズムを作ります」
「リズム、ですね」
「料理は音楽に似ています。それぞれのパートが別々に動きながら、最後に一つになる」
「……かっこいい」
「さあ、始めましょう」
包丁を取った。
指先に、電流。
今夜は強い。昨日より、ずっと強い。手のひらに光が集まるような感覚。脳裏に、完成した料理の絵が見える。
百二十人分のスープ。パン。それから――
「リリア様」
「何?」
「指先、光ってます」
私は一瞬、動きを止めた。
「……見間違いです」
「さっきより、はっきり見えます。なんか、包丁を握った瞬間から」
私は包丁を持ち直した。光が見えるとしたら、それは私には見えない。ミオの目に映っているだけだ。
「気にしないで。作ることに集中しましょう」
「……はい」
でもミオの視線が、まだ私の手に向いている。
後で考える。今は作る。
夜明けと同時に、厨房から香りが漏れ始めた。
玉ねぎを炒める甘い香り。パンが焼ける香ばしさ。スパイスの複雑な層。それらが混ざり合って、城の廊下を流れていく。
「……なんか、いい匂いがする」
騎士の一人が廊下で立ち止まった声が、換気口越しに聞こえた。
「厨房か? こんな朝から?」
「新しい婚約者様が料理してるって話、本当だったんだな」
「婚約者? 侯爵令嬢が料理?」
「らしいぞ。それで俺たち、今朝それを食べるらしい」
「……食べていいのか、そんないいもの」
私はスープを混ぜながら、少し笑った。
食べていいんです。そのために作っているんだから。
朝練が始まる三十分前、食堂に料理を並べた。
スープが三つの大鍋から湯気を上げている。厚めに切ったパン。野菜のピクルス。シンプルな構成だけれど、一つ一つを丁寧に仕上げた。
騎士たちが入ってきた。
最初は静かだった。食堂に入ってきた彼らは、料理の香りに一瞬立ち止まった。次に、互いを見た。それから、一人が列に並んだ。
後は早かった。
百二十名が、順番にスープとパンを受け取って、席に着いた。
最初の一口が入った瞬間の、あの静けさ。
私はそれを知っている。音が止まる、あの瞬間。
次の瞬間、食堂全体が微かに熱を帯びた。気温が上がったんじゃない。そこにいる人間の、体の内側から熱が出ている。
誰かがスープのお代わりを求めた。
誰かがパンをもう一枚取った。
誰かが隣に「これ……やばくないか」と小声で言った。
私は厨房の入口から、それを見ていた。
「……すごいです」
隣のミオが、声を震わせながら言った。
「百二十人が、同じ顔してます」
「どんな顔?」
「……火がついた顔、です」
朝練が始まった。
私は見学を許されていた。というより、アルヴェルトが「来い」と言ったので来た。
鍛錬場は城の北側にある。石畳に、幾何学的な区画が描かれている。百二十名が整列して、訓練を開始した。
最初の十分は普通だった。
でも十五分を過ぎた辺りから、変化が出始めた。
動きが速い。明らかに速い。剣の振りが鋭い。足さばきが、前日とは違う。
アルヴェルトが私の隣に立っていた。
「……見ているか」
「はい」
「この変化は、お前の料理が原因だと断言できるか」
「朝食に何か特別なものを加えた、というなら否定できません。ただ、その『何か』が何なのか、私にもまだ正確には分かりません」
「謙虚なのか、慎重なのか」
「両方です」
アルヴェルトは視線を騎士団に向けたまま、言った。
「一人、動きが違う者がいる」
「……どの人ですか」
「左から三番目、後列。クレイグ・ロス。昨日、模擬戦で三連敗した男だ」
視線を向けた。
体格は大きくない。むしろ周囲より一回り小さい。でも今、その騎士の動きは周囲と明らかに違った。無駄がない。判断が速い。
「……いい動きをしていますね」
「昨日のクレイグじゃない」
「料理の効果なのか、それとも彼本来の能力なのか」
「それを確認したい」
私は鍛錬場を見続けた。
クレイグが、大柄な相手と模擬戦に入った。体格差がある。普通なら不利だ。でも彼は間合いを測って、相手の重心が崩れた瞬間に踏み込んだ。
大柄な騎士が、地に伏した。
周囲がざわめいた。
「……本来の能力が引き出された、という方が正確だと思います」
私は言った。
「抑えられていたものが、外れた感じ。訓練で積み上げてきたものは彼の中にある。ただ、何かが邪魔をしていた」
「何が邪魔をしていた」
「分かりません。緊張かもしれないし、疲弊かもしれないし、もっと別の何かかもしれない」
「お前の料理が、それを取り除いた」
「……そう見えます」
アルヴェルトが私を見た。
「お前は、これをどう思う」
「どう、とは」
「兵器として使われる可能性が、今日はっきりした。それについて」
私は鍛錬場を見ながら、答えを選んだ。
「戦いのためだけに作りたくはないです」
「だが、現実に役立っている」
「役立っていることと、それを目的にすることは別です」
「……俺はお前を兵器として扱おうとしている。昨日の言葉に反する」
「昨日の言葉を覚えていてくれているんですね」
「忘れない。それが問題だと言っている」
私は彼を見た。
氷みたいな目が、まっすぐこちらを見ていた。
「問題なのは、あなたがそれを言えることです」
「意味が分からない」
「問題だと思っている人間は、一番問題を起こしにくい。怖いのは、問題だと思っていない人間が私を使おうとすることです」
アルヴェルトは、何かを考えていた。
長い沈黙。
「……俺は、どちらだと思う」
「今のところは、前者です」
「今のところ」
「人間は変わりますから」
「……そうだな」
彼は視線を鍛錬場に戻した。
クレイグがまた誰かを倒した。
その横顔を見ながら、私は密かに思った。
あの騎士は、三時間後どうなるだろう。ミオが言っていた「反動」が、彼にも来るだろうか。燃えた後の、あの眠さが。
もし来るとしたら。
それは、私の料理が、何かを借りていることの証明だ。
貸した先は、食べた人間の体だ。
そしてもし、借りすぎたら――
「ぐるる」
袖の中でパフが鳴いた。
私は手のひらで、その小さな重さを感じた。
考えすぎかもしれない。
でも、少しだけ。
ほんの少しだけ、手が冷えた気がした。




