第一話:Too Weak to Win, Too Sharp to Lose(6)
「のわああああああッ!」
校舎内の廊下を猛ダッシュする黒井。
その後ろを、帯電した巨獣ヴオルグラムが追いかけていた。
ヴオルグラムが走る勢いで窓ガラスが砕け、せっかく掃除した校舎内も荒れ果てていく。
追いつけば終了、そんなことは両者とも分かり切っていた。
しかし、ヴオルグラムはいまだ黒井を捉えることはできていない。
それはヴオルグラムにとって、学校の廊下は狭く、全力で走り抜けられるような空間ではなかったこともある。
だがそれに加え、黒井が各教室や廊下に仕込んだ銅線や避雷工作が機能していたことも大きな理由の一つだった。
黒井の工夫は、今なお戦場に大きな影響をもたらしていた。
「でぇいやッ!」
ガァンッ!と硬いものがはじける音がする。
中村から拝借した盾型兵装が、ヴオルグラムによって蹴り飛ばされた瓦礫をはじく。
追走も放電も決め手に欠けるヴオルグラムの一手だったが、それも黒井は読んでいた。
「はっ、はっ! ははッ! ヴオルグラム! スプリンクラーで、自分の体も洗い流したんだ! 黒刃はもう使えない! だろ! はぁ、はぁッ──」
状況はすべて黒井の手中にあった。
しかし、それは確実に追い詰められているということでもあった。
調査、掃除、工作、戦闘……体力の限界は近い。
瓦礫をはじく盾型兵装の充電も切れかけている。
2階に逃げれば金属がある以上、逃走経路は限られている。
そして校舎の外に出れば、ヴオルグラムは全力で四肢を動かし、確実に黒井を捉える。
「はぁ、ゴホッ! ぜぇー、ひぅ! ははっ! まだ、生きてるぞ! 僕はぁッ!」
アドレナリンの生み出す興奮に身をゆだね、黒井は走り続けた。
そんな黒井の視界に映る下駄箱、扉。
それは学校の出口であり、これ以上の時間稼ぎが不可能であることを示していた。
その先には広大な森と、木造の巨大な体育館しかない。
よかった。
──自分が肉体的に恵まれていない方だと理解していて。
よかった。
──それでもあきらめずに毎日走り込んでいて。
自分が弱かったから、昨日も一昨日もその前も、3年も前からずっと積み上げつづけてこれた。
雑草の匂い。
土の匂い。
そしてひときわ強く香る、喉からこみあげてくる鉄臭さ。
"まだ走れる"
黒井は躊躇なく外へと飛び出していた。
その視線の先にあるのは、木造の体育館。
玄関から目標までの距離が半分ほどになったところで、背後から聞こえる破砕音。
校舎内でつけた差が何メートルかなど、もはや黒井に計算する余力は残っていない。
背後でヴオルグラムが校舎の壁を裂いて出てくる。
四足で地面を掴み、一直線に黒井を追ってくるその姿は、怪物というより黒い戦車だった。
盾型兵装は既に魔電力の光を発していない。
背後から飛来した瓦礫が、黒井の肩をかすめ、バランスを崩す。
痛みなど感じる余裕もない、黒井は前につんのめりながらもなお走る。
木製の引き戸へ肩から体当たりする。
バンッ、と派手な音を立てて戸が開いた。
薄暗い体育館の中へ、黒井は転がり込むように飛び込んだ。
きしむ床板。高い天井。破れた幕。昔の体育館独特の、乾いた木の匂い。
奥へ。一歩でも奥へ。
「──ッ!?」
そう思った瞬間、黒井の視界はぐるりとまわり、その体が宙を舞っていた。
ヴオルグラムの伸ばした腕、その爪が背中に喰い込み、黒井を吹き飛ばしていた。
ドカッ!という鈍い音と共に、体は体育館奥のステージに叩きつけられる。
黒井のひびが入った伊達眼鏡も、どこかへと転がっていった。
「ぐぅ……ぜぇー! はーッ! ぜぇッ……はぁッ! はぁ……」
何か所もの骨折、出血、疲労。
鉛のように重くのしかかる体を腕で引きずりながら、ステージの最奥にある壁へと身を寄せる。
それ以上の先は、存在しない。
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「……なんて言ったっけな、あの映画」
ヴオルグラムが低く構える。
黄褐色の眼だけが、暗い体育館の中でもはっきり見えた。
「歩兵の主人公で、最後に戦車に追い詰められてさ」
黒井は誰に聞かせるでもなく、小さく消えそうな声で言葉を吐く。
「絶対に勝てないって分かってるのに、それでも最後まで抵抗してさ。手にした拳銃の引き金を、何度も何度も引き続ける」
自嘲気味に笑う。
「それを思い出した」
そう言いながら、右手をヴオルグラムに向かって突き出す。
ヴオルグラムは動かない。
この期に及んでまだ黒井を警戒するその様子が、黒井には少しだけおかしかった。
「一つ違うのは、あれは映画だってこと。最後には仲間の援護が間に合うってご都合主義さ。現実にはそんなことは起きない」
静まり返った体育館に、黒井の声だけが響く。
「……だからまぁ、僕がたどり着ける結末にはどうしたって限界がある」
ウォールの縁が、ぴし、と細くひび割れる。
黒井は自身が吹き飛ばされる中でも、それを手放してはいなかった。
「お前は本当に強かった」
本心からの言葉だった。
「電気を放出し、電流すらも精密にコントロールする。だから電磁場を作り出し砂鉄を武器にするなんて芸当ができた。僕たちの電場を感知し奇襲にも気が付けた。微弱な電流を流して筋肉を麻痺させ、神谷さんの攻撃を弱めることができた」
黒井は自傷気味に笑う。
「挙句の果てにはスプリンクラーの一撃。お前は常に僕らの一歩先に居たよ」
ヴオルグラムは黒井を真っすぐ見る。
黒井は少しだけ視線を落とし、苦く笑う。
「ところでさ、この体育館は完全木造建築なんだ。すごい設計者が作ったんだろうね。こんな時代まで残ってるなんて、本当に幸運なことだと思う」
黄褐色の眼が、細くなる。
黒井は、ヴオルグラムに向けた右手に握る"小さな装置"を指に挟み、見せつける。
「手に持ってるこれ、分かんないよな」
黒井は天井を見上げる。
ゆっくり、深く息を吸った。
ヴオルグラムは低くなり、口の端を大きく引いて噛みしめた牙を見せる。
「お前は恐ろしく頭がいい。戦略戦術の発想は僕たちの想定を大きく越えていた。でもそれは、物知りってこととイコールじゃない」
ヴオルグラムの前肢が、ほんの少し沈む。
飛び込むか。
下がるか。
ヴオルグラムはより安全に、目の前の敵を殺す方法を思案していた。
「戦闘レポートの中で爆弾型兵装が使われた記録はなかった。お前の偽装戦略と同じさ、見たことないものを対策するのは難しい。当然のことだよね」
黒井の声は静かだった。
「本当に幸運だったんだ。その能力がどれだけ強かろうが、操作できない素材の建物だ」
ヴオルグラムが何かを察知し、ゆっくりと動きだす。
一歩、一歩、近づく。
最大限の警戒を伴い、常に動く方向を変えられるように備える。
「なあ、僕はお前の攻撃を受けたよな。盾型兵装の電池が切れたから。守る盾がなくなったから。逃げ疲れたから」
口元だけで笑う。
「自然だっただろ? 違和感を感じる要素はなかったはずだ」
借り物の盾型兵装をゆっくり持ち上げる。
「少しだけ電池を残しておいたんだ。この瞬間の、最後の一手のために」
ひび割れた盾を構える。
ヴオルグラムと自身の間にではない。
体を小さくかがめ、頭を守るように頭上に被る。
「鬼ごっこのルールは知ってるかい? さっきのは良いタッチだった。はは、おかげで全身ボロボロだけど……ダメだよ、タッチしたらすぐに逃げなくちゃね」
黒井は起爆装置を握り直した。
親指がスイッチを押し込む。
「"攻守交替"だ。最後の最後で一手、間違えたな。ヴオルグラム」
乾いた破裂音が、体育館の各所で響いた。
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「グルルルオオオオオオオオッ!!!!!!」
月と星空に照らされ、残骸となった体育館の中から一頭の獣が這い出て吠えた。
──ヴオルグラム。
その体のところ何処には木材の槍が突き刺さり、赤い血を流している。
"完全にやられた"
なぜ時間をかけた、なぜあの状況で警戒した。
一目散に駆け寄り、この爪で切り裂いてやれば、足で踏みつぶしてやればよかった。
ヴオルグラムは自身への怒りに、吠えずにはいられなかった。
全力で怒りを吐き出し、そして平静を取り戻す。
確実に、奴を殺さねばならない。
その死体を目にしなければ、頭を砕いてやらねばならない。
そうして瓦礫に足を延ばそうとしたときだった。
「ヴぅオルグラムゥゥゥゥッッ!!!!!」
甲高い怒声と共に、少女がヴオルグラムにとびかかり、剣を振り落ろす。
ヴオルグラムはそれを飛びのいて躱し、にらみつける。
茶木だった。
全身は埃にまみれ、頭にまかれた包帯からは血が染み出している。
左肩は外れだらりとぶら下がり、口と右手で一刀ずつ剣型兵装を構えていた。
「来い、よ……! 今度は、アタシが相手だッ!! かかってこいッ!」
あの女だ。
初撃、瓦礫の散弾による奇襲に対応し、あの男を生かした女。
お前のせいでこんなことになったのだ。
ヴオルグラムは、そう言わんばかりの怒りに満ちた目を見せる。
そのまま食い殺してやろう。
もはや黒刃はなくとも、放電もあれば牙も爪もある。
ヴオルグラムにとって茶木は、いつでも殺せる存在だった。
しかし、その判断には重い楔が撃ち込まれていた。
もしもあの男が生きていたら?
そうでなくとも、この状況を想定していたとしたら?
目の前の弱い存在、いつでも殺せる存在、そう思った相手に今日どれだけのダメージを負わされた?
なぜこの女はたった一人で、絶対に勝てない己にその身を晒した?
もし先ほど戦ったレベルの練度をもつ増援がいたら、今の身体で勝てるか?
"あの男なら、何かを仕込んでいる可能性は十分ある"
人間の、自らの生存よりも他者を優先する行為。
それはヴオルグラムにとって"意図の読めない行動"でしかない。
今まで一方的に狩る側だったヴオルグラムにとって、今日の戦闘は初めての経験だった。
それが、今までにない思考と判断を生み出す。
敗北、想定外への──恐怖。
どうせあの男は死んでいる。
能力を晒した増援達も、放電で殺したはず。
この女には能力を見せていない。
あくまで残っているのは"確認作業"。
リスクを負ってまですることではない。
「──ッ!? ま、まて! ヴオルグラムぅッ!」
それが、ヴオルグラムが茶木を放置し、この場を去った理由だった。
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「――セ──パ──」
遠くで、誰かが叫んでいる。
いや、近い。
耳鳴りの向こうで、何度も何度も名前を呼ぶ声がする。
「センパイ! 黒井センパイ!!」
茶木の声だ。
黒井は瞼を開けようとして、うまくいかない。
顔の上に何か重いものが乗っている。
息を吸うだけで腹の奥が焼けるように痛む。
その痛みの正体を理解した瞬間、吐き気が込み上げた。
腹に、何か刺さっている。
木だ。
折れた梁か、飛んだ支柱か。
とにかく深い。
「……ちゃ、き」
掠れた声が出た。
「生きてる!? 意識ある! じゃあつぎは、ええと──」
その声は泣いていた。
「ごめ……失敗……ヴオルグラムが……ここを拠点に……理由……」
「喋んなっスよ、バカ! 今それどころじゃないでしょ!」
「……滲出が……閉塞を……」
「だから喋んなってッ!!」
木片が擦れる音。
瓦礫をどける音。
小さな手で必死に掘り返しているのが黒井には分かった。
「どいて、どいて、どいてよ……!」
木片を引き剥がす。
板を持ち上げる。
釘で手袋が裂ける。血が滲む。外れた肩には激痛が走る。
構わない。泣いている暇なんかない。
やがて、黒井の肩が見えた。腕が見えた。顔が見えた。
そして。
「……え」
茶木の声が止まる。
黒井の腹に、折れた木材が深く突き刺さっていた。
血は派手には出ていない。だからこそ分かる。抜いたら終わる。そういう傷だ。
「……っ」
茶木の喉が震える。
「ごめ、なざぁい……あ、アダシが、アダシがゴんなのに誘っだがら!」
その時、黒井の瞼がわずかに動いた。
声はもう出なかった。
だから右手の親指を立てて見せ、そこで黒井の視界は真っ黒になった。
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「ちっぎしょう! あ"ぁ"ッ!?」
茶木は震える手で通信端末を取り出す。
救援要請。救急。
端末に表示された救援の到着までの時間、およそ"2時間"。
それは、絶望的な数字だった。
すぐに端末を投げ捨て、何かないかと周りに目を凝らす。
鼻をかみ、定期的に涙でゆがむ視界を腕でこすってリセットする。
「なにか、なにか、なにかないのッ!?」
そう言いながら瓦礫をかき分け、さらに体育館があった周囲をもあさる茶木。
そして、その手が止まる。
体育館裏の、塀と樹々の間に隠れるように、バチバチと音を立てる次元の裂け目。
サイズは巨大。
おそらくヴオルグラムが出て来たであろう滲出の穴がそこにあった。
「こんなところに……えッ!?」
とっさに剣型兵装構える茶木。
その穴から何かが今、這い出ようとしていた。




