第一話:Too Weak to Win, Too Sharp to Lose(7)
白い天井だった。
しばらくぼんやりと見上げてから、黒井輝夫はゆっくり瞬きをした。
「……“知らない天井”」
そこで一拍置く。
「いや、さすがに使い古されすぎか」
自分で言って、少しだけ笑う。
その瞬間、腹の奥がずきりと痛んだ。
「っ、つ……」
そこでようやく、黒井は自分が生きていることを理解した。
鼻を刺す消毒液の匂い。
脇で規則正しく鳴る電子音。
薄く開いたカーテンの向こうから差し込む、午後の白い光。
病院だ。
包帯の巻かれた腹へ視線を落としかけたところで、病室の扉が開いた。
「あら。起きたのね」
入ってきたのは、白衣姿の女医だった。
三十代後半くらいだろうか。化粧っ気は薄く、いかにも仕事しかしていなさそうな顔をしているくせに、目だけは妙に面白がるように細い。
「おはようございます、黒井さん。死にかけの気分はどう?」
「いい気分ですよ。痛みがこんなに嬉しいことはない」
「あらそう。軽口が叩けるなら、脳は平気そうね」
女医はベッド脇まで来ると、手元のタブレットを確認しながら続けた。
「じゃ、説明するわ。まずあなた、搬送時点で脾臓が潰れてた」
「死にません?」
「まぁ、普通は」
女医はあっさり言ってのける。
「ただし、今回はちょっと事情が特殊だった」
「事情」
「ええ。あなたの傷口に、寄生型の異次元怪獣が取り付いたの」
黒井は数秒、固まった。
「……は?」
「寄生型、幼体ね。宿主の生命維持と引き換えに、自分も生き延びるタイプ」
「それ、助かってます?」
「少なくとも今こうして喋れてるんだから、医学的には助かった扱いでいいんじゃない?」
黒井の視線が、ゆっくり自分の腹へ落ちる。
女医もそれを追うように視線を下げた。
「今はまだ馴染み切ってないから機能も限定的だけど、今後どうなるかは不明」
「……僕の腹に、異次元怪獣がいるんですか」
「いるわよ。もしかしたら脳みそ食べちゃうかもね」
「うわぁ……」
ぞわっと鳥肌が立った。
「とりあえず私は"スプリーン"ちゃんって呼んでるわ」
「安直ですね」
「覚えやすいのが大事だもの。何百人の患者を診てる中でも、貴方のはおなか見ればすぐ思い出せちゃう」
黒井は自らの左わき腹のあたりを触る。
すると、もぞもぞと何かがうごめいているのが掌に伝わってくる。
「今は喋ったりはできないけど、このタイプならそのうち言語中枢とか記憶領域とか、そのへんから雑に教養を吸い上げて、普通に会話し始めると思うわよ」
「嫌な予告しないでもらっていいですか」
女医は少しだけ肩をすくめた。
「その子のおかげで、あなたの治癒力は相当上がってる。だから退院も早い。むしろ一緒に運ばれた部下や仲間の方が長引くでしょうね」
「……何人生き残りましたか」
「全員生きてるし身体機能の欠損も無し。優秀なチームね」
その一言に、黒井の肩からわずかに力が抜けた。
女医はそこで声の調子を少し変える。
「勘違いしないことね。あなたは死亡者として数えられるべき状態だったんだから」
「……はい」
「あなたは不死身になったわけじゃない。ちょっとしぶとくなっただけ。寝て起きたら人よりケガの治りが早い、せいぜいその程度」
「夢がないなあ。なんかもっと主人公的超パワーみたいな」
「あるわけないでしょ。今後も討伐やるなら、そこは過信しないこと」
「……やらないかもしれません」
「あら、そうなの」
女医はタブレットを閉じた。
「あと、共存可能個体の仮申請、こっちで出しておくから。そのうち何か連絡がいくかもね」
「脳みそたべちゃう寄生異次元怪獣でも通るんですか?」
「あなたがそうなったら通らないわよ。今後はね」
「ははっ……はぁ~」
女医はくるりと踵を返す。
「じゃ、すぐ退院できますから、しばらくの休暇とおもってお過ごしください」
扉が閉まる。
病室に一人残された黒井は、しばらく天井を見ていた。
困惑と、うすら寒さと、それでも少しだけ救われたような気持ちが、ないまぜになって胸の中へ沈んでいく。
黒井はしばらく無言で脇腹をつつき続け、やがて深く息を吐いた。
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病院の屋上には、少し冷たい風が吹いていた。
茶木まひるは、包帯の巻かれた頭を掻きながら、フェンスにもたれていた。左腕は三角巾で吊られている。片手で持った缶コーヒーは、もう半分以上ぬるかった。
その隣で、高橋が缶コーヒーのプルタブを開ける。
「で」
開口一番、それだった。
「なんで討伐しなかった」
「そこからッスか」
「一番気になるところだからな」
茶木は口を尖らせる。
高橋は何も言わない。
その沈黙に押されるように、茶木は缶を見下ろした。
「……研修マニュアルで、見たことあったんスよ」
「何を」
「寄生型」
風が、二人のあいだを抜ける。
「あのまま放っといたら、黒井センパイの救助は間に合わない可能性が高かったと思いました」
「素人判断だが、まぁ事実間違ってないわな」
「寄生型は共生機能を持つ傾向がある。もしかしたら黒井センパイが失った部分を補って、延命できるかもしれない」
「ただのギャンブルだ」
「でも、何もせず死なない可能性よりは賭けがいがありましたよ」
茶木は乾いた笑いを漏らした。
「でも、あれ絶対嫌ッスよね~。腹の中に異次元怪獣とか。センパイに嫌われても仕方ないっスかね!」
「……」
「アタシの勝手を押しつけただけなんスよ」
高橋は缶コーヒーを一口飲んだ。
「ま、他人事だからだが、俺は良くやったと言ってもいい」
茶木は少しだけ目を丸くした。
「なんスか、勝手やるのはお嫌いでは?」
高橋は鼻で笑った。
「俺の評価軸はシンプルだ。過程なんざ知らねぇ。再現性とか妥当な何かを積み上げるとか正直どうでもいい。うまくやったやつを評価するだけだ。」
茶木はその言葉をしばらく反芻し、それから小さく笑った。
「……黒井センパイとは合わなそうっすね」
「だろうな」
高橋は視線を空へ逃がす。
二人は少しだけ笑った。
「でも、よかったっス」
「何がだ」
「生きてて。自分を大事にしない人っスから」
「……」
「そういうとこ、ちょっとムカつくッスよね」
高橋は返事をしなかった。
ただ、缶コーヒーを飲み干すまでの数秒だけ、目元が少しきつくなった。
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二日後。
ムゲンワークス株式会社、会議室。
病み上がりの身体にはまだ違和感が残っていたが、黒井はちゃんと座っていた。背筋も伸ばしている。少なくとも、見た目だけは普段通りを装えていた。
向かいには高橋。
机の上に置かれた書類を、指先で軽く叩く。
「まず、上司として言う」
「はい」
「明らかに危険な討伐に部下を連れ出して負傷。救援に入ったトライスカッシュも負傷。第四討伐課はお怒りだ」
「ごもっともです」
「しかも廃校とはいえ建造物を爆破。賠償とか、業務上過失なんちゃらとか、どうなるかはわからんがそれなりの処分が下るだろうな」
「……すみません」
高橋は深く息を吐いた。
「そんなこんなで、黒井はクビ」
「いや急だな」
「冗談だ」
間を置く。
「まだわからんが、今回の戦闘レポートでヴオルグラムのランクは引き上げられる見込みだ。その情報を持ち帰ったことへの貢献度、奴の拠点を奪い滲出の暫定閉塞を可能にしたこと、あと同期のよしみ一つまみ。それでなんとか減給と謹慎で済ませた。異論はあるか」
「ないよ」
黒井は即答した。
少しも食い下がらない。そのことに高橋はわずかに眉をひそめたが、何も言わない。
「で、ここからは同期としての言葉だ」
高橋は腕を組み直した。
「くっくっく、痛快だったな」
「ん?」
「Bランク以上の相手に、Eランクのお前と茶木。そこへCランクのトライスカッシュが絡んで大立ち回り。結果的には死傷者もなしで撃退したんだぜ? 漫画かよ!」
「撃退、ね」
黒井は苦笑する。
「個人的には敗北感でいっぱいなんだ。笑えないな」
「俺は笑える」
高橋は言い切った。
「見事だ。よくやってくれた」
黒井は一瞬、言葉を失う。
高橋は視線を逸らさずに続けた。
「俺の馬鹿なマネジメントのせいで失いかけた馬鹿な部下も、過去に面倒見てくれた先輩も、同期も……失わずに済んだ」
数秒の沈黙。
高橋が、低い声で言う。
「で、やめちまうのか」
黒井は少しだけ目を伏せ、それから頷いた。
「やっぱわかる?」
声は静かだった。
「今回のことでよく分かったんだ。本当に本気で、全力でやった。頼りがいのある仲間もいた。その上で、やっぱり僕には異次元怪獣一匹討伐できない」
「……」
「討伐の才能、無かったんだよな~」
黒井は、自分の腹にそっと手を当てる。
「その結果、みんなを危険にさらした。本当に、何か一つ違えば誰かが死んでた」
「でも生かした」
「実力じゃない。周りの人に恵まれて、運が良かっただけだよ」
高橋は何も言わない。
黒井は顔を上げ、笑顔を見せながら言葉を続ける。
「ま、だからって全部投げ捨てるわけじゃないよ?」
「ほう」
「僕はたぶん、討伐そのものには向いてない。でも、やっぱりまだコードワーカーでありたい自分もいるんだ。しばらくは、討伐以外の方法で模索する」
高橋はしばらく黙っていた。
やがて、ふっと笑う。
「そうか。これからはもう少し楽ができるかと思ったんだがな」
「期待しすぎだよ」
「まあ、お前の決めたことだ。茶木あたりは騒ぐだろうが」
高橋は立ち上がった。
「もう俺も上司じゃなくなるか」
「そうだね」
「じゃあ、ただの同期だな」
扉へ向かいながら、肩越しに言う。
「いつでも連絡して来いよ」
「うん」
黒井は小さく笑った。
そうして、高橋は部屋を出ていく。
黒井はしばらく一人で座っていた。
それから自分の腹を軽く撫でる。
「……討伐、向いてなかったってさ」
誰に向けたのかも曖昧な独り言だった。
包帯の下で、ぽこ、と小さく何かが返した気がした。
---
一月後。
高橋は自宅のデスクで、未処理メールの山を雑にさばいていた。
クレーム。
報告書差し戻し。
第四討伐課からの嫌味。
どれもこれも胃に悪い。
「クソが……」
悪態をつきながら受信ボックスを流していた指が、一通の自動通知で止まった。
件名は簡潔だった。
◇
対象個体ランク査定更新通知
黒刃のヴオルグラム
Bランク → Sランク
◇
高橋は、数秒、完全に無言になった。
目だけがその文字列を追う。
もう一度見る。
見間違いじゃない。
BランクからSランク。
二階級昇格。
「……は」
乾いた息が漏れる。
次の瞬間。
「……っ、はは」
肩が揺れた。
「は、ははは……おいおい、マジかよ」
笑いが止まらない。
呆れと、驚きと、どうしようもない可笑しさが一気にこみ上げてくる。
「お前……」
高橋は片手で額を押さえたまま、なおも笑う。
「お前、自分には才能がなかったとか言って辞めた直後に、これかよ……!」
笑いながら、喉の奥が少しだけ熱くなる。
「才能、ちゃんとあったじゃねぇか……馬鹿が」
メール画面の青白い光が、暗い部屋の中で静かに彼の顔を照らしていた。




