第一話:Too Weak to Win, Too Sharp to Lose(1)
ムゲンワークス株式会社、首都圏第一対処部第五討伐課。
午後四時を過ぎて日も落ちかける頃、オフィスは野戦病院と化していた。
これは比喩ではない。
通路脇には血の滲んだスーツの男が壁にもたれ、会議室の前では産業医が裂傷に止血材を押し当てていた。
しかし誰も騒いでいない。この会社ではこれが平常運転だからだ。
そんないつも通りの地獄の中で、ひと際きれいなどう見ても高そうなスーツだけがここでは異物みたいに浮いていた。
第五討伐課の課長、高橋である。
「だから! 勝手に飛び込むなって言ってんだろ! お前は!」
黒井輝夫はキーボードを叩く手を止めず、視線だけを声に向けた。
彼にとって数少ない後輩の茶木まひるが、高橋の前で肩をすくめて立っている。
高い位置で結んだ片側のサイドテールが、叱責に合わせてぴょこぴょこ揺れていた。
本人はしょんぼりした顔を作っているのに、顔立ちそのものに愛嬌がありすぎて完全な反省顔にはならない。
「いやあ、でもあれには意味があって! あのままじゃ仲間が危ないと思って──」
「怪我してんだろうが! 結果として!」
「ぐぬぬ」
「ぐぬぬじゃない!」
高橋が頭を抱える。
同期だった男も今では黒井の上司となり、怒鳴る顔ばかりが板についてしまった。
「お前が勝手に突っ込んだせいで連携が崩れた! 後ろ見てみろ馬鹿野郎ッ! 最悪一人二人死んでてもおかしくねぇよ!」
「でもアタシが注意引かなかったら──!」
「でもじゃねぇ! こんな仕事なんだぞ!? 最悪、お前は“やることやった”で済むかもしんねぇよ!? でも巻き込まれた仲間はどうなんだ!? 際にテメェの馬鹿を恨ませるような事すんじゃねぇよ馬鹿野郎ッ!」
「~~ッ!! コッチだってなんも考えてないワケじゃないッスよ!!」
二人の怒声。周囲は全く動揺する素振りもない。あきれ疲れながらも微笑ましく見ている者がほとんどだ。
それが黒井達コードワーカーにとって、日常へ帰還したことを実感する瞬間でもあったからだ。
"生還率89%"
十回出勤すれば一回は死にかける。
この業界でも、それは「ちゃんとしていない会社」の数字だった。
だからオフィスに帰ってきたメンバーは、今日も生きていることに安堵する。
上司の怒号など、英雄の凱旋を迎える拍手でしかない。
黒井はモニターへ視線を戻した。
開いているのは討伐の事後レポート。中央滲出災害対策機構が提供する滲出処理統括システム『EXIS』へ提出する正式書式だ。
このレポートが"中滲"で精査され、討伐参加者の貢献度や報酬の分配が行われる。
それだけでなく、討伐技能個人ランキングなんてものにまで反映される。
強くて活躍する英雄、結果を出せない無能、なにもかもが大衆の目に晒されるところにあるのだ。
「……はぁ」
黒井は唇を噛んだ。
レポート欄の自分の名前の横には、また討伐数ゼロと書かれる。
今月の個人ノルマも未達。EXISの個人ランキングは最下層帯の常連。入社三年目、新卒扱いが消えかけた頃合いでこれでは言い訳の余地もない。
「黒井」
名前を呼ばれて、肩が跳ねた。
すぐ横に高橋が立っている。
「来い」
「……はい」
黒井は書き途中のレポートを保存し、伊達眼鏡を押し上げた。
黒く太いフレームで隠したところで、目の下の隈は消えてはくれない。
茶木がちらっと黒井に目を合わせると、少し肩をすくめる。
さっき高橋に怒鳴られていた勢いの延長で、黒井にも雷が落ちると察したのだろう。
彼女の勘はよくあたる。
---
「だから! 僕がノルマを達成できてないのは討伐に介入があったからです! 救難信号を出してないときは原則、先行討伐の権利があるはず――」
「ハァー、そら聞いてるよ……。でもお前は毎回そうだろ! 本当に倒せるなら、さっさと倒せばいい!」
「時間がかかるのは……認めますが――」
窓際の課長席を挟んで、高橋と黒井が向かい合う。
そこへ低い声が割り込んだ。
「戦闘開始から二十分だぞ」
「……中村さん」
中村十五。
後頭部で長髪を低く束ね、長身ながら姿勢は猫背。
前髪の隙間から三白眼をのぞかせ、無表情を貫いている。
剃り残した髭。ヨレたワイシャツ。緩めたネクタイ。片手に抱えたジャケット。
ぱっと見はさえない中年サラリーマンだが、彼は黒井より二年先輩であり、第四討伐課のエースチーム『トライスカッシュ』のリーダーだった。
無駄口は叩かない。
口を開けば、たいてい人を刺す。
だからこそ、その言葉には重みがある。
「客観的に見れば異常事態は明白。俺たちは救難信号を出せない可能性も考慮して介入しただけだ」
「しかし、デーモンを圧倒できる火力がない状況では――」
「それに、なんだその発言は」
中村の顔が、ゆっくりと黒井の正面へ下がる。
「お前が俺たちの介入を咎めることで、今後同じような状況で失われる命があるとは思わないのか」
「それは――」
「黙れ」
たった二文字で、空気ごと止まった。
黒井は視線を逸らせない。
「お前が二十分かけて倒せなかったデーモンは、俺たちが三分で仕留めた。弱いお前に出せる口はない」
黒井はそれ以上、何も言えなかった。
それが事実だからだ。
黒井の戦闘は遅い。
身体的才能は、同じコードワーカーどころか一般人を含めても劣っている。
だからこそ時間をかけて相手の性質を探り、勝つ手段を模索する。
だがこの業界で評価されるのは、早く倒した方だった。
トライスカッシュは強い。
近接で押し切る神谷。
後方から支える上野。
そして前線を締める中村。
黒井がぎりぎり鍔迫り合いに持ち込むような敵も、彼らにとっては羽虫みたいなものだ。
「黒井、お前の準備と観察が無駄だとは言わねぇ」
高橋が言う。
「でも結果が出てねぇだろ。なら、自分の何が足りねぇかくらい見直せ」
「……」
「一人じゃ倒せねぇなら、やり方を変えるとかあるだろ」
(……変えてますよ、毎回……)
黒井は黙って俯いた。
視界の端で、神谷レイがこちらを見ていた。
淡い紫と青でバレイヤージュに染めた髪。肩を出した黒ニットにレザーベスト。
ここがオフィスであることなど、最初から知らないみたいな格好だ。
同期入社で、廊下で会えばいつも気さくに声をかけてくれる神谷。
だが今回ばかりは、小さく手を合わせて「ごめんね」のジェスチャーを見せるのが精一杯らしい。
黒井は彼女を尊敬していた。
圧倒的な前衛攻撃手としての強さだけではない。
髪型も服装も、生き方すらも型にはめない、自分を貫ける強さがうらやましかった。
もし彼女なら、自分と同じ立場ならどうするんだろう。
そんなことを考えることは何度もあった。
しかし同時に、彼女ならこんな状況にはならないのだろうとも分かっていた。
神谷レイは、強者の側に立っているのだから。
オフィスの扉が閉まり、中村と神谷が見えなくなる。
高橋は大きくため息をついた。
「で、どうやってノルマを達成する気だ」
これが弱者の常だった。




