第零話:Small Talk with My Mate
午後三時二十分。
黒井輝夫は、ファミレスの窓際席でタブレット端末とにらみ合っていた。
寝癖の残ったぼさぼさの髪。
目の下の隈を隠すための大きな黒縁の伊達眼鏡。
身長は百六十センチ前後で、二十六歳になった今でも年齢確認を求められることがある。
映画やアニメ、漫画、サブカルチャーが好きでオタク気質、彼はそんな男だった。
スーツのジャケットは椅子の背にかけ、ネクタイも緩めている。
テーブルにはドリンクバーの安いアイスコーヒー、メモ帳、筆記用具、充電器、スマートフォンが並んでいた。
「……うぅ〜。どうして、どうしてこんなことに……!」
黒井は天井を仰ぎ、力なく両手を垂らした。
新卒から三年間コードワーカーとして勤めた会社をクビになり、黒井の平日は「仕事に追われる日々」から「仕事を追いかける日々」へと変わっていた。
「はぁ〜……ま、才能なかったんだよなぁ……。でも今さら別のことってのもなぁ……」
ぼやきながら起き上がり、再び端末へ視線を戻す。
開いているのは、フリーランス向け求人まとめサイトだ。
《滲出災害と戦おう! 来たれコードワーカー!》と、やけに陽気なバナーをタップして検索フォームを開く。
黒井は「討伐」のチェックを外し、順に案件を見ていった。
「流石に討伐はナシとして……調査か閉塞か鎮静か。閉塞ならバイト経験あるし、まずはそこから──」
ぶつぶつと独り言を言いながら、気になった案件を次々に別タブへ逃がしていく。
その時だった。
黒井が集中しようとしたタイミングを見計らったように、頭の中で馴れ馴れしいカエルみたいなしゃがれ声が響いた。
『おいテルオ』
黒井は顔を上げない。
「今は話しかけないで」
『甘いの食いてぇ』
「お金ない」
『俺っち、甘いのが食いてぇ』
「もう! スプさんがパカパカ食べるから僕が我慢してるんだよ!?」
店内が、一瞬だけしんと静まり返った。
黒井は集まった視線に気まずそうに頭をさげ、肩をすくめる。
彼が座るテーブル席には、他に誰も座っていなかった。
『お店の中では他人に迷惑をかけないのが“ジョーシキ”ってやつだぞ』
「スプさ~ん、勘弁してよ~……」
黒井はシャツの襟をつまみ、自分の腹のあたりに向かって小声で囁く。
シャツの中では、左脇腹のあたりから二つの目玉がぎょろりとのぞいていた。
さらに脇からへそにかけて、大きな口がにやりと裂けている。
ちょうど脾臓の位置にいることから、それは"スプリーン"と名付けられていた。
「なぁんでこんな奴にくっつかれちゃったかなぁ~……」
『あぁ!? こんな奴ってなんだ!? 命の恩人に向かってよォ~』
「それはごめん」
『いいよ』
二十数年前から、この世界には勝手に穴が開くようになった。
壁にも、床にも、空中にも。
人はそれを滲出災害と呼ぶ。
しかも穴だけで済まない。中から異次元怪獣まで出てくる。
虫や動物のような姿、何かに寄生するもの、建物や実体がない物まで。様々な能力を持った多種多様のモンスター達が、人間社会を混乱の渦に落とした。
そんなことも昔の話で、今では怪物退治も穴塞ぎも全部ちゃんとした職業だ。
中には異次元怪獣と共存してビジネスをする者まで現れたのが、令和末期現在である。
「でもさ、実際のところまだ共存可能個体の申請も受理されてないんだから、おとなしくしててよ」
『あ〜ん? もう遅ぇよ』
「は!?」
直後、黒井は左脇腹からぬるりと細い触手が伸びていることに気づいた。
嫌な予感しかしない。
その先を目で追う。
卓上の注文用タブレット。
画面には、無慈悲にも《注文しました》の表示。
そして運ばれてくるチョコパフェ。
……プリンアラモード。ミルクレープ。白玉あんみつ。季節限定いちごフェアのなにか。
黒井は真っ白に燃え尽きた。
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ぺち。
ぺち。
ぺちぺちぺち。
「……スプさん、触手で顔叩くのやめて」
『お前ェが無視するからだろぉ? オイこれマジでうめーな! なっ!?』
他の客に見えないようテーブルで腹部を隠しつつ、黒井はこっそりシャツの前を開ける。
スプリーンは器用に触手でスプーンを掴み、クリームやアイスを黒井の腹へと詰め込んでいた。
味も何もなく腹だけ膨れていく中、黒井は光のない遠い目で放心したままボヤく。
「寄生した時に僕の知識ぜんぶ読んでるんだからさ、味くらい想像できるでしょ」
『バーカお前ェ、本読んだだけで喰った気になれんのかよ?』
「あー……確かに。僕も漫画肉とかあったら頼んでみたいかもなぁ」
周囲の客にスプリーンの声は聞こえない。聞こえているのは黒井だけだ。
本人曰く、「肺がないから呼吸してないし、それを前提とした発声器官もついてねぇ」とのこと。
だから他人から見れば、黒井はスイーツ満漢全席を前にひとりでツッコむ、少し痛い男でしかない。
だが最早、他人の目など黒井にとってはどうでもよかった。
"早急に仕事を見つけなければ破産する。"
それが黒井にとって最大の問題だった。
(これも滲出災害として補助金申請できないかな……)
そんな心労もスプリーンは感じ取っているはずだが、まるで気にする様子はない。
『俺っちは生きていけりゃいいとは前言ったけどよ! 訂正するぜ! 俺っちは"楽しく美味いもん食って"生きていけりゃいい!』
「ずいぶん俗っぽくなったなぁ」
『だからこれとこれはナシだ!』
スプリーンから伸びた触手がぺちぺちと黒井のタブレットを叩き、一部の求人情報を閉じていく。
『年間休日105日未満、完全じゃない週休二日制、アットホームな職場! 全部ダメ、過労も敵だぜ』
「うーん、有能。でも9時間寝てないと勝手にアラーム消すのはやめてくださいね」
「そのでっけぇ隈が消えたらな~♪」
どうしてこんなことになったのか。
それは、スプリーンと出会うさらに前、今から一週間と少々遡る。




