第62話 どうしてその人と、二人で楽しそうに歩いているんですか?
「あれ、主様?」
聞こえた声は、この場にいないはずのものだ。聞き違いかとも思った。
だけど、違う。ここ最近で毎日のように聞くようになった声を、間違えるはずがない。
俺は、反射的に振り向いた。
聞きなれた声……なにより、俺を『主様』なんて呼ぶのは、一人しかいない。
「こんなところで、なにをしているんです?」
そこにいたのは……やはり、久野市さんだった。
彼女はきょとんとした表情で、俺を見ていた。
「く、久野市さん?」
「はい、久野市 忍です」
俺の声に応えるその姿は、間違いなく久野市さんだ。
だけど、なんで久野市さんがここにいるのだろう。
今日は、桃井さんにお礼の料理を振る舞う際に、火車さんに久野市さんを連れ出してもらっていた。
だから、彼女がここにいるわけが……
……いや、違うな。
「あれ? 木葉っちに香織っちじゃん。やほー」
遅れて、久野市さんの後ろから姿を現したのは……火車さんだ。
火車さんと久野市さんが揃ってここにいる理由は、もう一つしかない。
火車さんが、ショッピングにでも久野市さんを連れ出したのだ。その結果、近くの大型デパートは都合がいい。
考えてみれば、どこに連れ出すとかは聞いていなかったしな。
「……ちょっとちょっと、なにやってんのさ。せっかく気を利かせてあげたのに」
いつの間にか隣に来ていた火車さんが、俺に耳打ちする。
久野市さんを連れ出してもらったのに、結局久野市さんと出会ってしまったのだ。そう言う気持ちもわかる。
「ご、ごめん……ちょっと、いろいろあって」
「いろいろぉ?」
どうして俺たちが、ここにいるのか。それは久野市さんへのプレゼントを選びに来たからだ。
それを、素直に話すか……いや、それはまずいかな。
「なにを、こそこそ話しているんですか?」
「!」
この距離では、久野市さんに話を聞かれる心配がある。
彼女の聴力を、侮ってはいけないのだ。
それにしても……久野市さん、さっきからニコニコしているけど、表情が見えなくて怖いんだけど。
「主様、どうしてその人と、二人で楽しそうに歩いているんですか? 今日、不自然にその女から誘われたかと思ったら……もしかいて、その人と二人きりになりたかったからなんですか? あはは、なんで私に秘密にするようなことをするんです? もしかして私にバレたら、なんだか気まずいことでもあるんですか? やだなぁ、私が主様の交友関係にいちいち口を出すわけないじゃないですかでもこうやって私をのけ者にして二人だけで出掛けるって言うのはなんだか悲しいですし言ってくれれば別に私はお二人の邪魔はしませんしそもそも私なんかが主様に気を遣っていただかなくても問題なんてないですし……」
怖い怖い怖い! なにこれめっちゃ怖いんだけど!
さっきから笑顔のはずなのに、目が笑ってないんだけど! 殺し屋の目ぇしてるんだけど!
どうしよう。ただ桃井さんに、日ごろのお礼をしたいから久野市さんには席を外してもらっただけなのに……
それを、正直に……いや、だめだ。それを正直に言ったとして、今この場にいる理由はどう説明する?
ここに来たのは、桃井さんへのお礼ではない。久野市さんへのプレゼントを選ぶため。
つまり、ここにいる理由を説明するには、久野市さんにプレゼントを選びに来たことも言わないといけないわけで。
それだと、なんか……お礼のサプライズ感が、なくなってしまう!
「し、忍ちゃん落ち着いて。木葉くんには、私の買い物に付き合ってもらってただけなの」
「さ、桃井さん」
「……買い物?」
とっさに、桃井さんは買い物に付き合ってもらったと口にする。
本当は俺の買い物に桃井さんが付き合ってくれていたのだが、今はこう言うしかない。
「そう。ちょうど、買い忘れたものがあって。重たいものだから、木葉くんに頼もうと思って」
「……重たいというわりに、持っているのはその袋だけみたいですけど?」
と、久野市さんの目は俺の右手に向く。そこには、先ほど買った香水が入った作ろが、握られている。
これを、男手が必要なほどに重たい買い物とするのは無理があるだろう。
「こ、これは別件で。これから、食品を買いに行こうとしてて」
「……そうですか」
納得したのかしていないのか。桃井さんの説明に、久野市さんは変わらぬ表情でうなずいていた。
その後ろで、火車さんがのんきにあくびをしているのが見えた。
彼女には関係ないことだし、そもそも協力してもらった身でこう思うのはひどいかもしれないと思ったけど……ひっぱたきたくなった。
「……わかりました、そういうことで納得しておきます。心優しい主様は、隣人の頼みを断れなかった……
そういうことですね?」
「そ、そう……だね」
なんとか、久野市さんの不機嫌さはなくなったか?
……いやそもそも、なんで不機嫌だったんだ? あれは不機嫌だったのか?
「あの、せっかくならこれからみんなで、お買い物しない?」
場の空気を変えるように、桃井さんが手を打つ。
ここでせっかく会ったのに、じゃあさよならってのも味気ない話だろう。
俺たちのほうは、もう用事も終わったから問題ない。それに、このあと久野市さんを放っておくのはなんだか怖い。
「お、いいねぇ。行こう行こう」
今までの話を聞いていたのかどうかはわからないが、火車さんはのほほんとした表情で手を上げた。
あくびをしていたため、目尻にたまった涙を拭っている。
そして、久野市さんも小さく、うなずいた。




