78、紫電
空は暗くなりかけていた。
猿田が座り込んで左頬をさすっていた。口の中を切ったようだ。俺も鼻血を拭った。
「治癒を用意していたが必要なかったな」
ノエルもそう言って座る。俺も地面に座った。
観客たちは物珍しそうに俺たちを見ている。若い女がそばに来てハンカチを差し出しながら言った。
「あなた、新しい人よね。剣さんたちとどういう関係なの?」
「剣さん?」
ハンカチを受け取らずに俺はその女に聞き返した。
「俺のことだ。仕事仲間だよ」
猿田が答える。
「どこから来たの?」
事務員たちは興味津々といった顔で俺たちを見ている。普段からずっと気になっていたようだ。話す機会がなかったのだろう。猿田はこの紫苑ギルドの夜番のようだから、一緒にいる俺が気になったのだろう。今日の模擬戦である程度は理解したという顔つきだ。
「国の外の町からです」
「まだ紫学生よね」
「窓ガラスは弁償だな」
猿田が確認した。
俺に気をつかったようだ。
「派手に割ってしまいました」
このままではギルド員の娘が可哀想だと思ったので俺は大丈夫だというように言った。
「まだ紫学冒険者です。あの、剣さんって何ですか?」
娘に尋ねると本人から聞いた方がいいんじゃない、と言った。
「何ですか? 剣さん」
「道場破りを木刀で追い返しただけだ」
「前に罪人上がりの浪人がこのギルドに冒険者の登録をしに来たのよ。支部長が拒否すると、ここで一番強いものと試合をさせろって言ったの。買ったら登録させろって。そこで剣さんが木刀で追い返したのよ。凄かったのよ」
「骨を砕いて二度と剣が握れないようにした。とんでもない殺気だったからな。あんな殺気だらけの場力を食らったのは初めてだった。流石に寒気がして全力で終わらせた」
「そうだったのですか」
「おかげで外を出歩くときは背後を気にするようになった。町の中で弱々しい姿に成り果てたあの男を見るまではな。弱った姿を見て悪いことをしたと思ったよ」
「戦えなくなって人が変わっちゃったの。支部長が職探しをしてあげて建具を作る職人の元へ弟子入りしたみたい。今もそこで働いているはずよ。頭をぺこぺこ下げて礼を言っていたから、剣さんのおかげで改心できてよかったんじゃないかしら」
「剣筋はしっかりして型も美しかった。どこかの道場に通っていたのだろう。おそらくそこで傷害沙汰を起こして破門になったのだろう。自分の力に溺れるようになったんだな」
「その鼻をへし折ったのですね。俺も今日、殴殺を初めて食らいました」
「俺の殴殺に耐えればたいていの殴殺に耐えられる。俺も手は抜かなかった」
そうしてしばらくギルド員たちと適当な話を続けていた。若い事務員たちは皆、露九戊を慕って伸び伸びと働いているようだった。
暗くなったので事務員たちは本舎に戻っていった。
「どれ、いいものを見せてやろう」
そう言って立ち上がると猿田は案山子の前に立った。周りにはもう俺とノエルしかいない。
自由技能を発動させたようだ。
曇りと夜で発動条件は満たしている。
右腕を引いて案山子を殴る。
ドンッ
紫色の閃光が薄闇に走った。
稲光のような、電光だ。
これが裏の内功、紫電だ。
「自由技能を間に入れたときだけこうなる」
なるほど。俺では使えない。見るだけだ。
猿田の背中の先に道ができた。真っ直ぐな通りの両脇に屋台が並んでいる。人々は浴衣を着ている。猿田の背中は人ごみの中に見えなくなった。俺の隣に女の子が並んで歩いている。日焼けした可愛らしい、一つか二つ年下くらいの女の子だ。懐かしい。果歩ではない。しゃがみ込んで金魚掬いをしている。真剣な表情だ。首筋にのぞく素肌が色っぽく見える。まだ青学くらいだろう。やってみてと言われて水槽を覗き込む。俺の顔のすぐそばに少女が顔を寄せている。くっつきそうなくらいだ。水槽が揺れ、自分の顔が見える、そのとき、景色が戻った。
これは俺の自由技能ではない。しかし、俺だけが見えるようだ。何なのだろう。
猿田は散った案山子を見て「こいつも今度こそは弁償かな」、と言った。




