75、気の習得
今日はギルドの訓練場にスキルの訓練のため一人で来た。
夕方になって白のシャツに濃緑の仕事用ズボンを履いて繰り出した。案山子は訓練場の端の方にあるが、一人で行っていると目立つかと思ったが、ギルド員と思われる男が二人で距離をおいてサッカーのパス練習をやっていた。俺はその陰でこっそり訓練をした。
猿田からもらったアウトドアナイフのグリップを握って早速構える。短剣技の訓練だ。猿田が言っていたことを思い出す。
以下が猿田からのレクチャーだ。
ナイフには逆手持ちと順手持ちがある。スキルによって使い分けるといい。【針夜】や【貧乏鴉】は順手。【暴れ狛犬】なら逆手持ちだ。
刀剣の場合は刀身がブレずに加速すれば重さを利用して斬撃の威力が出る。達人はそれに勢いを乗せてさらに威力を上げる。切先が体に触れて切る瞬間にさらに切るイメージを込めるんだ。綺麗な残心が決まる。木立はこの切るイメージを逆に取って打撃に変えるスキルだ。
ナイフの場合もインパクトの瞬間に攻撃のイメージを入れるのは一緒だ。突くなら突く、切るなら切るというイメージを杭のように打ち込む。これは得物を用いた攻撃の方がやりやすい。素手ではタイミングがシビアになる。それ以外のナイフでの立ち回りは徒手空拳とそんなに変わらない。スキルだけ個別に覚えるといい。その後で自分に合った攻撃スタイルを決めることになる。
俺は言われたことをまずは忠実に再現しようとした。ナイフを右手の順手で握る。セイバーグリップだ。それを勢いよく案山子に向けて突き刺す。
ザッ
刃先が数センチ、藁に沈んだ。しかし猿田の言っていたイメージの感覚はない。俺はイメージを意識しながらもう一度行ってみた。
接触する寸前で、突き刺すイメージ――。
ズッ
力が先ほどより握る手に籠り、ナイフは藁に深く沈んだ。
時間が少しゆっくりになったような感覚だった。
これだ――。
もう一度、やってみた。
ズズッ
さっきと同じだ。力があり余ったので少し勢いをセーブしたぐらいだ。さっきより籠った力は強い。
藁に沈んだ刃先にさらに力を込めた。
ズッ、と奥にめり込んだ。この感触だ。突き刺すイメージをナイフの刀身に込める。
何もせずにただ漠然と同じ力で突き立てた場合、ニ三センチしか刺さらない。
猿田に教えられたこのイメージの感覚には思い当たることがあった。俺は辺りを見回す。
訓練場の端で野球の軟式ボールを見つけた。俺はそれを手に取り、ぽんぽんとリフティングを始めた。
そこで猿田の言っていたイメージの感覚を見つけた。
ただぼーっと上の空で蹴っていたのでは五回も続かない。しかしいつもやっているようにボールを蹴る瞬間に蹴り上げるイメージをタイミングよく足に込める。するとぽんと淀みなく蹴り上げられる。意識の収束地点を打点に合わせる感じだ。自分の心を蹴るところに持ってくる。何もしないで蹴ると詰まる感じなのにイメージを込めて蹴り上げるとすんなりと上がる。
もしかしたらと思って俺は案山子の前に立った。殴る姿勢を取る。
手を引き、腕を振り、インパクトの瞬間に、力を込める――。
ドンッ
案山子が大きく揺れた。
殴殺だ。
今までと違うのは、あの大げさな破壊衝動のようなものを纏わないことだ。何も力を入れず、拳が案山子に当たる瞬間にだけタイミングよく力を込める。これが――。
内功だ。
猿田ははっきりとは言わなかった。自分で気づけということだろう。ナイフなら突く、刀なら切る、素手なら殴る瞬間に武器なら武器、素手なら拳の当たる面に気を込める。それが内功だ。
今までの殴殺とは違う。無駄な力がないにも関わらず威力は上だ。当たった感触が全然違う。本物の殴殺だ。これまでは瞬間的に込めるその気を全身、あるいは右腕にまんべんなく纏っていた。スキルには内功到達点というものがある。しかしこの方が技として確かだ。まだタイミングが難しいが。裏の内功と呼ぼう。試しに案山子の前に立って蹴ってみた。蹴る瞬間に同じように気を込める。力強い前蹴りだがスキルはない。ナイフの刺突でもない。殴りだけ、殴殺というスキルがあるようだ。
今度は少し、距離を置いて案山子の方を向いた。遠くからあの殴る瞬間の気のインパクトをイメージして案山子に向けて放った。すると――。
ボッ
藁が散った。
仁王殺だ。
剣を介せば剣圧になるのだろう。
すごい。新しい内功を覚えた。これは軽々しく口外できるものではない。言われてすぐにできるものでもないが、今までのは表面的な殴殺だった。本物の殴殺は奥が深い。殴りだけでは気づかなかった。ナイフによる突き刺すイメージを感覚的に掴めたから気づけた。
裏の内功――。
今までのは体に湧かせるものだった。それをピンポイントにタイミングよく込める。
ナイフや刀なら刀身に。殴りなら打点に衝撃の瞬間に込めて打つ。
裏の内功を習得できた。
俺はひとしきり考えた。自分の戦闘スタイルについてだ。魔法でいくか、物理にするか、武器はどうするか。せっかく新しい内功が理解できたのだから、物理でいきたい。しかし、腕力では猿田やおそらくノエルにも及ばない。となると短剣技だ。器用さなら張り合えるかもしれない。俺は猿田からもらったナイフを握り、もう一度構えた。そうなるとスキルを覚えなくてはならない。そのとき――。
『……て。まって』
声が聞こえた。
幼い少女の声だ。どこか遠くから響いてくる声のようだった。
待って――?
俺はこのとき、精霊のお告げのようなものを感じた。
精神病の傾向があるとはこのことだ。こういう思い込みがあるから困る。
しかし、だからといって無視できない。仕方がない。
徒手空拳で行こう――。
『……。』
声なき声を感じた気がした。
それなら今のスキル傾向で問題ない。
筋トレも欠かさない。
俺も十六になった。力技もそれなりに押し通せるだろう。
予備の戦闘手段としてナイフも持っておこう。ナイフを使ったイメージの通し方は理解できたからだ。
俺はそこで訓練を終え、しばらくぼんやりと遠くの空を眺めていた。パス練習の二人はまだ続けている。
秋の夕暮れの景色の中で俺は考えた。抜庭は俺だけなのだろうか。古い本には抜庭の持つ庭園は古代庭園と書かれている。砂川からもらった絵本に描いてあった絵が古代庭園だとすると行郎という男も抜庭ということになる。おそらく筧行郎のことなのだろう。兄は精神病だったと筧は言っていた。かざりまにこというのは誰だろう。まだよくわからないことが多いが、俺一人でないなら心強い。
そろそろ日が暮れる。部屋に戻る前にこのままいつも行っている散歩をすることにした。今日は大通り方面だ。ギルドから大通りに出た後、少し歩いて奥の路地の方へと戻っていった。大通りの南側だ。
昼間は曇っていたが、空は夕焼けだった。草むらがある。バッタが跳んでいた。路上に飛び出してきたバッタを捕まえて草むらに放り投げた。コオロギや鈴虫も隠れていそうな草むらだ。微かに鳴き声が聞こえる。すすきが風に揺れている。
そのまま歩いていくと色々な事務所のような建物とシャッターの降りた商店、居酒屋が並んでいた。昔は活気があったのかもしれないが人通りはあまりなく、少し寂れた印象を受ける。大通りにデパートや食料品店ができたからだろうか。この道を真っ直ぐ東に進めば商店街に出るようだ。古い蔵の塀で壁当てをしている子どもがいた。家には塀がないから適当なところを見つけてやっているという感じだった。ボールの跳ねる音が小気味よく聞こえる。西の空は夕焼けで赤くなっていた。
俺は途中で大通りへ出てそのまま宿舎へ通じる一本道を歩いていった。




