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74、遠くの絆

 散歩から帰ってくるとコーヒーを座卓に置いて窓を少し開けた。秋の匂いがする。子どもの頃から遊び道具も食い物もなかった俺は自然と何もしないでいることが多かった。最近になってからそこに奥深い世界があることを知った。何も考えないでいる限り、心の中に居心地のよい空っぽがある。言葉が入ると消えてしまう。まるで砂漠の中のオアシスのようだ。その空っぽは考えないでいればいるほど深さを増してゆき、最も深くなったときに何とも言えない全能感がある。これも麻薬のようだ。

 コーヒーを開けて窓の外を眺める。ブナが紅葉してきた。たった一本で枯れることなく季節の移ろいを現している。そよ風に揺れている。ほんの少しだけ窓からも風が入る。涼しいと少し寒いの間ぐらいだ。外の門灯が部屋の中に俺の影を伸ばしている。ライトはつけないでおいた。穏やかな夜だ。

 携帯でラジオをかけるとニュースをやっていた。昨年の人口調査に基づき領土決定会議が行われ、各国が新たに得た領土が紹介されていた。四ヶ国とも人口は増加傾向にあると告げられた。白井では北の野毛市に新たな領土が確保された。穀倉地帯だ。あとは夜の帳で二人、怪我人が出たことや、紫苑市長が井黒を訪問し、経済連携の交渉が行われることなどが伝えられていた。続いて天気予報だ。明日は曇りだそうだ。

 そのとき、畳の上に置かれた携帯が鳴った。一週間振りの果歩からの連絡だ。


“退院できた”


 心待ちにしていた文面だった。ようやく念願の退院だ。俺はよかった、と返事を送った。

 これからは学校にも通うようになるし、友だちもできるだろう。クラブ活動にも参加するかもしれない。何年か振りに運動もできるようになる。夢が膨らむようだった。自分のことのように嬉しくなった。

 体操着を着て運動をする果歩が思い浮かんだ。大人びて色っぽくなったから男ができるかもしれない。きっと男にももてるようになるだろう。それでもかまわないと思った。果歩には無償の愛に近いものを抱くようになっていた。果歩が幸せになるならそれでいい。

 そんなことを考えていると携帯が鳴った。果歩からだ。


「もしもし」


 改めて礼を言われたのと、今後のことを教えてくれた。俺が通っていた青学に二年生として通うようだ。男ができるかもしれないな、と言うと何言ってるの、と言って怒られた。俺の方が心配だと言われた。果歩は今まで言わなかったがずっと心配していたらしい。現に山田から好意で薬ももらっている。そういうのが心配なのだそうだ。もちろん危険な任務に当てられないかも心配だ。心が休まる暇がなかったと言う。俺は大丈夫だよ、と言った。申し訳ないことをしてしまっていた。毎日でなくてもメールすると言って切られた。

 俺はため息をついた。もう俺一人だけの体ではない。果歩のことも悲しませないよう、任務で命を落とすなんてことにはならないようにしなくてはいけない。


 場所は変わって遠葉市のとある民家。

 松葉杖をついて歩く、一人の男がいた。

 木のスツールに腰掛けて一息つく。防寒着を着込み、大分厚着をしている。部屋に入ってからその上着を脱いだ。


「ご苦労さま」


 女が声をかける。


「ああ、疲れたよ」


 女が注いだお茶を口にする。

 毎年、命を削るような夏がようやく終わった。男は少しずつお茶を飲んだ。


 相良六郎。

 水属性自由技能(ディスオーダー)、【氷結丸(フロストマン)】を持つ。

 ここ遠葉市での海産物の冷凍保存を一手に担っている。それまでは、十人ほど水属性魔法の使い手を用意しなくてはならなかったが、相良が来てからは一人で全てを引き受けている。それを可能にするほどの出力を彼のスキルは持っていた。

 冷蔵倉庫で魚介類の冷凍と大量の氷を作る。それを各国へ出荷していく。普通の水属性魔法と違い、氷結丸は弾丸のように冷気を撃ち込む。外に出しても三日は冷却の後押しがある。まさにここで働くために生まれてきたようなスキルだった。

 歳は四十八歳だ。ここで出会った女、杏奈と入籍している。ダンジョン探索中に毒の沼に踏み込み、足をやられている。帰還中、倒れていたところを荷車を引いた冒険者に助けられ、荷車に乗せられてここへ辿り着いた。一度、道楽に戻り、入院先の病院を聞いて果歩に会いに行こうとしたが、中庭で楽しそうな表情の果歩を遠目から見てあきらめ、遠葉へ引き返した。砂川が引き取ってくれていたとは思わなかった。相方だった砂川はどこから見てもよい父親だった。寂しさもあったが安心感も大きかった。果歩は大丈夫だ。ずっと待たせていた杏奈の婚姻の申し出を受けて遠葉に落ち着く覚悟を決めたのだった。

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