70、変えた未来
朝、目が覚めると外は大雨だった。風も結構ある。少しだけ開けっ放しで寝てしまった窓の隙間から雨が吹き込んでいる。
携帯で時計を見ると九時前だった。朝飯に室井義範からもらった柿を食べた。そろそろ果歩のところへ行かなくては。
傘を持っていないので、そのまま大雨の降る通りに出た。服は一瞬でずぶ濡れだ。待っていても止みそうにはない種類の雨だ。今行くしかない。俺は天を仰いでついでに顔を洗った。
ズボンはポケットの中まで濡れている。こうなるだろうと思って紙幣は全部長屋に置いてきた。あと持ち物といえば携帯と小銭とIDカードくらいだ。俺はゆっくり歩きながら病院へ向かった。
途中で商店の庇の下で雨宿りをしている女の子がいた。恨めしそうな顔で空を見ている。そこから少し歩くと俺と同じように傘を差さずに雨に打たれながら家の前の道路で牛乳配達で配られた牛乳を一気飲みしているおじさんがいた。俺も一度やってみたいと思えるほど、美味そうに牛乳を飲んでいる。俺を見るとまるで無人島で同じ遭難者を発見したみたいに無言で右手の親指を上げてきた。俺も無言で返した。それ以外はみんな大体傘を差している。後始末が大変だが、開き直って雨に打たれるのは気持ちがいい。
しばらく歩いて病院に着くと、俺は上着を脱いで玄関に入る前に絞った。ザバァと水が流れる。それをタオルの代わりにして髪を拭いた。ずぶ濡れから湿っているくらいにまで水を絞ってから用紙を記入して病室へ向かった。受付には昨日と同じ俺にとって縁起のいい眼鏡のお姉さんだ。濡れた格好は特に咎められなかった。
病室へ向かう。緊張しているが、昨日のような絶望感はない。それより期待の方が大きかった。きっと果歩はよくなっている。雨水を滴らせる俺は男前も上がっているだろう。果歩に会ういいアクセントになった。
病室に着くと砂川と、ベッドの上で起きている果歩がいた。
「何だ、お前。びしょ濡れじゃないか」
「すみません。傘持っていないので」
果歩は微笑んで俺を見上げている。調子はよさそうだ。
「具合はどうだ」
俺が尋ねる。
「うん、体が少し軽くなった」
「まだ様子を見ているところだ。このまま一週間、何ともなければ退院だ」
退院――。
きっともう治ったと判断されたのだろう。
果歩がぽんぽんとベッドを叩く。座れということらしい。
俺が果歩の隣に座ると、顔を近づけ、頬にキスをされた。
果歩は微笑んでいる。
俺は恥ずかしくなって立ち上がった。
自分の方が子どもっぽく思えてしまった。果歩は本当にここ数ヶ月で大人びた。
「これから学校をどうするかだな」
砂川が言う。
「今、少しずつ勉強もしているんだよ」
棚のところを見ると教科書が何冊か置いてある。
「俺が少しずつ教えている」
学校に通える。これで普通の女の子のように生きていけるのだ。感慨深い気持ちになった。
「ありがとう」
果歩が改めて俺の顔を見ながら言う。また恥ずかしくなった。
病気が治ったせいか、血色もよく見える。スリッパを履く素足や頬に赤みが差している。見た目は健康的な青学の女の子だ。
そのあとは、しばらく砂川が算数を教えていた。果歩は水色学校の途中で入院したらしい。分数の計算を教えている。俺はその様子を隣に座って見ていた。退院すれば砂川が住むアパートで二人暮らしだ。ずっと一人だと思っていたから考えなかったが、一軒家の購入を検討しているという。今まで辛かった分、果歩には好きなことをやってほしいと思った。
余った月光草については、病院に寄付をするということになった。小さな病院だし、医者の話では今抱えている重病人に全ていきわたるだけの量があるという。果歩がもう必要ないのならかまわないと言った。何より果歩を今まで診てくれた病院だ。俺に異論はなかった。
お昼になった頃、俺はそろそろ紫苑に戻ると言った。最後に果歩の手を握った。もう病人の弱々しい手ではなかった。砂川から次来るときは俺のアパートだ、と言って住所を書いた紙を渡された。冒険者の仕事は相変わらず気の抜けた雑用ばかりだという。それでも生活には困らないらしい。どうしても足りないときは日雇いで人足仕事に出ているという。露九戊にも感謝しなければならない。
傘を貸してやると言われたが、俺は大丈夫だと言ってそのまま外に出た。まだ勢いは衰えたものの雨は降っていた。再びずぶ濡れになった。秋雨に打たれながら帰るのも風流だ。この時期の雨は独特の雰囲気がある。少しだけ霞んでいる道路の先を見ながら街道を歩いていった。




