69、夜の訪問客
コンコン。
窓をノックする音が聞こえた。
外を見ると窓の向こうに背の高い男が立っている。暗がりにぼんやりと輪郭が見える。
俺はそばまで行って窓を開けた。
「室井さん」
向かいの家の北側の部屋に住むおじさんだ。
「いるかい。よかった。ずっと雨戸だったから」
俺がいなくなったかと思って心配していたようだ。夜中に外を見たら雨戸が開いていたので来たらしい。手に袋を提げている。
「よかったら、これ。洗ってある。甘くはないけど。うちの庭で取れたやつです」
そう言って袋の中から柿を出してくれた。俺たちは濡れ縁に腰かけて柿を食べた。
室井は夜なのに帽子を被っている。つばを後ろにしている。
「吸ってもいいか」
「いいですよ」
そう言ってたばこを吸い始めた。
真夜中に街灯の明かりだけが見える。時々風が吹く。涼しい風だ。
濡れ縁の前には質素な庭がある。辺りでは虫の鳴き声が響いている。
「嵐が来そうですね」
「わかるんですか」
「ああ、空が静かすぎる」
空には雲もないみたいだ。月が浮かんでいるのが見える。
「仕事でも決まったんですか。確か春まで学校だったろう」
「色々あって紫苑で冒険者をやっています」
確かに家が空になれば心配するかもしれない。言ってから出ればよかった。数少ない知人なのだ。
「それはすごいです。俺は末吉だったんで」
スキル表の一番端にその名を連ねるという意味で空箱で卒業したものを末吉と呼ぶ。実に青学の卒業生の九割は末吉だ。
「俺も数えるほどしか使えませんよ」
室井はたばこを吸いながら月を見上げた。
年下の俺にまで敬語を使う。きっとこの話し方が当たり前になっているのだろう。
「スキルってのはピアノを素人の状態からコンクールで優勝するぐらいにまで極めるほど大変だっていいますね」
確かにそこそこの難易度のスキルはそう言われる。
「俺も何かやってみるかな」
「スキルの教本なら本屋にでも図書館にでもありますよ。多少の差はあるけど言っていることは大体同じです」
一般の教科なら机に向かっていれば上達するが、スキルは内的世界における陳述不可能な事柄なので、説明も難しい。自分で感覚を掴むしかない。俺もそれでかなり苦労をした。
「本か」
室井はうまそうにたばこを吸っている。本は苦手みたいだ。
喫煙者は病気になるリスクが高い反面、布陣スキルの適性が非喫煙者より僅かに高いことが知られている。室井も布陣スキルからチャレンジしてみたらどうだろうか、と助言した。
「布陣スキルか。まあ空箱はできるからな」
体気煥発でも一発当てられたら働き口が一気に増える。
たばこを吸うと火口が赤く燃える。暗闇にそれが見える。
吸い終わったたばこは地面にこすりつけて消し、袋の中に入れた。
俺たちはしばらくの間、秋の真夜中の屋外の空気に浸っていた。虫の鳴き声だけが聞こえる。
無言の会話が続く。
言葉による会話より無言の方がときには会話になる。
俺の周りにはそういう無言の会話ができるものばかりだ。室井も部屋で何もせずにこうしてぼーっとしていることが多いのだろう。時間の無駄だと言われるかもしれないが、人はそういう姿を見ると安心するのだ。
ときどき俺の方を見て、目が合うと無言でうなずく。室井は物腰が低い。俺のことも対等に扱う。
ちょうど二本目のたばこを吸い終わったところで、室井は立ち上がった。
「たばこが切れたよ。買ってくる」
「俺も行きますよ」
二人で真夜中の通りを歩く。大分涼しくなった。家の窓には所々にまだ明かりがついている。室井はポケットから小銭を取り出した。
コトン。
自動販売機の前に来て金を入れるとたばこが落ちてきた。佐久楽という銘柄のたばこだ。それを拾うと来た道を戻る。
「世界一周を、したんです」
帰り道で室井が言う。
「歩いてですか?」
「そうですー。ザックと寝袋背負って」
それは初めて知った。俺は感心して聞いていた。
「牙途へ続く街道が一番、険しかったですね」
「俺にはできないです」
「若気の至りです」
世界一周は流石にできない。きっと達成感はすごいのだろう。
「そろそろ戻りますー」
家の前まで戻ってくると袋の中にあった余った柿を二個、俺に渡した。
「不味かったら捨てて下さい」
「いや、美味かったですよ。ありがとうございます」
熟すともっと甘くなるだろう。俺はありがたく頂いた。




