67、絶望
俺は走った。雨の中を夢中で走った。
景色が勢いよく過ぎていく。
車も、空を飛ぶ乗り物も、どれよりも速く、景色を遠ざけていった。通り過ぎる人の顔は見えない。太鼓の音が聞こえてきた。雷の音も聞こえてきた。笛の音もどこからか聞こえる。空は薄暗闇だ。雷が時々光る。俺は段々走る速度が上がっていった。景色が物凄い勢いで変わる。疲れはない。道路の標識に動物の絵が描いてあった。何だろうこれは。やがて道楽に入った。家々の窓が暗い。それは炭で塗りつぶしたような黒だった。建物はしんとしている。人の姿もない。窓だけが真っ黒だ。人が消えてしまった。空は薄暗い。相変わらず雨は降っていたが、あまり濡れていないようだ。本当に車に乗ってここまで来たみたいだ。疲れもあまり感じていない。俺は病院に駆け込んだ。受付もナースステーションも人がいない。俺は二階の果歩の病室に飛び込んだ。目の前に、果歩がいるはずのベッドの上に真っ黒な墓標が立っていた。果歩はいない。砂川もいない。看護婦も同室のばあさんも誰もいない。やっぱりそうか。悪夢だ。
目を覚ましたとき、俺は道の上で寝ていた。どうやら倒れたらしい。空は夕暮れだ。雨は上がり、夕陽が差している。空の遠くの方ではまだ雷がゴロゴロと鳴っていた。俺は立ち上がった。物凄い勢いで走り続け、気絶したようだ。ここはどの辺りだろう。結構走って道楽の近くまでは来たようだった。俺は急いだ。
今見たのは夢だ。【一掴みの希望】。俺のスキルだ。未来が見える。
墓標が立っていた。俺のスキルはそう告げている。果歩は死んだと。不安と絶望感が湧いてくる。今までスキルが嘘をついたことはない。果歩は死んだのか。半ばあきらめながら俺は病院を目指した。
途中の家の窓は夕陽を映している。黒くない。黒い窓は不吉さを際立たせていた。酷くネガティブな夢だった。思い出すと飲み込まれそうになる。俺は辛い気持ちのまま病院に辿り着いた。恐る恐る受付で尋ねる。
「二階の病室に面会に来たのですが」
事務の若い女は俺を見上げ、用紙を差し出した。
「名前をご記入下さい」
女は俺をちらっと見て事務手続きに戻った。
俺は果歩の名前と自分の名前と日付、時間、続柄を記入して差し出した。生きていればこのまま面会に通されるはずだ。もし死んでいたら――。
緊張の余り、手が震えてしまった。絶望感を抑えながら、俺は答えを待つ。
「ではどうぞ」
女は何でもないようにそう言って階段へと促した。
ではどうぞ――?
今、そう言ったのか?
俺は信じられなくてしばらく女を呆然と見ていた。
「?」
死んでない。果歩は死んでない。
よかった――。
俺は安堵して階段の途中で倒れ込んでしまった。
寝ながら深呼吸をする。息が荒い。一生分の絶望感を味わったような気がした。涙が溢れてきた。
息を整え、ビニール袋を握りしめて立ち上がった。まだ終わったわけではない。そのまま果歩の病室に向かう。
病室に入ると果歩は寝ていた。隣に砂川がいる。
「冬介。お前……、どうしたんだいきなり」
「果歩が心配で」
果歩は寝ているが表情は少し苦しそうだ。
生きている果歩だ。切なさが込み上げてきた。
「急にうなされ始めたんだ。熱も出ている。原因はわからない。告死病の症状なのだろう」
やっぱりそうだったか。急いできてよかった。
俺は思い出したようにビニール袋から紙包みを取り出して中を確認した。お茶のような葉っぱが入っている。
「少し待っていて下さい」
そう言って給湯室で湯を沸かせた。果歩のコップを持ってきて急須を使って月光草の葉っぱでお茶を作った。それを果歩の部屋まで持っていく。
「茶を入れたのか? 何も飲み食いできないんだ」
果歩の腕には点滴が刺さっていた。
「果歩。頑張って飲んでくれ」
そう言って果歩を抱き起こし、口元にお茶の入ったコップを近づけた。
それを少しずつ飲ませる。
何とかコップ一杯を飲み切った。また静かにベッドに寝かせてやった。
すると、少し経って果歩の苦しそうだった表情は落ち着き、寝息を立てて寝始めた。表情は安らかだ。
「お前、何を飲ませたんだ?」
「月光草という万能薬です」
「そんなもの、どこで手に入れたんだ」
そう言いながら砂川は果歩の熱を測った。
「ちょっと色々ありまして」
「平熱だ。下がっている」
「多分、もう大丈夫だと思います」
「大丈夫? 告死病は治ったというのか?」
「はい、多分」
砂川はため息をもらして椅子に座り込んだ。
「何てことだ。お前ってやつは」
果歩は静かに寝ている。多分目が覚めれば治っているのだろう。
その後は、砂川に俺が見ているからと言って家に帰るように言われた。俺はその通りにした。
もしまだ辛そうなら飲ませるようにと言って月光草の残りを置いていった。
よかった。本当によかった。山田に感謝しなくてはならない。
果歩の長い闘病生活もおそらくこれで終わりだろう。俺の方まで夢を見ているような気分だった。




