66、一条の光
十月のある日。
外は小雨が降っている。
午前中に電話が鳴った。
山田柑奈。
いつかの夜に街道で出会った紫学生の女だ。
「はい」
『こんにちは。私のこと覚えている?』
「覚えてるよ。名前が出ている」
『遅くなったけど、お礼がしたいから、今出てこれる?』
どうやら渡したい物があるらしい。
用事があってちょうど紫苑に来ているそうだ。
俺は今から行くと返事をした。
待ち合わせ場所は「利休」という喫茶店だ。店の前で待っているという。大通りに確かあったはずだ。俺はそこへ向かった。
一本道を抜け、大通りを西にしばらく行くと見えてきた。古風な造りの喫茶店だ。店の前で傘を差して待っている山田の姿が見えた。こっちに気づいて手を振っている。
「ちょっと、傘はどうしたのよ」
「いいよ、これぐらい濡れても」
「駄目よ、もう」
そう言って山田は傘を差しだしてきた。
「久しぶりね」
「二か月振りだよ」
「あの夜はロマンチックだったわよ。またやりましょうね」
「そのうち」
「もう、気のない返事ね」
山田はグレーのセットアップにクリーム色のカーディガンを羽織っていた。薄く化粧をしている。傘のない方の手には紙包みを持っている。
「これ、遅くなったけど、お礼」
そう言って紙包みを渡してきた。
「月光草を乾燥させたの。お茶にして飲むだけでいいのよ」
「月光草?」
「万能薬よ。聞いたことない?」
「万能薬……」
「きっと何かの役に立つと思って」
「ありがとう」
「私があげたっていうのは内緒ね」
何でも知り合いから月光草を預かり栽培してほしいと頼まれたらしい。
山田は紫学校の農学部で花卉を学んでいるという。
苦労の末、増やすことに成功したのでこうしてこっそりと渡すことができた。
「その辺でお茶でもしたいところだけど、私用事があるの。また今度会いましょうね」
山田はそのまま傘を差し、歩いていった。
俺は紙包みを持って呆然としていた。
万能薬?
まさかな――。
果歩の告死病が治るとは、このときは思いもしなかった。そんな簡単にはいくはずがないと。
しかし、ここ数日、果歩からはメールを送っても返事が来ない。
それも心配だったので、また一度道楽に帰ろう。
俺はそう思って、帰る途中のギルドに寄った。
露九戊の部屋に通してもらった。ノックをして中に入る。
「失礼します」
「どうした」
机の向こうで椅子に座る露九戊がいる。
「すみませんが、もう一度道楽に帰りたいのですが」
「いいぞ、許可する」
「……」
「まだ何かあるのか?」
「月光草、というのをご存じですか?」
「月光草? 宝草のか? 場合によっては一株で家が建つほどの高級植物だ。一般には流通していない。それがどうした」
「万能薬と聞いたのですが、告死病も治りますか?」
「治らない病はない。告死病も例外ではない」
治る――?
まさか。じゃあ果歩の病気も治せる?
一瞬にして絶望が希望に変わったような気がした。
「あ、ありがとうございます。失礼します」
「ああ、気をつけて行け」
部屋を出ると、俺は反射的に携帯の果歩からのメールを開いた。最後のメールは五日前だ。それから途絶えている。内容はいつもと変わらない。何故急に途絶えたのだろう。そのとき、今まで思いもしなかったことが頭に浮かんだ。まさか、死んだのでは。
血の気が引き、一瞬目の前が暗くなった。そんなはずはない。いつもと変わらないメールが来ていた。そんな急に容体が変わるわけない。しかし、告死病というのは医学の本にも載っていない。医者にも診断できなかった病だ。何があるかわからない。
果歩が死んだ――。
もうどこにもいない。
希望に変わった絶望が再び引き戻った。
ギルドからの帰りの大通りで立ち尽くした。携帯を握る。
そうだ、砂川に聞けばいい。
しかし、怖くてそれはできなかった。
すまない、冬介――。
そんな言葉が返ってくる気がした。
気がつくと俺は夢中で走っていた。小雨の降る通りを何も考えず走った。
確かめに行くしかない。
俺は宿舎の食堂にビニール袋をもらいに行った。傘は持っていない。紙包みをビニール袋に入れた。奥の席に猿田とノエルがいたが挨拶している暇はなかった。急いで食堂を飛び出し、また走った。
全力疾走すれば間に合うかもしれない。果歩は苦しんでいて、タッチの差でもしかしたら間に合うかもしれない。そう考えると立ち止まれなかった。
生きていてくれ。
息が切れる。それでも俺は走った。




