63、あの丘の上
あるところに一人の男がいた。子どもの頃、いじめに遭い、精神病を患い病院に通っている。就労訓練、施設、彼はどこに行っても見下された。はっきりと口には出さないが心の中ではそう思われていた。
何だ、あいつか――。
どうせあいつだ――。
冒険者風に言えば彼は場力で負け続ける人生だった。威圧され萎縮し続ける。周囲の勢いを高めるためだけの存在になっていた。
彼は今日も病院の帰り道を下を向いて歩いていた。
そんな姿を一人の看護婦が、病院のある丘の上から見ていた。看護婦は彼のその姿を見て泣いていた。
六畳結界。抜庭。古代庭園。
彼らは共通のものを持っている。
それは俯く姿だ。
下を向き、何かを見ている。
そこにあるのは、床のシミだったり、鉢植えの花だったり、机に無造作に置かれたボールペンだったりする。微動だにせずに見つめている。そこに希望や喜びはない。あるのはどうしようもない絶望感と、深い悲しみと、救いのない全てのものだ。心は苦しみで満たされている。
下を向き、前屈みになり俯いている。それが六畳結界に入っている者の特徴だ。その姿には精霊でさえ涙をこぼすほどだ。
精霊だけではない。
彼らの苦しみには看護婦も涙を流し、魔物も同情する場合がある。
あの洞窟でもそうだった。
モズの魔物はただじっと洞窟で待っていた。ここには人間が来ることがわかっていた。魔物になり人間のことがわかるようになった。モズはどんな人間が来るのか待っていたのだ。こういう類の好奇心を持つ魔物は少なくない。
そして、来たのがあの三人だった。
三人の姿から言葉では表せないような悲哀を感じた。今まで見た人間たちとは違う。悪魔の襲来を控えていたからだ。
そんなものは来ない――。
魔物はただそれだけを伝えたかった。ずっとここにいればいい、と。
思えば泉の魔物も助けになってくれた。
男は今日も部屋の隅で俯いていた。そのとき、窓の外を黒いものが降るのが見えた。外に出てみるとカラスが死んでいた。年寄りのカラスのようだった。可哀想。こうはなりたくない。大抵のものが抱く感想だ。しかし、男は違った。カラスを凝視する。何かが見えそうだ。誰もあいつにはなりたくない。誰もあいつとは深く関わらない。大抵のものが俺に抱く感想だ。だが俺は違う。
街が見えた。
俺はそんなところにはいない。
男は街を見ていた。懐かしい街だ。見下ろしながら段々遠のいていく。街の端に崖の上にいる狼が見えた。
一か八かの賭けだった。街の取っ掛かりをカラスの死骸から見つけてそれを掴み取った。
それ以来誰もがその男の背中しか見れなかった。俯いていた男の、誰もがその背中を追った。追い着けるものはいなかった。男は全てを置き去りにした。
【古都ブルネンシュティグ】。
どこかにあるといわれる、幻の街だ。ユグドラシルとはどういう関係があるのかはわからない。彼らの心にはどういうわけかその街の面影が残っている。古代庭園はその街の外れにあるフィールドだ。源力持ちたちの感じる懐かしさはそこから来ている。古都に一番近いのが抜庭。次が源力持ちだ。
古都を見たものは雰囲気を一転させる。人間の辿り着ける最奥の境地だ。そこから源力を湧き水のようにとることもできる。
現在、古都を視覚的に捉えた人間はユグドラシルに三人だ。
源力と六畳結界。そして古代庭園、という流れがスタンダードだが、行郎のように前後する場合もある。
壱下軽馬は大きな力を行使した。部外者が関わってはいけないという葛藤の末、場力を展開した。
これを最後にもう何もしないと決めた。
おかげで路是法により、テクノロジーは巻き戻り、ゼットコングとの接触も回避することができた。
そして現在、異例の抜庭が同時に三人存在するという時代を迎えた。
私が生きているのも何かの縁かもしれない――。
季節は秋。九月二十八日。
壱下は細くなった月を見上げていた。




