62、街道の夜
病院を出ると外は少し涼しかった。長袖でも夜はそんなに暑くない。
病院に夜までいてしまったから、これから歩いて帰って紫苑に着くのは朝になる。通りを歩いていくと浴衣姿の人がたくさん歩いていた。花火の帰りなのだろう。商店の前ではかき氷の屋台が出ていた。片付けが始められている。
道楽の町を出かかったとき、民家の庭で花火をしている家族がいた。夜風に乗って煙の匂いがする。俺も子どもの頃はよくやっていた。懐かしい匂いだ。
町を出たらしばらくは街道に沿って行くことになる。人通りや建物はまばらになる。死兵がいるかもしれないから気をつける必要がある。死兵は木偶とは違う。木偶は人が直接操作するから生身の人間のような佇まいだが、死兵は人形劇に出てくる人形のようだ。落ち着きがない。人を見ると近づいてくるが、殺しはしない。誰かによる自動操縦だと猿田は言う。一体誰が、何の目的でやっているのだろう。
夜の通りは真っ暗だ。街灯もない。さすがに照明魔法をつけないとまずいだろう。帰りは手ぶらだから楽だった。道の真ん中に立ち、目を閉じてみた。しんとしている。何度も場所を行き来して思ったが、目的地に向かって歩くのは気持ちがいい。目を開けて歩き始めると前方に暗闇がどこまでも伸びている。いつの間にか暗闇に吸い込まれて迷宮の中にでも迷い込んでしまうのではないかという気がしてくる。もし外地だったらそういうこともあるかもしれないが、ここは内地だ。その心配はない。時々前方に蛍のようにぼんやりと明かりが浮かび、こちらに向かって近づいてくる。俺と同じように街道を歩く人だ。そして明かりに照らされた民宿の暖簾がたまに見える。
俺は昨日、この辺りですれ違った吾妻慶一のことを思い出していた。柄の悪いカリスマという感じだった。あのような雰囲気を出して歩くものは他に誰も見たことがない。
照明魔法を手で待つのが億劫になってきたので、胸ポケットに挟んで歩いた。すると目の前に急に人影が現れて俺は慌てて避けた。道の上に若い女が突っ立っていた。女は俺に気づいてもいないような仕草でただ立っていた。何だろう。しばらく歩いて俺は立ち止まった。何故こんなところに女が何もせず立っているのだろう。俺は引き返した。
「あんた、何やっているんだ?」
人影の前まで戻って来るとそうやって尋ねた。
「電池切れたの」
そう言って女は懐中電灯を片手で振った。
「どこに行くんだ?」
「木目黒」
木目黒なら結構前に通り過ぎた。
「ここで突っ立っていると危ないぞ。この先に宿がある」
「いいの。こうやって明るくなるまで月を見てるの」
女を見たとき事件の匂いがした。その予感は的中した。スキルが発動して映像が挟まれた。
暗闇に映るのは人が引く車だ。座席から腹の出た男が身を乗り出して女を見る。車を引いていた大柄の男が女を押し倒して首を絞める。やがて意識を失った女を車に乗せ、走り出した。腹の出た男は女をまさぐり、体を舐め回していた。誘拐だ。
俺は女の手を掴んで歩き出した。
「な、何? ちょっと」
女は抵抗するが説明している暇はない。道の先にある次の宿を目指した。
「ちょっと待って」
女が手を振り解いた。
「何なのよ」
俺は黙って女を見ていた。すると、後ろから車がやってきた。あの醜男の乗っていた車だ。俺たちの前で止まると明かりをこちらに向けた。
「おい、邪魔だ小僧。む、女がいるな」
品定めするような目で女の下から上へと視線を這わす。それを見ていた俺は二人の間に割って入った。
「何だ、貴様。う……」
ズッ
怒りを思い切り浴びせてやった。醜男に怒りの場力を叩き込んだ。それを見て屈強な男が梶棒から手を離し、俺の正面に立った。猿田より背が高い。掴みかかるように手を伸ばしてきた。胸ぐらを掴まれた。持ち上げようとしてくる。それを確かめると同時に反射のように大振りの右フックを男の左頬に打ち込んだ。あまりの速さに男は俺の胸ぐらを掴んだまま白目を剥いて崩れ落ちた。俺は男の手を襟から外した。念のため殴殺は使っていない。間違って強化してLキャストでも放とうものなら生身の人間は死んでしまう。
「ヒッ」
醜男が青ざめる。この男はどれほどの悪事を働いてきたのだろうか。全て吐かせて牢屋に入れたいところだがこの場所では難しい。
「パ、パパに、パパに言いつけてやる」
ドゴオン
俺は殴殺で車を粉々にした。男が尻餅をつく。
車に黒い竜の紋がある。井黒の貴族のようだ。
「聞こえないよ、パッパラパ―」
ズズズ
殺気を込めた場力を浴びせた。車の尖った破片を男の首に当て、少し突き刺した。脅すように睨みつける。
「あ、がはあ」
男は口を開けて泡を吹いた。場力の重圧に耐えられなくなったのだろう。もう二度と悪さができないようにしてやりたいところだが、気を失っては仕方ない。しかし、もう十分だった。男はこの先、少しでも場力の矛先を感じるとこの日のことを思い出して失禁するようになる。
女が隣で呆気に取られて見ている。
「何なの」
「こいつらに誘拐されるところだった。あそこに突っ立っていたままでは」
「……」
男は下半身を湿らせていた。漏らしている。
「礼を言えばいいの」
「まあ、そんなところかな」
「わかったわ。携帯の登録をさせて。後でお礼するから」
俺は言われた通りにした。
女はキャミソールに半ズボンという格好だった。手には鞄を提げている。
「あなた、冒険者?」
「そうだよ」
「女の子の匂いがする」
俺は慌てて服の匂いをかいだ。果歩の匂いが残っていたのだろうか。
「私は山田柑奈。ちゃんとお礼するから朝までいなさいよ、心配なんでしょう?」
それから山田柑奈は朝まで俺に絡み続けた。年は十七。白亜の紫学校に通っているらしい。夏休みで親戚の家に行くところだったそうだ。道の端に座り、俺に寄りかかってきた。
「女の子がいなければよかったのに」
そう言って腕を絡めてきた。柔らかい胸の膨らみが当たる。
学校にはろくな男がいないと嘆いていた。髪を後ろでまとめている。首筋から甘い匂いがする。
「まだ、経験はないみたいね」
山田は俺を見ていう。
「これ、香水の匂いじゃないのよ」
何を言っているのかわからなかった。
「まあいいわ、今晩くらい女の子のこと忘れなさいよ」
そう言ってもたれてきた。
真夏の夜中の街道はひっそりとしていた。時々明かりを灯した人が通り過ぎたが、俺たちは息を潜めてやり過ごした。人が通る度に悪いことをしているような気分になった。気づかれないかどきどきしながら二人で道の隅で寄り添っていた。
東の空はまだ真っ暗だ。照明魔法も消して何も見えない。山田の体の輪郭だけが微かに見える。無言でいると相手の息遣いだけが聞こえてきた。しばらくそのままで過ごしていた。俺は面倒だったので流れに任せることにした。
気がつくと山田は俺の肩に寄りかかりながら寝息を立て始めた。穏やかな風が吹く。俺は起こさないようにそのままでいた。
山田は礼をすると言った。このときは何も期待はしていなかった。これがまさかあんな重大な結果を招くとは、思いもしなかった。




