外伝、奏
つどいの広場で夕食会が開かれていた。秋も深まった頃だ。職員によって豚汁が作られて、利用者に振る舞われた。グルグル回る症状が治まって、施設から夕食を作りに行くサービスも中止になった。その代わりにこうして週に一度夕食会が開かれるようになった。是非来て下さいね、と言われ行郎も誘われていた。
施設の台所で大きな鍋で豚汁が作られて、それを器に入れて配る。休憩所で座って待っている利用者たちに舞も一人づつ器を配っていた。周りを見回しても行郎の姿はなかった。今日に限らずここのところ行郎の姿を見ていない。最後に見たのは半月ほど前に最後の夕食サービスで家に肉じゃがを作りに行ったときだ。
行郎は無言で食べ、舞は向かいのテーブルで日記を見せてもらっていた。ご飯、ふりかけ、ご飯、ふりかけ、カレー。カレーは舞が作った。舞の作るメニュー以外はほとんどご飯とふりかけだった。
「ふりかけ、美味しいですよね」
施設から夕食を作るだけの出張ではなく、行郎に料理を教えるのもやろうという提案が出かかったところで出張サービスは中止になった。
行郎の症状が安定したというのもあるが、職員の一人が出張サービスに否定的だったからだ。えこ贔屓だろうと文句を言った。舞が事務所で行郎の話をする度に舌打ちもした。神部洋二というその男は施設の古参の職員だった。まだ三十代だ。今年になって配属された舞にときどき舐めるような視線を這わせる。他の者は気づかないかもしれないが、舞はそれが気持ち悪かった。
しかし、あるときから神部は仕事を休みがちになった。体調が優れないというが、段々無断で休むことも多くなった。そしてその間、行郎は一度も施設に来なかった。人員は足りていたし、神部の性格も理解していたから施設長は特に対応はしなかった。そんなことよりも舞は行郎のことが気がかりだった。ちょっと様子を見に行った方がいいかもしれない。施設長がそう言った頃、とうとう神部が仕事に来なくなった。
今日で一週間、無断で休んでいる。電話をしても出ない。行郎の様子を見る前に神部の方を先に確かめに行こう、ということになった。職員を一人残して施設長と舞が確認しに行くことになった。
神部の住むアパートの前に来た。呼び鈴を押すが返事はない。玄関のドアは空いていた。ドアを開けると中からものが腐ったようなにおいがする。むっとするような匂いだ。嫌な予感がした。bタキオンだ。中に入るとフックに吊られた紐で首を括っている神部がぶら下がっていた。部屋には排泄物の匂いも立ち込めていた。遺体はまだ腐ってはいない。ぶら下がったままだ。
「何でよ」
施設長はそれだけを言って紐を切った。ゴトンと神部の体が崩れて床に落ちた。まるで人形が崩れるような落ち方だった。
舞はただ茫然とそれを見ていた。
辺りに遺書のようなものはない。その代わり、床一面によくわからないお経のような漢字がびっしりと書かれた紙が敷き詰められていた。床だけでなく一部には壁まで書いてある。
居間の座卓の上に藁の束があり、そこに行郎の写真が貼られていた。写真には小刀で何度も突き刺した跡があった。窓際には服の上着がぶら下がっていた。よく見ると行郎がいつか着ていた上着だ。窓は行郎がいる方の方角だ。これを依代にして念じていたのだろう。
「何これ、きっしょ。早く行った方がいいわ」
施設長にそう言われて舞はアパートを飛び出した。行郎が心配だ。急いで行郎の家に向かった。
何が起きているかわからない。余りの非現実的な光景を見てパニックになりかかっていた。どうか何も起きていませんように。無事を祈った。
やがて、行郎の家に着くと玄関のドアが開いていた。呼び鈴も押さずに中へ入った。行郎の部屋へ向かう。
「筧さん!」
部屋にはこちらに背を向けて立っている行郎がいた。
下を見ている。
「筧さん。大丈夫……ですか」
生きていた。
その姿を見て舞は安心した。
「声が聞こえていた」
行郎はそれだけを静かに言った。
舞は事情を全て説明した。
「呪い……」
自分が神部に呪われていたことを理解した。
「悪いことをした」
「いえ、私は、死んでくれてよかったです」
「……」
「筧さん……。また、来て下さい」
日記帳が見える。最後に書かれた文字は肉じゃがだ。それ以降は書く余裕がなかった。
その日の夜、日記帳には久々にご飯、ふりかけの文字が追加された。
「来週の木曜日ですからね。きっと来て下さいね」
そして夕食会の日。
行郎はつどいの広場にやって来た。今日のメニューはちらし寿司と外に看板が出ていた。中で舞が出迎えてくれた。一週間振りの舞は水色のワンピースにサンダルという格好だった。思わず見惚れてしまった。職員として相応しくない格好だったが施設長は見逃した。利用者の男たちも見惚れていた。
パタパタと動き回るとヒラヒラと裾が舞う。ちらし寿司のように施設内に華を添えていた。
行郎はいつもの隅っこの席だ。神部の葬式は数日前に終わっていた。身内だけで行われたようだった。
久々に来た行郎はヒーローのような扱いだった。神部の話が利用者にも漏れたようだ。
「それにしても大変だったよな」
「よう、何か言えよ旦那」
「舞ちゃん可愛い〜」
「お前じゃないって」
場が賑やかになった頃、舞は休憩所の隅に置いてあるギターで余興の弾き語りを始めだした。
「では、聴いて下さい」
部屋が静まり返るとギターの前奏が始まった。続けて歌が入る。
――大切なあなたへ、私に気づいてほしいから。
「うおおー、舞ちゃーん」
「ひゅー、ひゅー」
――夜空の月の下、歌に込めて奏でるメッセージ。
「逃しませんよー、旦那ァ」
「さあ一言!」
囃し立てる利用者に釣られて何かしなければという空気になる。困った表情をする。
すると舞は歌を止め、行郎の前に行くと手を引いてステージの方へ連れ出した。
そこへ座って、ギターのイントロが始まる。
――どうしてそこにいるの。暗い日陰の隅で。いつからそこにいたの。世界が終わる日の夜。
悲しいメロディの歌だ。行郎は隣で聴き入っていた。
――大丈夫だと言って笑う。朝が来て日陰だけが空っぽだった。誰も知らない。そこにいたあなたを。いつまでも待っている。
気がつくと舞の目に涙が浮かんでいた。段々涙声になってくる。観客たちも釣られて涙と鼻をすすり始めた。
「いなくならないで下さい」
舞はギターを膝の上に置き涙を拭っている。
行郎はいつか誰にも気づかれずいなくなる。そんな雰囲気を出していた。
行郎は何も言わずに、舞の手を握って笑った。
こうして夜は更けていった。




