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60、帰郷

 夏の間に暇を見つけ、俺は一度だけ道楽に帰った。

 故郷の話をしたら猿田に支部長には言っておくから里帰りでもしろと言われた。

 八月の初めだ。その日、俺は非番のときに着る紺のズボンと水色のシャツで宿舎を出た。

 お土産を買っていこうとして道の途中にあるデパートの地下へ寄った。名物の焼き菓子を手に入れた。果歩には事前に連絡しておいたからきっとギルドのあの休憩室でみんな揃って待っているだろう。気をつけて帰ってきてねと言われた。暑さでぶっ倒れないようにという意味だ。あとは死兵と出くわさないように。昔は車に気をつけてという意味だったが、今はそういう使い方はしない。

 出発したのは昼前だったから着くのは夜になるかもしれない。俺はできるだけ早足で歩いた。

 少し前に果歩が携帯端末で撮った写真を一枚だけよこした。病院の庭のベンチに座っているところを砂川が撮ったのだろう。別れたときからあまり時間は経ってないが大人びていて驚いた。猿田に見せたらお前にはもったいないぐらいだな、と言われた。確かに果歩には不思議な魅力がある。何気ない仕草にそれが出る。病気で苦しんでるからだろと猿田に言われた。

 このときはまだ詳しくは言わなかったが、果歩は告死病だそうだ。不治の病だ。どの医者に見せてもわからなかったが、通りすがりのある旅人に呼び止められ病名を告げられたそうだ。段々弱っている。

 西門を出て白井本国を離れた。ここから井黒まで続く街道が真っすぐ伸びているが、道楽へは途中で折れる。真夏の太陽に焼かれながら街道を歩く。暑いけど風がある。風に吹かれながら何も考えずに歩いていた。すると少し先から黒いシャツを着た男が歩いてきた。夏なのに俺と同じ長袖だ。しかし目立つのはそこではない。異様な雰囲気を纏っている。淀みも滞りもない歩き姿だ。澄んだ空間がそのまま移動しているようだ。何も考えていない、という姿だ。俺はそれを傍から初めて見た。ときどき何かを引き摺って歩いているように、腐ったものを見ているような目線になる。我が入る瞬間だ。しかし見ていると落ち着く。これが何も考えていないというやつか。俺の方は見向きもせずに通り過ぎた。あとで今のが吾妻慶一という男であることを知る。離れた町に野菜の種を買い付けに向かっていたところだ。俺も傍から見るとあんな感じになるのだろうか。

 しばらく俺は吾妻慶一の姿が頭から離れなかったが、気づくと大分歩いていた。歩くのは苦ではないから距離は長くは感じなかった。日が暮れる前に道楽に着いた。といっても時刻はもうすぐ夜の七時だ。路地裏の道を歩く。地面が少し濡れている。打ち水をした跡だ。懐かしい見慣れた町の風景が続く。たばこの自動販売機があって敷島が売り切れになっていた。通りかかった杉林の中からはひぐらしの鳴き声が聞こえてきた。夏の風物だ。俺は耳を澄ましながら通りを歩いた。油蝉に混じって鳴いている。涼しさを感じさせる鳴き声だ。水浴びをしたかったので俺はギルドに行く前に自分の長屋へ戻った。

 破れた庇に垂れ下がった洗濯紐。排水溝には木の板の蓋がしてある。懐かしい長屋だ。共同の風呂で水浴びをした後、部屋で白いシャツに着替えた。部屋は出たときのままだ。雨戸が閉まり薄暗い。外も暗くなりかかっていたので俺は急いでギルドに向かった。


 ギルドに行くと一階の受付に佐藤小豆がいた。


「あ、相葉さん! こっちこっち」


 手招きされ、二階の休憩室に促された。


「私もあとで行きますからね」


 そう言って小豆は受付に戻った。

 二階の休憩室の前に靴が三人分ある。


「どうも、こんちは」


 障子を開けると果歩と砂川、そして斉藤政次がいた。


「来たな、さあ座れ。久しぶりだな」


「お久しぶりです、相葉殿」


「お久しぶりです」


 砂川と斉藤に挨拶をする。果歩は俺を見上げながら微笑んでいる。写真で見た通り大人っぽく見えた。よそいき用の服を着ている。


「家に寄ってきたので遅くなりました」


 俺はずっと手に持ってきた土産を差し出しながら言った。


「なによそよそしいことやってるんだ。まあ飲め」


「こんなのずっと持って歩いたの?」


 果歩が俺の苦労に気づいてくれた。


「いらなかったのに」


「お前が一番の土産なんだ、さあ飲め」


 そう言ってビールをグラスに注いでくれた。


「夜番殿も」


 斉藤が砂川のグラスに注ぐ。俺が来るまで待っていたようだ。

 こうして宴会が始まった。ほどなくして小豆も席に着いた。


「向こうはどうなんだ。みんな心配してるぞ」


 そういう砂川が一番心配なのだろうと思った。


「過酷な仕事も不当な待遇もありません。上手くやってますよ。こっちはどうなのですか?」


「お前が行ってから急に腑抜けた赤短になった。この前の仕事は赤子のお守りだった」


「正確に言うとこちらの通常任務のどれか一つを遂行しろというものでした。お使いかお守りか、そんな感じです、ずっと」


 斉藤が説明した。


「あとはたまに死兵が混じるくらいだ」


 毎日が平和になったそうだ。よかった。


「果歩はどうなんだ」


「調子いいよ」


 悪くはなってない、と砂川が付け足した。完治させる方法はまだ見つかっていない。

 今日は果歩もビールを飲んでいた。大丈夫だろうか。心配して見ていると途中からオレンジジュースに変わった。

 宴は夜遅くまで続いた。


「私も果歩ちゃんみたいに誰かほしいよう」


 かなり酔ってきた小豆がぼやいた。

 斉藤は座卓のへりに額を乗せて寝ていた。


「この前、声かけられていたじゃないか、中々の男前に」


「大分年下だったので」


 小豆は二十代後半らしい。随分幼く見える。


「携帯の出会いの広場っていうのがありますよ」


「そういうところに群がる男はいいかな~」


 俺の提案は受け入れられなかった。色々選り好みがあるようだ。


「仕事してればそのうち出会う」


「もうすぐ三十なんですよ」


 結構焦っているようだ。俺も頭の片隅で覚えておくと言っておいた。向こうでいい男がいるかもしれない。そういえば猿田も三十だ。でも猿田は独り身を好みそうだ。釣りと読書が恋人だって昔言ってたような気もする。


「お前はいつまでいるんだ?」


「急の電話があるかもしれないので、明日帰ります」


「何だ、すぐじゃないか。また来いよ」


 今日はみんなの元気そうな顔が見られてよかった。

 果歩の病はスキルでも治せないらしい。それでもあきらめずに俺は治す方法を探すことを決めた。


 最後に明日帰る前に病院に寄ってと果歩に言われた。

 俺は頷くと宴会も解散となった。

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