59、川祭り
秋の彼岸に川祭りが行われる。
川の精霊は山の精霊でもあり、春の田植えの前と秋の収穫の頃に年に二度行われる。川の精霊は春に川を下り、秋に山に帰ってくると言われている。今日もギルド主催の川祭りが、小鳴り川の河原で行われた。俺たちも四人で河原に向かった。露九戊は手拭いを巻き、エプロン姿でだんごを焼いていた。どぶろくが振る舞われ、大きな鍋で煮しめが作られていた。おはぎも配られている。紙の器に分けてもらって河原に座り食べていた。人も大勢出ている。遠くで三味線太鼓の音が鳴っているのも聞こえた。
「精霊に一番愛されるのは百姓だそうだ」
猿田が言った。
「芋を土に埋める姿を精霊が興味深そうに見ている。精霊が興味を示すのは一部の人間だけだ」
精霊が去るとその世界は廃れるという。精霊にどれだけ興味を持ってもらうかがその世界の存続に大きく関わっている。そのためにもこういったお祭りは欠かせない。日々自然と向き合っている百姓はそれだけ重要な存在だという。
「白井国内で調査した結果、車がまだ世の中にあった頃は子どもの将来なりたい仕事の一位が冒険者、最下位が百姓だった。しかし車がなくなった今、百姓になろうとする子どもは少なくない」
「それは知りませんでした」
「何故だかはわからない。大人に対して行った調査でも転職したい仕事の一位が百姓で最下位が冒険者だ」
「俺も畑は少しあります。重労働だけど、作物が育って実るのは見ていて嬉しいですよ」
「そうだな。人間関係や人工物に疲れると自然に帰りたくなるんだ。冒険者は素養がなければなれない。スキルの素養だ」
酒を少しずつ飲みながら祭りの雰囲気に浸っていた。川面をかけてくる風に吹かれ遠くを見ると木造の橋の欄干に身を預けて見物をしている人たちが見えた。
露九戊が今度は白装束を身につけ、川に入り祈りを捧げていた。すぐ後ろで同じ姿をした若い娘も川に入り、供え物を持ってあとについている。空気が澄んで傍らに精霊の気配があるような気がした。
俺たちは河原に座ったまま、日が暮れてゆく景色を眺めていた。
「彼岸にお祭りがあるのですね」
「元々は仏教行事だ。ご先祖様に感謝をするという。今でこそ君の横顔。の説が有力になったが、以前は死者のいる場所を彼岸、俺たちがいる場所を此岸といった」
「君の横顔。は仏教より説得力あるのですね」
「理屈にかなっているし、生きているものにもそっちの方が嬉しいからな。死は悲しくない。次へのスタートだ。仏様や神様は精霊と括られるようになった。川祭りも支部長がやっているように精霊への感謝の日というようになった。仏教で霊という概念が生まれたが、霊というのはちょっと怖いしな。しかし、俺は個人的には相葉の説が好きだ。一時待避所があるというやつだ。命に疲れたらそこで休んでいられる。ちょっとしたお茶菓子とそばでラジオがかかっている」
「何か都合が良すぎないか」
芽留が言う。
「いいじゃないか、夢があって。あら今日はお彼岸だわ、行くの面倒くさいわ、って言ってな」
すぐ近くにここで一句、という立札のところに木が置いてあり、歌を詠んだ短冊が枝に結わえられていた。
「ここで一句……」
「山の子の しとねの上に 眠る頃 お囃子に乗せ あの川祭り」
猿田が詠んだ。何となく精霊が振り向いたような気がした。
「それは一首じゃないか」
芽留が言う。
「じゃあこれだ。どぶろくと ビールの精に 好かれたい」
「季語が滅茶苦茶だ」
ははは、とノエルと俺は笑った。
穏やかな夕暮れだ。少しずつ人が帰り始めた頃、子どもが二三人、寄ってきて声をかけた。
「相葉さんだ」
あのとき、サッカーをした子どもたちだ。挨拶をしてすぐに去っていった。
「なかなか筋の良いやつらじゃないか」
猿田が子どもたちの動きを見て言う。
「サッカーが上手いんですよ」
「そうか。公式スポーツには布陣スキルは禁止だからな」
しかし裏では井黒国にスキルも何でもありの賭けサッカーと賭け野球があるのを知っている。子どもたちはそっちを目指していると言っていた。
「さて、俺たちも帰るか」
露九戊に挨拶をして俺たちも帰途についた。




