61、花火に誓った言葉
夜中に長屋に帰ってきた。布団を敷いて窓の雨戸を開け、部屋の隅のちゃぶ台の前に座って外を眺めていた。古くなった街灯が灯っている。何もしない、何も考えないという技を身につけたのは紫苑に行くあたりからだ。それまではあまり意識したことのなかった我が家の窓からの風景だが、悪くないと思った。長屋の前には路地があり、その向こうには古い民家が並んでいる。そのうちの一つが、いつも二階の北向きの部屋に明かりが灯っている部分二階の家だ。三十過ぎのおじさんが籠っているのを俺は知っている。昼間はひっそりとしており、夜中になると明かりがつく。たまに窓が開いていてオールナイトのラジオの音が漏れてくる。近くの自動販売機によくたばこを買いに行く。それも夜中だ。俺はたまにすれ違うときに挨拶をして話をする。人間付き合いが苦手らしい。俺とは結構話をする。そして近くには長屋が所有する畑もある。街灯の明かりがぼんやりとそれらを照らしていた。宿舎の二階もいいけれど地面から見る景色もいいものだ。夏だから部屋は少し暑い。窓を開けて蚊取り線香を焚いた。涼しい風が入る。
暗闇に穏やかな時間が流れる。携帯に入っている音楽を鳴らせた。「雨の日の看板娘」。音楽には小さな世界が籠る場合があると筧に言われた。そういう音楽を子どもの頃に聴いていると大人になって聴いたときにその頃の情景が蘇るという。そんな歌だ。印象的なメロディだ。
半年足らずで色んなことがあった。もし砂川と出会っていなかったらどうなっていただろう。ギルドの雑用を細々とここで暮らしながらやっていただろうか。誰とも関わらずに季節が移ろうのを感じながら一人で毎日を送っていく。どちらも嫌ではないが、赤短はきついままだし果歩も病気で治し方を探せないままだ。だからこれでよかったのだ。
四時を過ぎた頃、空が明るくなり青白くなった窓の外でひぐらしが鳴き始めた。
ようやく眠くなってきて、布団ではなくちゃぶ台の前で横になって眠ってしまった。少し休むつもりがそのまま熟睡してしまった。
起きたのは昼過ぎだった。風もなく部屋の中は暑い。水道が止められているので風呂場に行って顔を洗おうとして玄関の扉を開けると紙袋が外に置いてあった。中を見るときゅうりと桃が入っていた。メモもなしにこんなものを置くのは管理人のおばちゃんしかいない。雨戸が開いているのを見て俺が帰ってると思ってくれたのだろう。遅い朝飯にちょうどよかった。俺はそれを洗ってありがたく頂くことにした。紫苑に出立する前に食い物は大体片付けたから冷蔵庫の中はほとんど空だった。きゅうりをかじる。桃は果歩に持っていってやろう。あとはポケットに昨夜の焼き菓子があったからそれを食べた。
水浴びをしたときに水色のシャツを洗って部屋に干しておいた。それを着て雨戸を閉めて出かける。
病院まではそんなにかからない。夏休みだから日焼けした子どもたちと通りで何度もすれ違った。空は晴れており、蝉が鳴いている。ゼンマイ式の音が鳴る玩具みたいな鳴き方だ。ゼンマイが切れるとぽとっと落ちて死んでしまう。たっぷりと地中でゼンマイを巻いてくるのだろう。日差しを防ぐため、窓に葦簀を立てている家が何軒か見えた。
果歩の病室まで来ると砂川も中で待っていた。黒いズボンにワイシャツだ。俺を見送るために少しましな服を着ているのだろう。果歩は寝間着姿だった。
「無理はしないでね」
そう言ってお守りをくれた。たこ(多幸)のお守りだった。俺の部屋のフクメンに少し似ている。
「たばこ吸ってくる」
そう言って砂川は外に出ていった。同じ部屋の婆さんも外に出ているようだった。二人きりになり、部屋が静かになると果歩は泣き始めた。
ベッドに座り、涙を手で拭う。
無理もない。こんなに若いのに死の病と戦っているのだから。今まで我慢していたのだろう。俺もベッドに座りそっと抱いてやった。すると果歩は堰を切ったように泣き出した。俺はただ大丈夫だ、と言ってなだめていた。果歩の体は華奢だった。シャツに涙の跡と果歩の香りが残った。砂川が戻ってくるまで果歩は泣いていた。
「体力をつけることが大事だと医者には言われている」
砂川が言う。しかしそれは完治させるためではなく命を延ばす手段だ。必ず何か完治させる方法があるはずだ。俺はそれを探し出すと果歩に誓った。
やがて日が傾いてきて夕食が運ばれてきた。砂川が売店で握り飯を買ってきたので俺たちはそれを食べた。突然、ドンッという音が鳴って窓の外が明るくなった。花火だ。近くの河原で花火大会をやっているようだ。部屋の窓からちょうど花火が上がるのが見える。
「きれい」
部屋を暗くしてしばらく見ていた。花火の震動が心地よく体に響く。
花火に照らされた果歩の横顔はとても儚く見えた。
「あと何回見れるかな」
果歩が小声で言う。
「ばあちゃんになるまで見せるよ」
「うん」
花火が終わると俺も帰る支度をした。
最後に果歩の手を強く握った。
「また来るよ」
そう言って俺は病院を後にした。




