外伝、スネイク(1)
菅井裕太は鉢植えの花をただじっと眺めていた。何の花かはわからない。忘れてしまった。どこかにレクリエーションに行ったときに買ったのだろう。
菅井は精神にも波はなく、性格も難がない。ただいくつかの症状があり、精神分裂病と診断されていた。その一つが密閉ができない、というものだった。飲み物の瓶や蓋のあるものを閉じることができない。誰かを閉じ込めてしまうと妄想するからだ。菅井の部屋にあるこういったものは全て半開きだった。
菅井の部屋は三号室だ。一階の一番奥だ。その隣の二号室に住むのが山本ありさ。人格障害を患っている。部屋には人形がたくさん置いてあるが、彼女にとって彼らは人形ではなく家族だった。一号室には桃田友美が住んでいた。幻覚が見えるというのが彼女の症状だった。二階には五部屋あり、男が住んでいる。皆、精神病だ。
露九戊の黒の箱庭が完成した暁に何か祝いがしたいと考え、宿舎の離れの部屋を空けて彼らのグループホームにした。医者には露九戊が何度も通って話をつけた。八人は病院を離れて自由に暮らせる。大喜びだった。
八人の住まいがいっせいに宿舎に移された。彼らはほとんどが初対面だった。大きな荷物を持ってそれぞれが病院から移住した。
その日、菅井の部屋の戸をノックするものがいた。六号室の土井辰雄だった。
「すみません、電話カード貸して下さい」
「あ、はい」
公衆電話で使う電話カードを借りにきた。それをきっかけに菅井と辰雄は親しく話をするようになった。菅井が二十七歳で辰雄が二十四歳だった。辰雄は幼少の頃からいじめを繰り返し受け、心を病んでいた。人間に対しては不信感を持っていたが、ここの住人、特に菅井には最初から好感が持てた。菅井は工業系の学校を出ており、携帯型のコンピュータを持っていた。辰雄は初めて見るそれに興味を持った。それ以来、大体の空き時間を辰雄は菅井の部屋で過ごすようになった。二人でコンピュータに向かいゲームをして遊んだ。菅井も友達がいなかった。それまではずっと一人でコンピュータをして過ごしていた。
その夜、お菓子のキャラメルを持って辰雄は菅井の部屋を訪れた。
「朝娘、っていうアイドルが好きなんですよ」
辰雄がそう言うと菅井はゲームの主人公の名前を「あさむす」に変えた。二人で笑っていた。
この二人に限らず、宿舎の他の六人もみなここでの生活に馴染み、症状もそれぞれ回復に向かっていった。
昼間は裏山を耕して畑にし、そこで農作業をして過ごした。朝になると一階の広間でミーティングをして仕事内容を確認して指導員の職員と一緒に作業をした。宿舎には、必ずギルドから一人指導員が入った。宿直も行った。たまに露九戊も指導員として参加していた。指導員は普段は本館の事務室にいた。
作業服に長靴を履いて作業する。農作業は気持ちがよかった。
畑では主に加工用のトマトを作った。それを食品メーカーに出荷していた。
一階には居間のようなスペースがあり、週に一度の夜、そこで寮生が集まってミーティングをした。これからどうしたらここをよくできるか。もっとよくしたい。みんな前向きだった。農作業のせいもあってか誰もが健康を取り戻しつつあった。自然の中で働くせいか、細かいことは気にならなくなってきた。菅井も段々と抵抗なく密閉ができるようになっていった。
食事と風呂は本館に行って済ませていた。中には寮で自炊するものもいた。
ミーティングで山本が犬を飼いたい、と言い出した。桃田がそれいい、と言い。五号室の益子修二もいいですねえと言った。隣で八号室の菊池工義も頷いていた。益子と菊池はいつも二人でいる。益子は二十代後半。菊池はおじさんだった。益子は剣道部の出身だ。性格も真っ直ぐで体格もいい。菊池はいつも無言で喋るとしても一言二言だ。二人とも精神分裂病だった。
宿舎の名前もこのときに決まった。「アミスリアン」。アミは家族、リアンは絆だ。
誰も疑わなかった。ずっとこのまま穏やかに暮らせると、そう思っていた。
数ヶ月後、露九戊は重い罪を背負うことになる。




