42、離れ
気持ちよく眠ってしまったようだ。気がつくと筧が向かいで半分消された明かりで本を読んでいた。
「お、起きたか。俺も少し前まで寝てた」
熊のプーを読んでいる。その隣でノエルが寝ている。猿田は金を払って出ていったようだ。時計は三時を示している。窓の外は真っ暗で、店にはもう他に誰もいない。
「声が聞こえるな」
「声?」
「ああ」
何も聞こえない。
夜中の食堂は静まり返っている。
「男の声だ。実は今回の交流会で俺が選ばれたのには理由がある」
「どんな?」
「もうすぐわかるはずだ」
筧は割り箸の袋を本に挟んで閉じた。
薄暗い店内に沈黙が流れる。
「ここはいいところだな」
「そうかな」
「いい空間になってる」
確かに食堂のこの場所は居心地が普通と違う。薄明かりの方が雰囲気が出る。
「猿田さんはいい気を持っている。ノエルさんも」
「何がわかるんだ?」
「そんなに大したことじゃないけど、俺は少しだけわかる」
勘が働くのだろう。俺はそういうのは全くわからない。
「そして一番気になるのはお前だ、相葉。お前の源力だけは特別なものを感じる。ある景色が思い浮かぶんだ。動物の群れや子どもたち。崖の上で哭く狼」
それは多分俺が描いた絵だ。
「誰かが源力を纏うと景色が見える。それと同じか?」
「景色が? 俺が見えるのはこれだけだぞ」
「宇宙や森の中の迷宮が俺は見えた」
「そういうのが見えるなんて聞いたことないな。源力を感じるのはあるよ。懐かしい故郷を想起する感じだ」
それはあるのか。しかし、景色は見えない。俺だけ特別なようだ。
「感性が他より鋭い俺でもお前から景色が薄っすらと見えるだけだ。あと、もう一人いるけどな、これが見えるのは。他の人はそれすらも見えないかもな」
そうなのか。みんな同じだと思っていた。
俺は抜庭だ。幼い頃の六畳結界がかなり特殊なものだったようだ。死んだらどうなるのだろうという夢想だ。果てのない恐怖の中に放り込まれるような感じだった。読み書きもまだできない子どもの立ち回りとは思えない。あんなことをする子どもは俺くらいだろう。
「お前はちょっと変わってるよ。悪い意味ではないぞ」
それを考えないように努めるのも大変だった。足を踏み外すとすぐに恐怖に飲み込まれる感じだった。今はもうその恐怖は感じない。
「ノエルさん、そろそろ起きましょう、ほら」
筧がノエルを揺すって起こした。部屋に戻らないと朝になる。座卓の上は大体片付けられていた。
三人はそれぞれの部屋に戻った。
俺は部屋に戻った後もしばらく何もしないでいた。眠くはない。あれだけ寝ればもう十分だった。壁に寄りかかって何も考えずにいた。冒険者になってから何もしないということを意識的にできるようになった。何かをする要領で何もしないをする。一種の喜びがある。
翌朝、電話が鳴った。露九戊からの仕事の電話だ。制服に着替えてギルドに向かう。
しばらくして四人が集まった。芽留はいない。
「今日の仕事の依頼主は私だ。これからある場所へ向かう」
そう言うと露九戊の後について俺たちも部屋を出た。筧はラジオを持っている。何に使うのだろう。
やがて宿舎の後ろにある離れにやってきた。俺もこの場所があるのはここに来た時から知っていた。一階建ての本館。そして二階建ての寮棟。その後ろにもう一つ、二階建ての建物がある。昔はここも寮として使ったいたようだが今は使われていない。
玄関のところに立札があった。「アミ……アン」。剥げていてよく読めない。
建物の中に入ると重苦しい気配を感じた。雨戸が張ってあり、薄暗くて辛気臭い。五人はその中を歩いて一番奥の部屋、三号室と書かれてある前までやってきた。気配の元はどうやらここにあるらしい。ドアを開ける。
畳の八畳間だった。陰気がすごい。低い唸り声のようなものも聞こえてくる。かなりの濃度のbタキオンだった。
「筧。頼めるか」
露九戊が言う。
「はい」
そう言うと筧はラジオをつけた。
『はい、ありがとうございましたー。ラジオネームみっきーさんからのリクエストで「サクランボ」でしたー。SHION放送では懐かしの曲をお送りしております。次の曲は「雨の日の看板娘」。では、お聴き下さい』
軽快な女性の喋り声と、それに続いてしっとりとした歌が流れ始めた。
五人は黙って歌を聴いていた。
音楽が部屋を満たす。涙を誘うようなメロディだ。悲しげな雰囲気に包まれ始めた。
陰気な部屋はきっと誰かが死んだのだろう。それを歌が洗い流していく。露九戊はただ黙って聴いていた。
やがて歌が終わった。筧はラジオの電源を切った。
さっきまでの陰気は大分晴れていた。
「まだ何かあるみたいです。この部屋のどこかに」
どうやらこの陰気の原因ともなるものがあるらしい。
しかし部屋には何もない。がらんとしている。
「みんなで探そう」
露九戊が言った。
猿田は部屋の窓を開けた。明るい日差しが差し込み、風が入る。
みんなで部屋の中をくまなく探し回った。
俺はふと入り口のところの床に目を留めた。床下に収納のスペースがあった。蓋を持ち上げる。
すると床下の地面にそれは落ちてあった。
人形と青い手帳だった。
「これですね」
筧が言う。
古ぼけた人形と手帳。それは障害者手帳だった。
それとのっぺりとした、少し不気味な人形だ。
「紙袋に入れて、これは捨てましょう。これでこの部屋も大丈夫です」
俺は手帳を開いてみた。名前と顔写真がそこにあった。菅井裕太。穏やかそうな若い男の写真だった。
「これ、俺がもらってもいいですか?」
捨てるのは忍びないと思った。男の顔はどこか悲しそうな表情だった。精神病の男だ。
「いや、相葉。捨てた方がいい」
「じゃあ、これだけでも」
そう言って人形を手に持った。
「お前がいいというならいいだろう」
俺は人形だけ、持って帰ることにした。
「相葉、すまないな」
露九戊が言う。
「この部屋はもう大丈夫です。また宿舎として使って下さい」
「ありがとう。すまなかったなお前たち」
こうして仕事は終わった。
bタキオンは波動だ。本人が死ぬときに放ったものが一番強い。死に際に部屋の中を動き回り、床下に大事なものを入れたようだ、と露九戊は言う。死の間際に六畳結界も張られていたようだ。
それともう一つは生きているものが出す波動だ。暗い部屋を暗いと思うと陰気が湧く。事情を知っている関係者がこの場所に対して出し続けた波動が溜まっていたのだろう、と筧は言った。
bタキオンの濃い現場ではよくないことが起きやすい。
俺は部屋に人形を持って帰った。あの写真の男を見て、怖いという気持ちはなかった。
俺は人形に「フクメン」という名前を付けた。それを座卓の上に置いた。おかしいくらい滑稽に見えた。
これで離れも宿舎として使える。あの離れは何なのだろうとずっと思っていた。猿田も知らないようだったから随分昔の出来事なのだろう。露九戊はこれで肩の荷を一つ下ろせたようだった。




