外伝2、スネイク(2)
冬のある日。宿舎に犬がやってきた。
まだ子犬だった。
ギルドの事務部長の吉田麻里香が捨てられていたのを拾ってきて宿舎にどうかと言って連れてきたのだった。宿舎では喜んで迎えられ、彼女の名にちなんでマリオと名付けられた。
餌やりが当番で決められた。餌は食堂から出る残飯をもらうことになった。宿舎の正面の庭に、犬小屋と共にマリオは繋がれた。散歩に連れていくのは主に山本と桃田だった。
ある日、作業療法で菅井は人形を作った。勝手がわからず、不気味な人形になってしまった。しかし、菅井はそれを大事にした。
朝のミーティングでも、辰雄は「絶好調です」という日が多くなった。この離れは母屋と違い部屋は八畳ある。前に建つ冒険者たちがいる母屋より待遇がいい。そのことで辰雄は気を張っていた。「あいつらきっと羨んでやがる。いつか挨拶に行ってやる」。体調もよくなり、気が強くなっていた。「やめなよ」と菅井は言ったが聞かなかった。今まで受けた分の健康な男への鬱憤が溜まっていたのだ。
毎日が寒くなり、寮生は一階の居間に集まることが多くなった。居間にはストーブが置かれている。部屋にも小型の暖房器具はあるが、皆この居間が居心地がいいのだった。本を読んだり編み物をしたりしている。窓の外には犬小屋にこもるマリオも見える。使われなくなった毛布が敷いてある。
寮生の中には働きに行くものも出始めた。四号室の室井義範と七号室の松本留御が魚屋と小売商店に雇われた。彼らは昼間、歩いて町まで勤めに出ている。
寮生の中にはスキルを使えるものがいなかった。ミーティングでスキルを覚えてみたい、という声が上がり、作業療法でスキルの講習が行われることになった。女子もいるから魔法スキルを、ということになり、集中軌道について丁寧に教えられた。そのときに各属性魔法に関する冊子も配られた。辰雄はその中から闇属性魔法の項目に目を止めた。何となく格好良さそうな気がしたからだ。
六番闇属性魔法【呪文】。
怨む相手を想像して気を蓄積させる。
その相手と自分に一本のパイプを繋ぎ気を送り込むイメージ。集中軌道は自分の中心。そこにエネルギーが集まる様を相手の姿と共に想像する。
書いてある通りに試してみた。しかし、感覚がよくわからなかった。後で試してみよう。
山本や桃田は火属性や光属性を熱心に見ていた。
精神病患者は深い内的世界を持つものが多い。内的世界でどこまでも力んでしまう。もし、内的世界での儀式が全て終わり、内側の力を全て何かに振り向けられるようになれば、魔法スキルの覚醒は造作もない。辰雄もその一人だった。
難易度の高いスキルだったが、すぐに感覚を掴んだ。暗闇の中に確かな仕事感を得られた。エネルギーがどんどん湧いてくる予兆がある。これだ、と思った。
十二月も下旬に入った頃。その日はやってきた。
「おい! 出てこい、コラァ!」
宿舎に怒声が響き渡る。離れではなく母屋だ。
「馬鹿にしてんじゃねえぞ、コラァ!」
声の主は辰雄だ。
「精神病だと思って馬鹿にしてんだろ、お前ら!」
「何だ? 誰だ、お前」
玄関で叫ぶ辰雄に三十歳くらいの男が前に出てきた。
グオン
「ぐ、何だ、こいつ……」
圧倒的な場力でねじ伏せた。力がどんどん湧いてくる。誰にも負ける気はしなかった。続々と人が集まってくる。
「野次馬どもが!」
「ぐわ」
「きゃあ」
一人残らず床に叩き伏せた。
「辰雄! やめろ!」
騒ぎを聞きつけた露九戊がやってきて止めた。
「先生、こいつらは裁かれるべきです」
そう言って露九戊以外のものを地面に叩きつけ続けた。力はどんどん溢れてくる。
「お前、これ」
露九戊は嫌な予感を感じた。闇属性特有の波動だ。
――まさか。
露九戊は携帯を取り出すと松本留御に繋いだ。今日は休日だ。辰雄も人が多い日を狙った。
「すぐに点呼を取れ!」
何のことかわからなかった。折り返しの電話はすぐに来た。
「辰雄と菅井がいません」
それを聞くと露九戊は急いで離れに駆け込んだ。
三号室の前にやってくる。
「おい! 菅井! 聞こえるか!」
ドアを叩いても返事はない。
「くそっ」
取手に手をかけると鍵は掛かっていなかった。急いでドアを開け、中へ入る。しかし、もう遅かった。
部屋の真ん中で菅井は死んでいた。顔は真っ白だった。目を開けたまま死んでいる。
「な、なに? 何で?」
誰もが困惑している。辰雄はショックでその場に倒れ込んだ。
「な、何で……」
「辰雄、お前、何故こんなことを!」
全て誤解だった。
辰雄は呪文をあの後習得したのだった。怨みの相手は菅井だ。辰雄は怨むを崇むと読んでしまったのだ。自分と崇める菅井がエネルギーに満ち溢れるものだと勘違いした。しかし、実際はエネルギーは一方通行だ。
闇属性魔法で菅井を殺してしまった。辰雄は顔を青くして放心した。菅井を、一番大事な友を、殺してしまった。言われた通りやめればよかった。思い切ったことをしてしまった罰だ。もう取り返せない。
エネルギーを吸い続けられる。思えばここ数日の菅井はどこか調子が悪そうだった。自分が呪文の練習をしていたからだ。エネルギーを吸われる苦しみ。少しずつ少しずつ、悪寒や不安感に襲われてやがて心臓が止まる。それを想像した。
「あああーーーーッ」
泣き叫んだ。何てことをしてしまったのか。
しかしもう遅い。何をしてももう戻ってはこない。
その数日後、寮生は全員退寮となった。実家に帰るものもいれば病院に戻るものもいた。辰雄は病院に戻った。寮生たちに重い傷跡を残してしまった。
そして離れも閉鎖されることになった。




