35、新聞配達の男
報酬は拾万円だった。おそらく紫学冒険者だからそこまで法外な額にはならないのだろう。俺はギルド二階の書庫に寄った。魔物に関する本やスキルに関する本や、地理や歴史の本などもある。一通りのことはもう猿田に教えてもらっている。本には載っていないことも教えてもらった。勉強熱心なやつなら宝の山なのだろうが、俺は軽い小説を読んでいる方が性に合う。入って一番左奥。入り口のドアから一番遠いところに四畳半の畳のスペースがある。ローテーブルが一つあり、本を読むことができる。適当な本を一冊持ってそこへ行き、窓際に座り外を眺めていた。訓練場が見下ろせる。棒だけになった案山子が見える。修理費は負担しなくていいと言われたがこうしてみると申し訳ない気持ちになる。
広い敷地を使って鬼ごっこをしている子どもたちがいる。学校の運動場ではなく冒険者ギルドの訓練場を使っている。わざわざここに来るのには理由がある。
一人の男が本舎から出てきて子どもたちと何かを話している。三十から四十くらいの男だ。制服が同じだから職員か冒険者かはわからない。やがて子どもたちの輪ができ、男が真ん中で逆立ちや前方宙返りをし始めた。最後に子どもたちの輪の真ん中で少し斜に構えて目を閉じた。辺りが静かになった。どうやら何かのスキルを放つようだ。
ドンッ
場にスキルが放たれると周囲が湧き立った。「すげー」、「さいこー」、「いてー」などと子どもたちから声が上がる。これが目当てだったようだ。どうやら布陣六番の【強攻撃】を放ったようだ。
俺のいる二階まで余波が届いてくる、しっかりしたスキルだ。しかし、手は抜いている。体の深部まで届く心地のいい衝撃だ。花火を間近で見たときのような感じだ。子どもたちは満足したようで男を取り囲んでいる。「スキルおじさん」と声が聞こえてくる。しばらくして子どもたちは散り散りに帰っていった。子どもたちには空箱なんかよりもわかりやすい派手なスキルの方が好まれるようだ。
四畳半には隅に盆があり、その上にポットと紙コップが置いてある。コーヒーが飲めるみたいだ。俺は遠慮なく頂くことにした。砂糖とミルクも親切に置いてある。俺はコーヒーを飲みながら天井をただぼーっと眺めていた。
書庫にはほとんど人がいなかった。事務処理をしている係りのお姉さんだけだ。そろそろ帰るか。俺は本を棚に戻して書庫を後にした。
外は日が暮れかけていた。初夏のような風が吹く。子どもたちを見て俺も子どもの頃を思い出した。遅くまでサッカーをして遊んだ。帰りに駄菓子屋に寄ると別の級友たちがいる。運動が得意なやつらと室内で遊ぶのが好きなやつらが分かれていた。インドアの集まりが筐体でゲームをしていた。それをジュースを飲みながら見ていた。少し生ぬるい風が吹く。空は茜色に染まり、景色の下の方は暗く沈んでいる。遅くまで駄菓子屋にいても咎める親はいなかった。級友たちも門限に関しては緩かった。交通事故という心配もない。あれから何年くらい経っただろう。
青学になると家の裕福なものと貧しい育ちのもので隔たりが出始めた。水色学校のときはそんな差は関係なく親しくしていたものも少しずつ離れていった。仕方ない、一緒に遊ぶ金もないのだから。青学ではずっと一人だった。スキルの上手い下手も影響してくる。俺はそこでも遅れていた。
俺は性格的に孤独はそんなに苦痛じゃない。砂川と果歩という待っていてくれるものもできた。
仲間もできた。俺はしばらく部屋で本を読んでいた後、食堂に向かった。
「猿田さん、一つ質問してもいいですか?」
「何だ」
「天国はあると思いますか?」
いつもの席だ。猿田とノエルが注文を待っていた。
「天国?」
「あの君の横顔。あるじゃないですか。輪廻転生が本当だとすると、死んだ魂は次の命に行くまでの間、天国のような一時待機所に行くと思ったのです」
「なるほど、一時待機所か。天国にはお茶の間があって服屋もあってお茶菓子もある。そういうことか」
「猿田さんはどう思いますか?」
「行ってみないことにはわからないな。行ってわかっても次の命で記憶のリセットだからな。世の中に天国を証明できるものはない。もしかしたら記憶を継げるやつは天国も知っているのかもしれないけどな」
ノエルが何か言いたそうにしている。しかし黙っていた。
「天国は嫌いじゃない。しかしな、相葉、そういうオカルトの話はあまりするな」
「何故ですか?」
「相葉、いいことを教えてやる。この世に存在しないものを考えたとき、人は恐怖を感じるんだ。霊、地獄、ブラックホール。こういうものは先人が妄想によって生み出したものだ。実際には無い。破壊しなくてはならない」
確かにそうかもしれない。
「オカルトでも君の横顔。は霊を否定してくれた。死んだらどうなるのだろう。そう思うとみんな怖いだろう? 無いものを思うと怖い。つまり死後というものは無い。死んだら新しい命で再スタートだからな。君の横顔。の作者は新聞配達員だ。現実に生きる現場の男だ。妄想はしない」
そうだ。この世界は現場で汗を流して働く男たちがいるから女子供は安心して暮らせるのだ。俺も冒険者だ。現実を見ていかなくては。夢想は小説の中だけにしよう。
「死後はないから天国はないかもしれないな。しかし悪くない妄想だ。縁日や運動会もあると尚いいな」
「次の命に行きたくなくなってきますね」
「運動会で思い出したが、もうすぐ対抗戦がある。そのうち連絡が入るだろう」
俺は鯖味噌定食を注文した。
猿田は腕を組んで目を閉じ、物思いに耽っていた。
ノエルは遠くを見ている。
食堂の外で夜は音もなく更けていった。




