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30、鉄の空

 六時に目覚ましで起きた。

 一階に降りて顔を洗う。何人かの寮生が既に起きていて仕事に行く支度をしていた。洗面所で一緒に並んで歯を磨く。場力も内功もない普通の男だ。もう片方の手に頭をもたれ眠たそうにしている。男も女も夜は浴衣を着ているものが多い。俺は普段着に着替えていた。水色のシャツに紺のズボンだ。今日は買い物に行く予定だ。

 冒険者は半年間、何かの仕事で報酬を貰わないと資格を抹消される。何でもいいから仕事をするかスキルを覚えるかすればいい。IDカードは検問所をパスできる上に、宿泊がタダになる。旅行などをしてタダ飯を食い続けているといつの間にか剥奪されることになる。一度失うとランクは下級になり、一年間は再発行できないことになっている。また、失ってから五年が経つと冒険者のデータが消され、二度と冒険者登録ができなくなる。


 宿舎の門を出ると一本道があり、やがて大きな通りに出て街に出る。

 その大通りから宿舎へと誘うような仰々しい一本道の途中で後ろを振り返ると木造二階の宿舎が見える。外からだと旅館にしか見えない。古い建物だ。昔は本当に旅館だったのかもしれない。庭の物干し場で布団が干されているのが見えた。

 寮に入ってからは猿田とノエルとしか口を聞いていなかった。もっと他の誰かとも会話をするべきだろうか。そんなことを考えていると宿舎の門から見知った顔の女が歩いてきた。波止場芽留だ。

 一本道の途中で黙って見ていると、その女はこちらを見向きもせずに通り過ぎようとした。

 道ですれ違うとき、一瞬景色が変わり、映像のようなものが挟まれた。


「火傷?」


 それは体中に火傷を負った芽留の姿だった。

 芽留はそれを聞いて立ち止まった。


「何て言った」


 表情を変えずに尋ねてきた。


「体中に、火傷の痕」


「何故それを知っている」


 何故? 何故だろう。

 あんたの裸が突然見えたなんて言っても気持ち悪いだろうし。


「俺は相葉冬介。五藤さんのチームの一人だ。よろしく」


「……」


 芽留はしばらく俺の顔を訝しむような目で見ていた後、また黙って歩き始めた。そして少し先の大通り沿いの呉服屋に入っていった。

 確かに女の裸が一瞬だけ見えた。夢や妄想じゃない。現実の映像だ。だから俺に問い詰めたのだろう。何故見えたのだろう。このときはまだわからなかった。


 一本道を歩いて大通りに出て、東にしばらく歩いていくと商店街の通りに交差する。俺は商店街の中にある古本屋に立ち寄った。

 失われた大陸の二巻を探して手に取った。それともう一つ「ギガの空」という考察本を買ってみた。


 ギガの空――。

 もし、路是法が施行されていなかった場合、世界はどうなっていたか、という内容の本だ。科学者の意見を交えながら、作者の考察が語られている。

 この本では、もし、車両が自由競争の元で作られ続けた場合、何十年、あるいは何百年で空を飛ぶ乗り物が開発される、と分析されている。

 仮にそれは「ギガ」と呼ばれ、ジェットエンジンを積み、空を飛ぶ、というものだった。科学的にそれは可能だという。

 しかし、路是法のコンセプトは移動を制限するということだから、当然これは許されない。

 空を飛ぶ機械。

 万が一落ちたら死んでしまう。それとも源力で体を強化すれば耐えられるのだろうか。秤にかけた場合、空を飛ぶ爽快感や自由さ、便利さより落ちる恐怖の方が遥かに重い。筆者も保守的な考えの人間らしく、路是法に救われたということでまとめている。

 車だけでなく空を飛ぶ機械。路是の側でもこのことは予想されていたのではないだろうか。実際空を飛べた場合、桁違いの場力を持つ魔物に撃ち落とされることになる。大惨事だ。

 小さな発見をしたり、思ってもみないものを手に入れたりしたとき、これをあえて手放す。大きなものを発明したときも、世に出さずに押し殺す。ずっと欲しくて金を貯めてようやく手に入れたものを手に持って、少しの間考え込み、通りすがりの子どもにそれをあげてしまう。空っぽになった手のひらを見る。そこにあるのは空虚さだろうか。きっと本人にしかわからない境地がそこにはあるはずだ。言葉では上手く言えない何かをやり遂げたという満たされるものがある。そして人がみなそうであった場合、はじめから車もギガも生まれはしないだろう。

 俺は本を二冊持ち、通りに出た。春の花は大体枯れてしまった。並木道も葉桜になっている。風はまだ春の匂いがする。交易の町だから人通りも多い。子どもが道の真ん中で座り込んでいる。その傍で親が立ち話をしている。交易品の運搬は冒険者ギルドを通して契約している冒険者が行うことが多い。布陣スキルの六番【体気煥発(ダブルフォーム)】を獲得している冒険者が荷車を引いて行う。

 路是法のおかげで金属加工や機械業は一気に衰退した。建物も白井では木造ばかりだ。人が最低限、心豊かに暮らせればそれでいい。ギガの空はまっぴら御免だ。

 俺は公園のベンチで本の続きを読んだ。

 そろそろ自炊がしたくなってきたな。共同の調理場を使わせてもらおうか。調理器具がどうなっているか確認する必要がある。

 急に雨が降り出したので、近くの飲食店に雨宿りをしに入った。おそらく通り雨だ。少し経てば止むだろう。俺は昼飯を食っていなかったことを思い出し、ついでにかけうどんを一杯頼んだ。

 若い旦那さんが調理場にいて奥さんが店番をしている小さな店だった。客は俺だけだった。

 本が少し濡れてしまった。二冊重ねてテーブルの端に寄せた。

 うどんをすすっていると小雨になってきた。止んでから出たかったのでゆっくり食べた。


「おあいそお願いします」


 俺は食べ終わるとテーブルを拭いている奥さんに向かって言った。

 「はーい」と言って精算機の前にやってきた。


「学生さんですか?」


 奥さんに尋ねられた。


「いえ、冒険者です一応」


「あら、そうですか。うちの子も冒険者になりたいって言ってるのですよ。今日、冒険者さんが来たって話せます」


「ははは」


 冒険者は子どもの憧れだ。道楽にいた頃からそれは知っている。しかし、俺はそんなに偉くない。愛想笑いで誤魔化した。


「ありがとうございました〜」


 俺とすれ違いで家族連れが入ってきた。これから混み始める時間だ。空は夕焼けで赤くなり、雨はすっかり上がっていた。宿舎に向かって歩き始めた。

 道路が雨で濡れている。商店街を出て大通りを西に歩き、宿舎近くの呉服屋が見えてきた。芽留はもうとっくに帰っているのだろう。通りは茜色に染まっていた。

 何故、裸が見えたのだろうか。前にもこれと同じような感覚に襲われたことがある気がする。何だったか。

 そうだ、ノエルの術にかけられたときだ。あの時と感覚が似ている。あのときは確か、術と同じ内容のことが途中まで起きたのだ。今回のはどういうことだろう。芽留の裸が夢だとすると、これから本物が見える? いや少し違うな。よくわからない。

 俺は考えるのをやめて宿舎に向かった。

 大通りには冒険者ギルドや町の役場や病院などの建物が並んでいる。少し遠くには花屋や飲食店などもある。

 宿舎前の一本道は夜になると橙色の街灯が並んでともり、古い町並みを思わせる。


 宿舎に戻り、部屋に入ると本棚に本を二冊仕舞った。

 外も暗くなってきた。腹は減っていなかったが、聞きたいことがあったので食堂に向かった。

 食堂では猿田とノエルがいつものように飯を食っていた。


「よう、総理大臣」


 いつものように愛想を振ってくる。俺は返事を返した。


「人はたえまなく進歩する。昨日できなかったことが今日できるようになる。何か気になることはないか?」


 気になること。俺は考えを巡らせる。


「一つだけ気になったのですが、空箱(ブランク)を唱えたとき、屋外より部屋の中でやった方がはかどる気がするのですが、何故かわかりますか?」


「四隅があるからだ。それを意識して展開させやすい。空箱は使用者によって幅がある。子どもが簡単に行う少し集中力を高めただけのものでもスキルとして認められている。集中力が高まると傍から見ても佇まいでそれとわかる。その時点で空箱となる。最も簡単でもあり、底がまだ見えないのが空箱だ。」


「俺も精神状態によって深さにばらつきがあります」


「内功と空箱は俺たちの祖先が苦労して編み出したスキルだ。その一方で魔法スキルは古代人から伝わったものだ。ややこしい集中軌道は古代人由来だ。俺たちには元々スキルといえば物理スキルだけだった」


「それは知りませんでした」


「遥か昔、南の地に俺たちの祖先と、外地からやってきた古代人が一緒に暮らしていた。二つの間に初めて生まれた子がフリル・バンビだ。今から二千年ほど前のことになる。そこで魔法スキルも伝えられた」


「教科書ではフリル・バンビという神の使いが天上界からやってきた、と教わりました」


「古代人のことはあまり公になっていないからな」


 スキルにはそんなルーツがあったのか。全然知らなかった。


「俺は生粋のユグドラシル人だ。魔法は苦手だ」


 その向かいでノエルも小さく頷いた。

 二人とも物理主体だ。俺はどっちが適性だろう。


 そんなことより聞きたいことがあったのだ。


「うちのチームの女の人、なんて言いましたっけ。もしかして体に火傷の痕がないですか?」


「チームか。ユニークな言い方だな。俺たちはそんな愉快なものじゃないぞ」


「火傷ある」


 ノエルが呟くように言った。


「お前なんで知ってるんだ? 見たのか?」


 猿田が面白そうに聞いてくる。


「見たといえば見たというか」


 俺はノエルにスキルを受けたときのことも正直に話してみた。


「それは興味深いな。ノエルのスキルに未来予知のようなものはない。心地よく夢は見せるけどな」


「自由技能(ディスオーダー)じゃないか」


 ノエルがまた呟いた。


「自由技能……、俺の?」


「そうだ」


「その可能性はあるな。これから気をつけて様子を見ておいた方がいいな」


 俺は言われた通り様子をみることにした。

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