25、退魔の里
食堂でノエルにスキルをかけられた。
スキルは秘密にするのが基本だが、仲間内では知っていた方がいいのだろう。
三人で晩飯にする。
猿田は相変わらず細かい所作にいたるまでが鷹揚で見ていて心地良い。内功を常に込めているのは訓練なのだろう。
しかし源力の郷愁。それを猿田から一番強く感じる本当の理由はこのときはまだ知ることはできなかった。
「仕事というのは適性もあるが、大事なのは心構えだ」
「はあ」
猿田の能弁が始まった。しかし、黙って聞くことにしている。
「その仕事に自分を寄せていくということが大事なんだ」
ノエルは頬杖をついて目を閉じている。
「仕事っていうのは奉仕だからな。農家なら農作物へ、ものを作るなら製品へ、人相手の仕事ならその客への奉仕が仕事だ」
俺は真面目な顔で猿田の話を聞いていた。
「そうやって仕事へ自分を少しずつ寄せていく。これが大事なんだ」
「はい」
「カタギの仕事に興味湧かないか」
「特には」
「そうか」
俺を気遣ってくれているのだろうか。これから起こるかもしれないという嫌な予感がそれほど深刻なものなのだろうか。
「ああ、あとこれも大事な話だ。これは女に対しても同じだ。男の方が寄せていく。折れるのも苦しむのもいつも男の方であるべきだ」
「猿田さん、俺は大丈夫ですよ。何となく、俺は死なない気がします」
「そうか、それならいい」
俺は子供の頃から誰かに気をかけてもらうというようなことがなかった。誰かと親しくすることもなかった。長屋の掃除や手伝いをすることで飯にありついていた。ボロ家に住み、親も金もない俺と親しくするものはいなかった。友達も家族もいない。砂川に出会うまで一人きりだった。
そんな俺を猿田は心配している。でも俺が抜けたところで、脅威が去るわけでもなければ猿田の立場が変わるわけでもない。俺は留まることを告げた。
しばらく、三人の間に沈黙が流れた。
――凱旋の桔梗、大輪の闇を射殺す。
山川にその静けさを誇るや。
唐突に猿田が呟いた。スキルの詠唱文のように聞こえる。
「何ですか? それ」
「空箱の詠唱文だ。あまり知られていないが原文そのままだ」
続いて昔話が始まった。
はるか昔、ユグドラシルは今の森羅のいる地、南の一部しか領土を持っていなかった。そのとき人々の住んでいる場所から北へ行った場所には殺人犬と呼ばれる魔物が住み着いていた。何度か討伐に向かったがいずれも返り討ちに遭っている。そんなとき、一人の若者が立ち上がった。何故、魔物は生まれるのか。野生の動物にある種の負荷がかかるからだということがわかった。だったら自分たちも同じことをすればいい。若者は土蔵の中に籠もった。かめを一つ抱えて入った。かめには腐った水が入っていた。飲み水はこれだけだった。十日経ったら開けてくれと言った。
十日間は壮絶だった。中からは呻き声だけが外に漏れていた。光の差さない暗闇の中で高熱にうなされた。
苦しみ続けた。息をするだけでも体中が苦しい。苦しくない場所が体のどこにもないというほど苦しかった。時間の流れが残酷な事実を若者に告げた。一秒一秒が苦しい。しかし、扉が開くまでまだどれほど時間があるかわからない。ひどい排泄のせいで脱水症状も引き起こしかけていた。
何もせず耐えるのは三日が限界だった。渇きに耐えきれずかめの水を飲んだ。やがて体が重くなった。
途方もない苦しみの中で意識の救い場所を探した。やがて体は苦しいが意識だけは急流の中で岸に這い上がったように楽になる場所を見つけた。少し高い場所だった。この下には絶望的な苦しみがひしめいている。若者はそこで落ち着いた。段々体の苦しみも消えていった。
意識はどこまでも澄んでいた。土蔵だけでなく、外の風景まで意識は届いているような感覚になった。呼吸は非常に穏やかになり、世界は開けた。
不思議な感覚だった。飢えも渇きもなく、十日が過ぎた。呼吸さえゆっくりになっていた。
これが退魔師の誕生である。
彼は蔵を出た後、落ち着いて北を見据えた。負ける気はしなかった。彼は空箱と内功の操作を獲得していた。そのあと、一人で次々と殺人犬を撃破していった。
これが苦しんでスキルを獲得していくという冒険者の雛形だった。彼らは退魔師と呼ばれた。
「へえ、知りませんでした」
「こんな感じで退魔師と呼ばれる人間たちが過酷な方法でスキルを開拓していく途中で、あるとき源力に結びついたわけだ」
退魔師というのは聞いたことがなかった。猿田の話を聞くたびに源力というものがそれほどすごいものであると教えられるようだが、自分はそんなにたいそれたことをしたのか疑問になる。きっと幼すぎたのだろう。
「こうして先人たちの努力によって定型技能は開拓されていった。中には古代人から伝わったものもある。いずれにせよ全ての始まりは空箱だった。空箱に笑うものは空箱に泣く。お前の空箱にはくせがない。余計なものがない、飾り気がない、虚しい、ひもじい。そういったものを感じる」
「何にしますか〜」
注文を取りに来た。
「ひもじくはないですよ。おすすめ定食、というのにしてみようかな」
「煮干し」
「カレー」
三人はそれぞれ注文をした。
「死ぬなよ」
小さな声で猿田が言った。
「お前の代わりはどこにもいない」




