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135、VSゴッホ(1)

 深山は少し前にドメインを脱退していた。慶一たちと共に戦った後、籍を一般冒険者に変え、牙途に移っていた。守るものができたからだ。茜との祝言も間近に控えていた。空丸たちとの交流は相変わらず続いていたが危険な仕事からは退いている。それが茜の両親が結婚する際に提示した条件だった。

 その矢先でのこの遭遇だ。


 やれやれ、まだ働けってことか――。


 道の端の方に紙袋を置いた。大事な食材だ。


 買い物袋から果物ナイフを取り出した。茜の家の包丁は中々手に馴染まず店で手頃なのを買ったのだ。道具は持ち主を一人だけ選ぶ。その包丁は料理人の茜の父親に馴染んでおり、後からそれを使いこなすのは躊躇われた。

 道具を取り出す様子を悪魔は黙って見ていた。


 すると店の建物の陰から制服を着た若い女が現れ、ホースで水をかけて犬走りの床を流し始めた。そのときホースを少し上に向けた拍子にそこに立っていた悪魔に水がかかってしまった。


「あ、すみません」


 悪魔が女の方を振り向き、歩いていく。


 まずい――。


 深山はそれを見て咄嗟に駆け出そうとした、すると。


「あ?」


 悪魔は女の前で立ち止まり、左手を女の頭の上に乗せた。突然のことに女が声を漏らす。

 そして右手で指差しで場所を示した。そこは三人の死体が散らばっている場所だった。


「∀∫〇∠〇э〇≠∀∂∀∫∃⊥∈∠∪∝∈(あそこを流してくれ)」


「え、な、何? ひっ」


 場所をよく見ると、腸(はらわた)や肉片が散らばっている。犬や猫ではない、破れた衣服もある。人間のものだ。


「人間の死体だ。一か所に集めて、あとは水で流してくれ」


 深山が言う。女は黙って言われた通りに動いた。

 店の前が雨の後の泥で汚れていたから店長に掃除を頼まれた。日常が一変して非日常に変わった。剥き出しになっている歯や骨もある。人間の死体なんて見るのは初めてだ。手が震えた。用意しておいたゴミ袋に死体を集める。できれば三つに分けた方がいいのだろうがもうどれがどれだかわからなくなっている。


 悪魔は女には手をかけなかった。どういうことだろう。


 女が恐る恐る死体を片付ける様子をただ眺めている悪魔を見た。

 敵であることには変わりはない。

 しかし深山の中で少しだけやりにくくなった。ナイフを左手で逆手に持って構えた。


「∠∀N⊥∃∂∀∃∫∪∝∪≠∀∨〇(勘違いするなよ。お前は殺す)」


 深山の胸中を察したかのように悪魔がこちらに向き直りながら言う。


「∫〇∪∠∀∃(そうかい)」


 それを聞いて数間の間合いを少しずつ詰めていく。

 空丸や由瑞のお家芸は徒手空拳だ。右手で拳を握れば練磨の回路が花開く。それに比べ、深山は徒手空拳よりはどちらかと言えば短剣使いだ。短剣を握ることで同じように戦闘オーラが湧き上がる。自身のスキルも剣術であり、得物を握った方が発動しやすい。

 ナイフを握り、源力を躍動させる。神経をそこに向けて集中する。瞬きすら惜しむぐらいに相手の動きに注視した。


 一連の間があった。


 ボンッ


 その直後、深山の目の前の空中で爆発が起きた。

 白い煙が立ち上る。


 どうやら当たりだ。


 深山が心の中で確信した。

 悪魔は三人の男を殺すとき、右手の親指と中指で弾く動作をした。何かを飛ばしている。弾く瞬間にその軌道を逸らせた。深山の自由技能(ディスオーダー)である【黒鞭(ワルゼロ)】は相手のスキルを妨害できる。発動を阻止することもできるがあえてそれをせずに掠るようにして弾の軌道を逸らせた。何を飛ばしているのか相手のスキルを把握するためだ。それと後述するが相手にも源力を使わせるためだ。


「……」


 思いもよらぬ場所で爆発が起きた。確かに深山の元まで届けたはずだ。もう一度試す。


 ボン、ボン、ボンッ


 三発の爆弾が深山の眼前で爆発する。深山までは届かない。

 頭脳戦は人間側に分があるようだ。追って出された攻撃を見て相手のスキルを理解した。

 どうやら油を放っているようだ。体から分泌させた少量の油を源力で圧縮して飛ばしている。フライヤーで熱せられた油は三百度を超えると火の気がなくても発火する。それと同じ原理だ。源力により高圧、高温にされた油が爆弾の正体だ。右手が指先にかけて湿って見える。あれは汗ではなく油だ。


 何発か同じ現象がさらに繰り返された後、悪魔もようやく理解したようだ。自分の中の異変というよりは相手の操作が介入している。爆弾はあきらめた。


 肉弾戦だ。


 敵は殴殺と体気煥発(ダブルフォーム)を使うことがわかっている。

 攻守の基本だけは揃えているということだ。


 グン


 悪魔が右拳を握り踏み込んできた。そのまま斜め下から打ち上げる。深山は咄嗟に左腕でガードした。

 殴殺だ。それを受け止めた。


 スキルの阻害は自由技能に限ったことではない。定型技能(プラクティス)にも有効だ。

 ただの殴りの感触だけが手応えなく伸ばされた腕に残った。

 爆弾と殴殺を完封している。


 深山は妨害職だ、火力役を伴って初めて生きる。火力がほしいときは暴れ狛犬(バリアント)を放つことで使い分けてきたが、この相手には冷静な黒鞭の処理が必要なため使えない。

 実質悪魔の源力を無効にしている非常にレアなスキルだ。しかし、こちらは源力を使うが相手には源力を使わせないのがこの黒鞭だ。いずれ源力も底を尽きる。そうなるとこちらの防御能力は落ち、相手には源力を温存させることになる。そうなれば待つのは死だ。


「≠∀N∩∀(何だ。俺、弱くなっている)」


 混乱している。爆弾が妨害されるということは理解できたが、殴殺まで妨害されていることには違和感があるようだ。

 源力が籠る瞬間を捉えて黒鞭を被せる。非常にタイミングがシビアだ。それを難なく行っている。受ける側がその仕事振りに混乱するのも無理はない。


 暮れていく空にカラスの遠鳴きが聞こえる。

 空が夕闇に変わりつつある。


 深山の課題は撃力だ。

 こちらの源力が尽きる前に答えを見つけなければならない。

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