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132、朝靄の中

 その夜は眠れなかった。

 早めに食堂を後にし、猿田と芽留を部屋に見送った。自分も部屋に戻り寝ようとしたが眠れなかった。

 座卓の上に多幸のお守りをぶら下げたフクメンとビタモンのにんじろうがいる。大丈夫だと言ってくれているような気がした。菅井という男と果歩と小森からもらったものだ。どれも俺にとっては疑いようのないものたちだ。きっと大丈夫だ。信じるしかない。

 眠気は少しもこないので窓際で外を眺めていた。長い雨が降った後の靄がかかっている。遠くで街灯がぼんやりと灯っている。窓を開けてみるが風はなかった。本棚から日記を取り出して眺めた。この部屋に来てからのことが書いてある。猿田やノエルと過ごした日々が蘇ってくるようだ。色んなことがあった。草原に人形を倒しに行ったこと。対抗戦とその帰りに展望台で酒を飲んだこと。寿郎と過ごした交流会。何日も洞窟に籠って町の人間たちを案じたこと。そしてその帰り道はとても疲れたが夜の町の中は心地が良かった。川祭りや森羅との戦争。そして初詣。俺はそのときに自分の能力で見た景色を思い出した。真っ暗な場所で文字が空に向かって伸び、炎が一つ傍で揺れていた。あのときははっきりとそれを意識することはなかった。しかし今は思いついてしまう。あれは猿田だったのではないか。ノエルと芽留の姿はあった。猿田だけがおらず代わりに炎が浮いていた。どのような未来かはわからなかったが今は想像がつく。あの風景が現実になる頃には猿田はもういないのではないか。

 そう思うと自然と涙が零れてきた。猿田が戦死する。ノートの上に涙が落ちた。無理にでも俺も行くべきだったんだ。猿田と芽留だけを行かせては駄目だ。そのとき、二つの人影が窓の外の下の方に現れた。二人はゆっくりと歩いていき靄の中に消えていった。猿田と芽留だ。俺はその姿を黙って見送った。二人の後ろ姿は寂しく見えた。

 明日、もう一度露九戊に頼みに行こう。俺も行かないと駄目だ。

 部屋の外に出て一階に下り、洗面台で顔を洗った。鏡に映る自分を見る。死ぬかもしれない。それは覚悟の上だ。二人だけを行かせて二人を失うことも同じくらい辛いことだ。やるしかない。

 そのとき、背後に人が立った。

 ノエルだ。


「ノエルさん」


「二人は今発ったよ」


 ノエルも窓から見送ったようだ。


「相葉。大事な話がある。少しいいか」


 ノエルからそんなことを言うのは珍しい。一階の座敷の休憩所に二人で入り、畳に座った。時刻は夜中の三時を少し過ぎたくらいだ。豆電球だけをつけ、ノエルがゆっくりと話を始めた。


「俺と芽留はどちらも森羅で遠征中の猿田に声をかけられたんだ。それで今の冒険者をやっている」


 それは初めて聞いた。ノエルの生い立ちはそこそこの付き合いだが何も知らない。


「青学に入ったときから紫苑で冒険者の下働きをしている。猿田とはもう長い付き合いになる」


「はい」


「猿田はおそらく今回の戦いで命を落とすと思う」


「……」


「猿田は俺に漏らしたことがある。いつ死んでもいいと思うと中々死なないものだな、と」


「……」


「相葉。悲しむ必要はない。猿田にとって死は救いのないものではないんだ」


「どういうことですか」


「俺も事情を全部知っているわけではない。猿田は一度、自殺未遂をしたことがあるんだ」


「え……」


「魔物と一緒に崖から川に落ちたのだ。運よく助かったが、あれは間違いなく自分から落ちていった」


「……」


「この一年間で大分救われたよ、と言っていたよ」


「……」


「まあこのことは絶対相葉には言うなと言われていたけど」


 そう言ってノエルは笑った。

 俺はまた涙が零れてきた。


「猿田の言っていたことは本当だ。帰れたらまた生活の続きをやろう。全力を尽くす。しかし死んでも悲しまないでくれ、ということだ」


「わかりました」


「お前が死ぬことの方が辛いよ、俺は。信じて待とう」


「はい」


 猿田には猿田の人生があるのだ。それを最優先にすべきだ。死んでほしくないと願うのは俺の人生だ。俺の人生の中で猿田を失いたくないからだ。猿田が無事生きて戻ったとき、また猿田の人生も俺の人生も続くのだろう。俺ももうすぐ十七だ。それくらいはわきまえてもいい。誤った意気込みはノエルになだめられるかたちになってしまった。冷静に考えて俺が戦力になるかどうかは疑問だ。六度どころか強化系でもないし、そもそも戦闘タイプの能力ですらない。覚束ない定型技能(プラクティス)だけで一軍が苦労した悪魔と渡り合えるわけがない。

 待つことは苦しいがそれ以外にどうしようもない。二人の無事を祈るだけだ。


 夜が明けた頃、俺はギルドの訓練場に向かった。

 朝靄の中、そこでスキルの確認をした。


 殴殺。

 針夜(ニードルショット)。

 仁王殺。

 体気煥発(ダブルフォーム)。

 閉鎖陣形(ディフレクト)。

 空箱(ブランク)。

 照明魔法(ライト)。

 火気(ファイア)。


 一掴みの希望(インセインドリーム)。


 これが今の俺の手持ちのスキルだ。

 上の二つに関しては紫電も習得済みだ。


 一つ一つ、案山子に向かって確認する。


 もう一つの俺にとっての強みは透き通る意識だ。

 精神力の強化系ともいえる能力だ。これを獲得できたのは大きい。


 物理スキルに関して重要なのは内功だ。魔法スキルにこういった概念はない。威力に個人差はなく、SキャストかLキャストかの区別しかない。しかし、物理スキルの場合、内功によって雲泥の差になりえる。白井国内で現在、内功のトップは由瑞晃だという。獣のような男だった。ゴリラや熊のような腕力を振るえるのだろう。

 俺の内功は果たしてどの程度なのだろう。透き通る意識に入れば動きや威力は劇的に変わる。それでも一軍に及ばない場合は悪魔にも歯が立たないだろう。悪魔と戦えるかどうかはわからない。もっと訓練しなくてはならない。


 猿田がいなくなった今、頼れるのは露九戊だ。

 俺は露九戊の元に相談に行くことにした。

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