130、赤い瞳
白井ギルド本部付属の袋山病院。その三階、入院病棟。
三〇八号室の個室にギルドの事務員が一人と、寿郎、そして空丸の姿があった。
身を起こしてベッドに座っている。
「由瑞の方はどうだ」
空丸が尋ねる。
「ずっとベッドに座って言語脱落で対応しています。免疫力が跳ね上がるみたいで。他の者を優先してくれと言われました。動物みたいな方ですね」
寿郎が答える。
状態は空丸が一番深刻なようだ。源力も枯れ、怪我も酷くがんもある。それらを少しずつ、寿郎のスキルと体力で回復させていった。
完全回復まではまだ大分時間がかかる。一軍はしばらく戦線から退くことになるだろう。
一軍の彼らは慶一から事前に悪魔の情報を聞かされていた。
あのとき、蓮真との最後の瞬間、遺六と名乗る者の声が慶一の元にも届いた。遺六の外壁能力だ。聞いたことのない言葉を話していた。慶一には理解できなかったが蓮真はその言葉と会話をしていた。後に梅子たちと共に調べ上げ、それが古代語であるということがわかった。何故、蓮真は古代語を習得していたのか。もしかしたら蓮真の話していた悪魔が話す言語なのかもしれない。そう予測を立て、一軍の面々も古代語を念のため覚えておいたのだ。予想は的中し、悪魔は古代語を喋った。
「例のザビエルと呼ばれる魔物は現在、死体解剖中とのことです」
事務員の女が言う。
「そうか」
あの戦闘の後、ギルドの生体研究室に悪魔の遺体が移された。そこでは魔物などの特異生命体の解剖、研究が行われている。
窓の外では雨が降っている。遠くの町並みが靄で霞んで見える。
公園周りには戦闘の跡がまだ痛々しく残っている。幸いなことに今回の件で死者は出なかったそうだ。しかし体調不良を訴えるものは多く、現在も病院にあの場にいたものが多く入院している。
病院の窓から開きかけている桜が見下ろせた。ベッドサイドのテーブルに白湯の入ったコップが置いてある。雨のせいか少し冷える。二人は黙って空丸の回復を促すように見守っていた。
白井中央街市長館。
調整杉のある仕事部屋で何人かのものが一人の少女を取り囲むようにして集まっていた。
その部屋にいるのは大市長の飾五十六、ギルド長の飾梅子、白亜副市長の雪代恵、そして記録係と地形学に詳しい何人かの事務員と、真ん中に正座をして体の前で手を組んでいる少女、飾桃子だ。
桃子は五十六の妹、政代の娘で梅子の従妹にあたる。まだ十七歳だ。一族の中でも飛び抜けた外壁能力を持ち、今回の役に抜擢された。
静かに目を閉じて何かを探っている。
周りがそれを見守っている。
衣服に余計な意識が向かないように集中する際にいつも身に着ける白の薄手のワンピースだけを着ている。
部屋の中には棚や机に積み上げられた本や地植えにされた植物の茂みが見える。天井は高く、真ん中に天井すれすれにそびえる杉の木がある。
窓の外から聞こえる雨音だけが部屋に鳴り響いていた。
遠くの景色が見える。遥か北の森の中だ。
慶一の話や行郎の掴んだ情報から、悪魔は牙途の遥か北、未開の森の中に潜んでいることがわかっている。
しらみつぶしに森の中を探り続ける。かれこれもう四、五時間この作業が続いている。
最初にこの話を受けたときは桃子も楽観していた。自分の能力の程度も理解していたし、悪魔と呼ばれる人影を見つけるだけでいい。簡単に見つかると思った。
しかし思いのほか、それは難航した。
こんな広大な森の中で、一体その蓮真って人はどうやって見つけたの――?
少しずつ距離を伸ばし、森の中を洗っていくが見つからない。
悪魔の姿がどんなものかは想像がつかないが、ザビエルの遺体の写真をすでに見ている。おそらくそんなに違いはないはずだ。初めてでも見ればわかる。
外では日が暮れ始めている。
そろそろ神経が限界を迎える。今日はあきらめてまた回復させてから出直そう。
誰もがそう思ったとき――。
「あ!? いました、見つけました!」
その声を聞いて周囲も湧き立つ。
「本当か!?」
「はい、さ、三体います」
「容貌は」
「一人は長髪。長身で顔に傷跡。もう一人は逆立てた髪に笑っています。三人とも私たちと同じ、簡素な衣服を身に着けています。最後の一人は中背で……、ひっ」
そう言った途端、桃子は仰向けになってその場で倒れた。気絶している。どうやら最後の一人と目が合ったようだ。
「どうした!? おい!」
雪代が抱き起こすが反応がない。
「待て! 寝かせておけ!」
五十六が叫ぶ。
「急いで医者を呼べ!」
顔色が悪い。生気がどんどん薄れていくように見えた。
やがて医者が到着し、容体を見る。
「血圧、呼吸、心拍数低下、心音微弱です。このままだと……」
「何だと!?」
桃子の命が途絶えかけている。
一体何が。何を見たのだ――。
ここで桃子を失うわけにはいかない。まだ接触すらしていないのだ。
それなのにこんな離れた場所から命を奪われようとしている。
全員が蒼白となる中、五十六が落ち着いてスキルを唱えた。
空箱だ。
不穏だった部屋の中で柔らかく温かい空気が辺りを包んだ。
少しだけ、桃子の寝息が穏やかになった気がした。
「少し安定しました。このまま安静にしているしかないでしょう」
何とか一命は取りとめたようだ。
医者がそう言うと、周りはその状態を維持し、桃子の様子を見守ることにした。
桃子は悪魔が三体だと言った。
行郎が掴んだ情報によると悪魔は全部で五体だ。
精査はこちらからではなく相手が自分に触れたとき、情報を読み取ることができる。受動的な接触でのみ成立するスキルである。相手の脳が疲弊したり弱っている状態であるほど多くの情報を読み取れる。
二人の情報を照らし合わせると、悪魔の数が一人足りない。
見張りは続けなければならない。しかし、桃子ほどの外壁を持つものは他にいない。
桃子を部屋の中で寝かせながら五十六たちが検討する。
「筧なら大丈夫なんじゃないか」
「いや、筧の外壁は使い魔が現地にいなくては駄目だ。危険だ」
蓮真は耐えることができていたようだ。外壁を持ち、悪魔の正体不明の力に耐えられるものだ。それを満たす人員は残念ながらこちら側にはいない。
方法を変えるしかない。
後でおおよその悪魔を見たという場所を桃子に聞き、その辺りを灰論で探り続けるしかない。灰論はスキルを発動中のものを特定できるが、Lキャストで放てばスキルを所持しているだけでその居場所が特定できる。しかし灰論のLキャストは他のスキルのLキャストと違い、とても難解で使えるものが少ない。使えるものを探さなくてはならない。
結局、そこでも筧行郎に白羽の矢が立った。以降、行郎が探索役となることになる。
同じ頃、牙途に協力要請が出された。
牙途からの折り返しでは人が不足しているため、こちらから援助を頼みたいとのことだった。
その知らせが露九戊の元に届き、配下の者に牙途への出撃命令が下されるのは二日後のことだった。




