129、長雨
ザビエルが膝をつき、俯いている。
空からは雨が降り続いている。雨足は弱まったが長い雨になりそうだ。
「∠∃∝∈∃≠∀∫〇∝∀∩∀(綺麗な空だ。太陽が月に見える)」
上を見ないままそう言った。雲に隠れて太陽はもう見えない。
「〇∝∈⊥∀⊥∃⊃∀⊃∃⊥〇⊥∪(俺たちは一つ。人の子も物の怪も、代えがたき命なり。我月を仰ぎ、一陣の風に吹かれる)」
それだけを言った後、目から光の色が消えた。
心臓が止まったのだろう。
「……」
棺桶のスキルが手に戻った。
死んだようだ。
行郎はその手から短剣を抜き取ると、服に血が滲んだ。
「兄さん……」
倒れている由瑞と空丸の状態を確認する。
まだ意識が戻らない。顔や体には赤黒いシミが浮かんでいた。
少し前のやりとりが思い出される。最後に敵と同じぐらいの激しい力が籠った左手で殴殺を払った。そのとき拳が左頬を掠めた。その瞬間に行郎は咄嗟に【精査】を放っていた。どうやら敵は全部で五体のようだ。森の中の景色が見えた。源力の最大値も測れた。それは空丸の倍ほどもの量だった。二人が減らしてくれなかったらこうはいかなかっただろう。それ以上深くは窺えなかった。
「ここからはお前の仕事だ」
寿郎に向かってそう言った後、二人は病院に運ばれた。
町の住人たちも目を覚ました後、事情を説明され全員が病院で検査を受けることになった。
癌の残った者は全て寿郎が面倒を見ると言ったが、それは少なかった。
こうして長い戦いが終わった。
しかしこれは第一陣だ。
雨の中を文箱を持って走る人の姿がある。
その建物の玄関に立ち、雨を払うと中に入った。
やがてその部屋の前に来ると、ドアに耳を付けて中の気配を窺った。
ポン、ポン、ポン
中から小さな太鼓のような音が聞こえる。
「失礼します」
ドアをノックすると訪いを告げた。
ポン、ポン、ポン
返事はない。その代わりに太鼓の音だけが聞こえる。
とても低い場所。地の底の奥から聞こえてくるような音だ。
ドアを開けると部屋は真っ暗で奥行きがいつもより感じられる。
最奥の椅子に崩れた姿勢で足を組んで座っている男の姿があった。
「失礼します。白井国より協力要請です」
書簡の入った文箱を前に置く。
男は無言で膝をつく目の前の女を見下ろした。
窓の外は雨が降っているが遠くの方がまだ明るい。部屋の中とそこから少し離れた場所までが暗闇だ。
男のそばでちゃんちゃんこを着た狸が三匹、太鼓を叩きながら男の周りを回っていた。
ポン、ポン、ポン
と音を鳴らしている。狸の間には四つのかがり火が不揃いに浮かんでいる。
暗黒大砲――。
これがそのスキルだ。
源力は減っていない。
スタンバイの状態だ。
女は用を済ませると頭を下げ、部屋を出ていった。
悪魔が襲ってきた。
男は脇の方にある机の上のラジオの電源を入れた。
「千根つかさです。卒業式の季節ですね。もう間もなく桜も咲きます。今日は雨ですが、私は来るとき蕾が見えました」
司会の言葉の後で暗い部屋に呪文のように音楽が鳴り出した。
それは太鼓の音と重なり、重く響いている。
「悪魔が来たよ」
外では雨音が鳴っている。
随分、遠くから聞こえてくるようだ。
何もかもが静かな儀式のようだ。
春馬健人は目を閉じて暗い部屋で一人、源力を揺蕩わせていた。




