122、暗い道
三月に入った。その日の夕方。宿舎の裏の団地にある食料品店にやって来た。売り場に置いてあるラジカセを見て俺もラジオが欲しくなり、この前デパートで買ってきた。店のラジカセからは誰が作詞作曲したかわからない店舗のテーマ曲が軽快に流れていた。惣菜コーナーでぼんやりと揚げ物を眺めていると、トントンと肩を叩かれ、振り返るとそこにはエプロンと三角巾をつけた小林が立っていた。俺に向かって手招きをするとそのままスイングドアを押して向こうに行ってしまった。俺も後に続いてバックヤードに入っていき、小林の後をついていくと一番奥の事務所に入って、中から買い物かごを一つ持ってきた。そこには弁当がかご一杯に入っていた。
「俺たちでロス削減っしょ」
どうやら賞味期限の切れた弁当をくれるらしい。俺はその中にある幕の内弁当を一つもらった。
「本当はよくないんだけどな。店長には内緒な」
そう言って笑った。
小林はそのまま事務所に残って事務仕事をしていた。俺は礼を言って店内に戻った。
もらってばかりでは申し訳ないので、今日は自動販売機ではなく店でコーヒーを買った。
帰り道、団地の中を歩く。青学の生徒の何人かとすれ違った。下校時刻だ。まだ水を引いていない田んぼの土手にはたんぽぽの花が咲いていた。
あれから一年経ったのか。
俺は道楽のギルドに通っていた頃を思い出した。もうすぐ桜も咲く。春になれば俺も十七だ。暮色に染まる町並みを見て遠く離れた白井の本国にいるという実感が少し薄れた。目を閉じると道楽で馴染みだった豆腐屋のラッパの音が聞こえてくるような気がした。町の中の風景はそんなに変わらない。道楽の方が少し田舎臭い気もするが。通りの家並みを見るとそのどこからも生活の気配が感じられる。まだ洗濯物を取り込んでいない家も見える。
道に伸びる自分の影は昔に比べると少し戦闘的に見える。戦闘的な要素を大分身につけたせいだろう。
穏やかな町並みを見ながら、俺はあの真っ赤に燃える空と羽の生えた悪魔の夢の映像を思い出した。一瞬で町の大部分を破壊可能な赤い空だった。今見えている家に住む人も、店にいる小林も、平穏に暮らす人々が全員死んでしまう。現実と無関係な普通の夢とは違う。現実と結びつく、異様な実体感のある夢だった。全てが自分たちの手にかかっていると思うと言いようのないプレッシャーを感じるがやるしかない。一番の理想は悪魔が人間界に関心を持たずそれぞれの場所で別々に生きていくことだ。あるいは、露九戊が占いで告げられたことや、俺が夢で見た映像などは別な脅威を象徴したものであり、それが悪魔という人型で表されたという場合だ。象徴となった脅威とは随分前にダンジョンで受けた幻術だったり、先に起きた戦争だったりすればなお良い。もう終わっているからだ。その可能性は十分にある。これらの出来事以来、悪魔の映像を一度も見ていないからだ。
日が暮れた。
辺りから暗闇に上る黒い靄がまた感じられた。これの正体もわからない。世の中は良くなるばかりではない。そこには必ず悪意がある。秩序がそれを上回れなくなったとき、世界は破綻するのだろう。
悪魔と黒い靄。
俺は暗闇に浮かぶ街灯を頼りに宿舎への細い道を歩き続けた。




