120、ラグナロク(6)
殴りつけられていたアクセルが右腕を振り上げた。
ガッ、ダン
咄嗟に間に入った人影がそれを受けとめ、殴り飛ばされる。
「リュゼ!!」
コノハが叫ぶ。白湯をかけるためにリュゼの元に駆け寄ろうとするところをハルカが遮った。
行ってはいけない。
アクセルはゆっくりと殴り飛ばされたリュゼの元に近寄ると再び、腕を振り上げた。
「やめて!!」
コノハが叫び、ルインが走り出そうとするが、様子がおかしい。
ゴッ
拳はリュゼの頬を掠めて地面を砕いた。
何かが攻撃を妨げた。今まで無表情だったアクセルの表情が僅かに曇る。
アクセル――。
昔、七賢者からの命を受け、魔族の集落に遠征に出かけたことがある。
雷の神トールの血統であるノクト。今回の旅でも最初にアクセルの相方となり、共に人間界に降り立った天使だ。
アクセルとノクトは魔族の村へ潜入し、魔族を片っ端から殺していった。
ノクトは殺戮を行った後、即座に姿を消した。今回の旅でも精霊の村で精霊たちを殺そうとしたところをウルスラに阻止され、神界に帰還している。
後に残ったアクセルに魔族の生き残りたちは激怒した。お前たちのせいで村人が大勢死んだ。どうしてくれる。魔族たちはアクセルを殺そうとしたが、アクセルは一人も殺してはおらず、終始ノクトを止めようとしていた。アクセルはどうか殺して下さいと懇願するが魔族たちはアクセルを見逃した。お前がもう少し強かったらあの天使のことも止められたのだろうが。結局アクセルの弱さに全員が悔やみ、背を向けて去っていった。
弱い天使。
アクセルは地面の岩に頭を打ち付けて泣いていた。
「もう、やめなよ」
魔族たちが去った後、両親を殺された魔族の少女が一人そこに残っていた。
両親を殺され、公開処刑するという話を聞いてその天使を見に来た。死んで当然だという気持ちで最初は見に来たが、誰もがその気をなくすほどの風貌をしていたその天使の姿に怒りも絶望も消え去った。虫も殺せないような優しい顔をした天使だった。少女はこのとき、口には出さないが心で理解した。優しさは苦しさから生まれるものだ。地面にうつ伏して泣いている天使の肩に手を触れた。
この人はいつかとても不幸になる。弱いせいでだ。
彼女は両親を殺した天使のそばにいることをこのとき誓った。
「アク……セル」
リュゼが涙を零しながら言う。
「つよくなったね」
アクセルが更に顔を歪ませる。
「アクセルは、よわくなんかないよ」
赤い煉瓦の病棟。
天使の歌声が聞こえる。
あの歌だ。
――目の前で祈る君を見つけた。
ただし僕ではない方の僕がだ。
――愛しさと破壊衝動。
何かが壊れる音がした。
――驚いてる君の瞳を、ただ避けるのが精一杯だった。
真後ろの岩が砕けた。世界は終わると確信できた。
――制動不能。SF。
わけのわからない言葉が浮かぶ。
――壁画の横に文字があった。
今の僕になら読めるようだ。
――どうやらこれは真理の一部。
何故だろうとても懐かしい言葉。
――子どもの頃の僕が見える。
君と会った日が、今蘇る。
光の大聖堂の壁面に書かれている歌だ。
遥か太古の歌。作者不明。さらに続く。
――深く寝てる君を背負って、洞窟を出て知ったのは。
誰かがそばにいるときだけ、僕は僕でなくなるようだ。
――どれほどの生き物たちを傷つけてしまったのだろうか。
君が目を覚ます。嬉しい僕と、絶望の拳を振り上げる。
――お前は一体誰だ。
涙を流す君。何故避けてくれないんだ。
――最低だ。何もできないで、何が世界救いたいだ。
あの絵の最後の文字がわからない、忘れてしまった。
――どうしてそんな目で見るんだ。
苦しい声。「いつだって待ってる」。
――どうしてこれが真理なの。
子どもの声が聞こえてきた。
――後ろを向いて笑ってる。
お母さん、僕は今。
――アダムとイブで終わった天体。
私はいつでも待っている。
――どんな絶望の中でも、いつか言ってくれることを。
「オアアアアアアアア!!」
アクセルが両手で顔を覆い叫んだ。
拳を振り上げる。
ゴ、ゴッ
リュゼの顔を掠めて地面を砕く。
殴る衝動と殴れない葛藤だ。
愛しい人を殴ろうとして殴れない。
「アクセル……」
誰もが黙って見守っている。
この世界では苦しみが強さだ。
力と破壊は快楽だ。
弱さは苦しみだ。
アクセルは弱くない。
ドス
リュゼの首をアクセルが両手で掴んだとき、アクセルの背後を槍が襲った。
ロンギヌスがアクセルを貫いた。
「アクセル!!」
黒い炎が消えていく。両手から力が抜ける。
アクセルがその場で前のめりに倒れた。
神殺しの槍。
アクセルの中から神格が離れていった。
元の優しい表情に戻った。
そのとき、前方から一人の天使がやってきた。
「ガウェイン」
ガウェインは倒れている天使たちに果凛を少しずつ食べさせていった。
最初に果実を絞り、口に含ませた後で果実を砕いて少しずつ食べさせた。
アルバートは目を開け、息を吹き返した。左手だけが戻らないままだ。
ツォンも服は燃えかすになっていたが生き返った。
ジェイストとクラウドも死んではいなかったようだ。
「果凛……、ってそんなに凄いんだ」
コノハが言葉を漏らす。
「天使はそう簡単に死なないからな」
ハルカが言う。
「はあ、やれやれ。終わったようだな」
アルバートがため息をつく。
「すまん、こんなことになるとは思わなかった」
「いいよ、俺たちも乗り気じゃなかったしな」
「取り乱した罰だ」
ツォンが自分に言う。
「神格がなければ罪はない。好きなようにすればいい」
ユフシルはそれだけを言うとその場を後にした。
「さて、俺たちも帰るか」
「ミコトが変なんだ。向こうも心配だ」
ルティンが言う。
それに対してガウェインがルティンを見ながら首を振る。
どうやら向こうも片付いたようだ。
こうして長い旅は幕を下ろした。
やがてアクセルは目を覚まし、老齢だったブルーノの名代として七賢者の一人に選ばれた。
自身が拒絶したため、もう二度と暗黒神が宿ることはないだろうと言われた。
リュゼは正室になった。
「じゃあな、ハルカ。ウルスラ神にもよろしく伝えてくれ」
「ああ、またいつかな」
「コノハも、またね」
「うん、またいつか」
精霊の村に戻るというハルカとコノハをアクセルとリュゼとルインで見送った。
時の神の力ではなく船で戻ることになった。
あれから人間界との交流も少しずつ増え、神界も少しずつ賑やかになってきていた。
「ありがとうな、アクセル。楽しかったよ」
ハルカと握手をして別れた。
大聖堂の壁面の前で文字を見上げるアクセル。
「久しぶりの神界だよ、アクセル」
「ああ、ただいま。リュゼ」
「おかえりなさい」
と言うところで小説は終わりだ。
ファンタジー要素の強いライトノベルだ。
読み応えも十分だった。
今回は挿し絵もあるし映像化にも期待できるだろう。
ちょうど食堂で晩飯が運ばれてきたので俺たちはカレーを食いながらいつもの時間を過ごした。




