112、白亜の街
二月になった。一月の末に道楽に一度帰り、大家のおばちゃんと室井に会ってきた。
大家のおばちゃんにはあんたのために言ったことだから、馬小屋が好きならいつまでもいればいい、と言われた。室井には手紙の礼をしに行った。魚屋はまだ包丁は持たせてもらえないが上手くやっていると言って元気そうだった。長屋をまだしばらく借りることも伝えた。砂川と果歩には会わなかった。会うと悪魔が襲ってくる話をしてしまうかもしれないと思ったからだ。そんな話をして心配をかけたくない。二人には全てが終わってから会いに行こう。ギルドにも顔は出さなかった。一晩長屋で寝て翌朝すぐに道楽を出て紫苑に戻ってきた。
今日は白亜のデパートに来ている。本を買うためだ。三階の浦島書店に行く。絵本のコーナーで俺は足を止めた。
「白い月に 仰ぐ日に 二階の屋根から 手を振る子」という名前の絵本が目に留まった。詩集のような絵本だ。懐かしい気分になった。子どもの頃は俺もよく絵本を読んだ。そのまま店内を歩き、「約束の大地」の最新刊を見つけた。それを会計に持っていく。途中の雑誌の売り場では大人と子どもが入り交じって立ち読みをしていた。漫画が売っている場所では子どもたちが床に座り込んで読んでいた。学校帰りに店に寄って読んでいるといった風情だ。宿舎からこの場所までは歩いて片道五時間かかるから学校はもう終わっている時間だ。
俺は本を買うと階段近くの長椅子に腰かけて店内をしばらく眺めていた。窓の外には夕日が差している。店内は主に学校帰りの学生や若者であふれている。この辺りは若者向けの店が多い。椅子に浅く座って壁に寄りかかり段々眠くなってきた。目を閉じかけたとき、ふとそばに人が立っていることに気づいた。女の子だ。俺を見下ろしている。
「相葉さん」
名前を呼ばれた。
「お久しぶりです。私、小森です」
女の子が名乗った。小森。
確か前にここに来たときに出会った青学の女の子だ。小森円香。
小森は膝のところに穴の開いたジーンズにスニーカーを履いて、長袖Tシャツにコートを着ていた。この前は制服だったから印象が大分違う。随分垢抜けて見えた。
「今日はどうしたんですか?」
小森が尋ねてきた。俺は本を買いにきたんだ、と答えた。
「こっちに来るなら言ってくれればよかったのに」
「あれから白亜に来たのはこれで二回目だよ」
小森は何も言わずに俺の隣に座った。少し化粧をしているようだ。大人っぽく見える。
「ずっとお礼したかったんです」
そういえばフリースクールに通うようになったと言っていたのだった。
「どこか行きませんか?」
そう言って立ち上がった。俺の服の袖を掴んで引っ張られた。俺も立ち上がる。
「私が奢りますので」
そう言って歩いていく小森の後についていった。小森はデパートの同じ三階にある喫茶店に入った。奥のテーブル席に座る。俺も向かい側に座った。
「あれから色々ありました」
小森が喋り始める。俺はただ相槌を打っていた。
「いいことばかりです。今までのことが嘘みたいに。全部相葉さんのおかげです」
「それはよかった」
「春から紫学校に通うんです。フリースクールで仲良くなれた子と一緒の学校です」
「そうか、おめでとう」
「私、子どもの頃にクラスに一人、男子にからかわれている女の子がいて。見て見ぬふりをしたことがあったんです」
俺は黙って聞いていた。
「そのことを思い出すとすごく辛い気持ちになります。後悔と自己嫌悪です。いじめている人間と同じだなと思います。青学でいじめられたことは辛かったけど、そんな過去の後悔が少し和らぐ気がするんです。私もその子と同じなんだと思って」
何も言わずに小森の言葉を待っていた。
「相葉さんはいじめられたことがあるのですか? その辺のことは相葉さんに教えられた通りだなって思いました」
「いじめられたことはないよ。いじめたこともない。俺は変に内省的で考え込む癖があるからそういう考えを持っていただけだよ」
「そうなんですね。いじめられていたことは今では私の宝です。おかげで親友ができました」
「これからもっと色んな経験があるよ」
「学校の先生みたいですね」
ふふふ、と小森は笑った。
「もういじめられることはないだろう」
「私もそう思います。結構学力の高い学校に合格できたので」
小森はカフェオレを頼んで飲んでいる。俺はホットココアだ。この前は俺の立場の方が上だったが何だか逆転したような感じがする。俺は紫学校には通えなかった。周りの客たちも上着を持っているが俺だけいつもの水色のシャツと紺のズボンだ。小森はカップについた口紅をさりげなく拭いていた。俺と一つしか違わなかったということだ。それからはしばらく世間話をしていた。
小森くらいの年の女の子との話は新鮮だった。俺の普段のエンタメ知識は猿田が基準になっているからだ。果歩とは毎日短いメールのやり取りしかしていない。その代わり何を読んでいるのですか、と聞かれ、「約束の大地」を教えてやった。盆土外郎は知っているが読んだことはなかったそうだ。これは自信を持って薦められるといっていいだろう。もう遅いし晩飯食ってもいいか、と尋ねるといいですよ、と言った。俺だけ追加でサンドイッチを頼んだ。小森はカフェオレを大事そうに飲んでいた。二時間ほど喫茶店で過ごした後、会計は結局俺が支払った。
意味ないじゃないですかあ、と不満そうに言われたので、俺は気にしなくていいと言った。
しかしそれでは気持ちが収まらないらしく、雑貨屋で何か買ってくれるということになった。
そこで色々見て回り、ビタモンの人形を一つ買ってくれた。人参のビタモンだ。ビタモンとはビタミンモンスターの略で、野菜の精というコンセプトの元で作られた色々な野菜の姿をした人形たちのことだ。俺が部屋に人形が一つあると言ったらそれを選んで買ってくれた。
「大事にしてくださいね」
「大事にするよ、ありがとう」
そう言って雑貨屋を出たところで小森と別れた。外はもう夜だった。
俺は人形の入った袋と本を持って宿舎に帰ることにした。




