111、殺し
時々、舞は涙をこぼした。
舞の隣で一緒にゲームを覗き込んでいる。
こういうことができるのもあと僅かかもしれない。
「君の横顔。という本がある」
「知ってるわ、読んだから」
「死んだら生まれ変わる」
「全部忘れてしまう」
「月のない空の下がある」
「天国?」
「そう」
舞は手で涙を拭った。
「死にたくない」
行郎は何も言えなかった。
段々面会の時間が限られるようになり、とうとう面会ができなくなった。
何日かあと、病院に行くと舞は亡くなったと伝えられた。何もできなかった。荷物を預かっていると言われた。携帯ゲーム機だった。
部屋に戻り、ゲーム機の電源を入れた。二人で進めていたゲームデータの主人公とヒロインの名前が変わっていた。
“あのそらの”
“したであう”
もう舞はいない。
この世にいない。
月のない空は少しも慰めにはならなかった。
やっぱり、死んだら終わりだ。
涙がいつまでもこぼれてきて止まらなかった。
舞のいない世界がこんなに空虚で苦しいのだと思い知った。
行郎さん――。
そのとき、声が聞こえたような気がした。
舞の声だ。
空を見上げると曇り空だった。
真っ暗で何も見えない。
――舞。
もう一度会いたい。
もしかしたら会えるかもしれない。
自分があの場所で死ねばいい。
ヒロインを殺した相手を突き止め、一騎打ち。
そこで破れる。
殺しをしてはいけない、とヒロインの声が届くからだ。しかし、そこで負けるとゲームオーバーとなり、真っ暗な画面でやがてタイトルに戻る。だから一騎打ちは勝たなければゲームが続かない、というのがプレイヤーたちの常識だった。しかしあるプレイヤーがそれを発見した。そこであえて戻らずに暗い画面で三十分経過すると上の方が白んできて月のない空の世界に移る、というものだった。
目を覚ますと部屋の中だった。
布団ではなく部屋の隅で寝ていた。
「……」
夢だった。
嫌な夢だ。舞が死ぬ夢だ。
ここのところ見ることが多い。
やはりあのせいだ。
そばに紙がある。
藤嶋よしお。
コーポ・テラノハウス。
住所と名前が印字されてある。
学校の生徒名簿から辿りそこへ行き着いた。
決着をつけなければならない。
でないと心が晴れない。
またあの夢を見る。消極的な夢だ。
負けたままだからだ。
重い足取りで家を出た。
その男は意外と近くに住んでいた。今まですれ違わなかったのが不思議なくらいだ。いや、すれ違っているが風貌が変わっていて気づかなかったのかもしれない。
アパートの前で部屋番号を確認して近くの物陰に潜んだ。あとは出てくるのを待つだけだ。
しばらく物陰に隠れていた。不審に思われないように人には見られない場所だ。
一時間ほど経ち、曇り空だが空もすっかり明るくなった。男はまだ現れない。もうすでに家を出ているのかもしれない。そのときは帰ってくるところを待てばいい。そのまま家に押し入る。そう思っていたらドアが開いた。
中から短髪の体の大きい男がのっそりと出てきた。上下に黒いジャージを着ている。サンダルを履いている。引き摺る音を出しながら歩いていく。見てくれはあの頃とほとんど変わっていない。行郎は気づかれないように後をつけた。
野毛市の住宅街だ。田園地帯でもある野毛市では冬の渇いた田んぼが広がっている。
しばらく歩くと街に入り、立ち並ぶ店の中にゲームセンターが見えてきた。そこへ入っていった。
中では隅の方で学生服を着た男が筐体のゲームに熱中していた。ぬいぐるみを取るクレーンゲームの周りには子どもたちが群がり、取り出し口から手を突っ込んでいた。行郎は中へは入らず、入り口で待っていた。ゲームセンターの出入り口はここしかない。すると後から二人、ガラの悪い男が中へ入っていった。
しばらくすると品のない笑い声が聞こえ、中から三人の男が出てきた。藤嶋とさっきの二人だ。手に缶ビールを握っていた。
ビールを飲みながらゲームセンターを出て通りを歩いていく。その後をつける。
広い通りから細い路地に入る。さっきまでは下卑た笑い声が聞こえていたが、やがてそれが止むと無言になった。通りが閑散としてきたところで藤嶋は後ろを振り向くと、手にしていた空き缶を大振りで投げつけた。行郎に当たる。
「何じゃわれおらあ! 何後つけとんじゃあ!」
怒鳴り声を上げ、ジャージのポケットに手を入れたまま睨みながら近づいてくる。
「おお、よしお。誰だそいつ」
取り巻きがその後についてくる。
「ああ? 知らねえよ。誰だお前。俺に何の用だこら」
行郎は睨み合う目線に殺意を少し込めた。
グン、と場力が引き上がる。
「がっ、てめえ、筧!?」
藤嶋の目線が一瞬宙を泳ぐ。
行郎は続ける。
「久しぶりだな。社会に揉まれて少しでもしょぼくれていればとも思ったが。余計な心配だったな」
その場で膝をつきそうな藤嶋を上から見下ろす。
「おい、誰だこいつ。おいよしお。やっちまっていいのか?」
取り巻きが近づいてくる。
一対一の場力だ。取り巻きはターゲットになっていない。そこへ。
ズオオ
強撃が入る。
「あっ、はあ? スキル?」
二人が思わず腰を抜かす。
その場にへたり込む。
「お前のことは調べたよ。紫学生の真面目なやつを抱き込んでやっていることだ。呪文を覚えさせて女を脅している」
強撃と殺気を解いた。
「あ、あれ? 何だ? さっきのはこいつがやったのか?」
「そんなわけねえ。こいつは家に籠もってヘタレたって話だ。何かの間違いだ」
負荷がなくなるとまた強気になる。簡単なつくりだ。行郎が話を続ける。
「言うことを聞かない女を呪文で弱らせて脅す。呪文で弱った女は生気を求める。性交を求める。どんな不細工が相手でもな。お前はそこまで計算した」
「はあ? 知らねえなあ」
「脅迫罪や強姦罪で捕まらないか恐れたお前は散々汚した後で一人残らず結局そのスネイクマンに殺させている。スネイクマンからは捕まえて事情を聞いた。殺人罪で手配したよ。行きつけの美容院の娘。そしてキャバクラの女たちも同じ手口で複数人殺している。しかし、お前は無罪だ。スネイクマンが口を割らない限り、直接は誰も殺していないのだからな」
男は関係ないというように空を見上げて呆けた。
行郎が続ける。
「少し俺の身の上話をしてやる。子どもの頃ヒーロー気取りで女を一人助けた。ヒーローには悪役が付き物だ。ヒーローものにしては珍しく俺は悪役に負けて家に逃げ込んだ。助けた女が俺にもう一度助けを求めに来たが、俺は答えられなかった。女は同じく不登校になった。お前のことだからこの女にも好き放題やったのだろう。それから部屋にこもってただ本を読んでいた、最初はな。しかしある本を読んで俺は精神病になった。何故だかわかるか。冒険者になるためだ。優秀な冒険者は人を殺しても罪にならないということを知った。俺になれそうなその優秀な冒険者とやらを色々考えた。そこで俺は仕事ではなくスキルに目をつけた。『差し引きゼロ』という本がある。そのとき、俺が出会った本だ。とある精神科医が書いた本だ。自閉傾向にあるものは魔法スキルを簡単に覚醒することがある、という内容だった。その後も色々調べて精神分裂病や人格障害のあるものは上手くギアが噛み合えば魔法スキルを苦もなく閃く場合があることがわかった。中には自由技能まで閃く者もいたそうだが、これは自殺未遂をした患者だった。俺はこの本を読み、スキルのために閉じこもった。目的はお前を殺すことだが、純粋に興味が湧いた。精神病と、そのスキルを簡単に覚えられるという精神世界に。ある程度自閉してスキルに取り掛かろうかと思ったのだが気がつくと精神分裂病になっていた。俺は精神病のことをよく知らなかった。精神分裂病は意外に手強く、スキルどころか生活もままならなくなってしまった。興味本位に手を出すものではなかった。結局、ある支援者の娘に助けられるまで俺は精神病から抜け出せなかった。本に書いてある実験した患者たちは皆、寛解した者たちだった。その記述を重要視しなかった。寛解した俺は急いでスキルに取り掛かった。本のいう通りスキルはコツを掴めば簡単だった。俺は自分の精神世界しか知らないから比較はできない。健康な人間がどのようにスキルに取り組むか、自分と比べることはできない。しかし奥義レベルでない限りは十日もあれば覚醒できた。それでめでたく俺は優秀な冒険者というやつになれたわけだ。長話を聞かせた礼をしよう」
あくびをしながら腐った目をして横を通り過ぎようとした藤嶋に腕を振った。
ドッ
「!? て、てめえ!?」
「ぎゃあああああ!」
すれ違いざまに藤嶋の両目をペンで突き刺した。
「あぎゃあああああ! 目が、目があああ!」
「この野郎!」
取り巻きが揃って殴りかかる。
ゴゴッ
真正面から受け止める。腰の入らない殴打など、強化なしでも傷一つ付かない。
行郎は二人の男の頭を鷲掴みにしてぶつけ合った。二人の顔が砕ける。
「いっ!?」
「いでえええ! お、折れたあああ!」
「おい、面上げろ。次はスキルだ」
右拳に源力を込めた。殴殺だ。
うずくまっている藤嶋の胸ぐらを掴んで持ち上げる。
「話の筋を読めよ。俺は殺しができるようになったと言っているんだ」
「目、目、目ッッ!」
「目じゃない。死ぬんだよ。祈れ、地獄は勘弁して下さいってな」
「ひ、ひいいい」
顎を掴んで右腕を引いた。いよいよ殺しの瞬間だ。どれほどこのときを待ったか。死んだ女たちもこれで報われるだろう。そのとき。
ポーン。
携帯の着信が行郎の動きを止めた。
確認すると舞からだった。
“こわい”
たった一言だった。行郎は藤嶋から手を離して携帯を操作した。
“何が怖い”
返事はすぐに来た。
“死ぬのがこわいの”
行郎はため息をついた。
殺したら遠くへ行ってしまう。
もう二度と手の届かないところに。
舞はそれが怖かった。
取り巻きは一人が失神し、もう一人は悶えている。
藤嶋はまだ状況を受け入れられないようだった。目が見えなくなっている。
こいつも牢獄行きだ。目が見えない状態で牢屋暮らしだ。もう悪さもできないし、これでいいだろう。
そう考えた後、行郎は男たちを置き去りにしてその場を後にした。




