108、闇よりの使者
それは一月のとある日の午前中だった。
唐突にそれは訪れた。
俺はいつもと変わらず食堂で猿田とノエルと正月気分が抜けないままぼんやりと朝飯を食っていた。
猿田は飯だけを頼んでお茶漬けを食っている。俺とノエルはトーストだ。
「暇ですね」
「冒険者にとっては贅沢だ」
「はは」
ノエルが相槌を打つようにして笑った。すると突然――。
グン
まるで緩んでいたところを狙い撃つかのようにやってきた。
場力だ。
「何だ?」
グングングン
それは勢いを増して降り注ぎ、僅か十数秒でピークに達した。
「うぐ」
「な、何だ、これは」
天から降り注ぐ地獄の底へ引きずり込むような不快な場力だった。
「ぐおおおお」
「何? 何なのよこれ」
食堂の中も騒然となる。おばちゃんたちは床に突っ伏した。
「場力だ。とんでもなく広範囲だ」
猿田が周囲が全部飲み込まれているのを見て言う。
あのときのものと同じだ。洞窟のダンジョンに行ったときの。いや、それよりもっと悍ましい。
全員が恐怖した。この世の終わりが来たのかもしれない。このまま場力に飲み込まれて全員死ぬ。しかし俺たちだけは別のものに考えを巡らせた。
悪魔だ。
とうとう悪魔が来たのか。
ところが、全員の心配をよそにそれは数分で治まった。
空気は澄んでいつもの食堂に戻る。不快感は綺麗に消え去っていた。しかし食堂内はざわついている。今のは何だったのだろう。
不安はしばらく人々の中に残った。もう来ないのだろうか。何が起こったのだろうか。それほどに強烈な場力だった。
「猿田さん、何でしょう今のは」
「わからない」
俺たちは念のため、着替えてギルドに集まった。
露九戊の部屋に来ると芽留がいた。露九戊にも原因はわからないという。しばらく待機だと言われた。
露九戊の話によると本部の一軍の者たちは現在、国外に遠征中だという。それも何か関係があるのかもしれない。
人間が出したものなのか。それとも場が出したのか。世界の終わりが近づいたからなのか。それか悪魔がこのユグドラシルにやってきた合図だったのだろうか。話し合っても答えは見つからなかった。とりあえず、用心して俺たちは宿舎に戻ることになった。
外に出ると空からは雨が降り始めていた。
その日は皆、不安を抱えて夜を迎えた。俺たちも恐怖と心細さでしばらく食堂で四人で時間を過ごした。それほどに激しい場力だった。悪魔が来たのならどこかに被害があるはずだ。しかしまだそれは報告されていない。精霊の怒りで世界は滅びるのだろうか。そんな飛躍した夢想まで湧いてくる。明日も来るだろうか。
携帯でパソコン通信の掲示板を見るとこの話題で持ちきりだった。一部の冒険者たちによる脅しだ、など、秘密結社や新興宗教団体によるものだなど。人為的なものならまだいい。天文学的な異変が起こりつつある、世界が終わりを迎えるからだ。そういう悲観的な発言も飛び交った。いつも以上にパソコン通信は盛り上がっていた。みんな何らかの形ででも人と繋がっていたいのだろう。この状況で孤立するのは危険だ。それだけ前例のない現象だった。もう来ないでくれ、単発的なものであってくれ。全員がそう祈った。
俺たちがそうして身構えていた翌日、異変の原因は思わぬところで明らかになった。南の森羅国から各国宛てに速達が届いたのだ。新しく代替わりしたアーレス王からの文書だった。白井にも大市長の元に届けられた。
“我が国内にて王命をさまたげ、私意を企て候輩、これ有るにおいて容赦なく譴責仕り候。謹んでお詫び申し上げ奉り候”。
どうやら人間によるものだったようだ。元凶となった男は死んだらしい。
ニュースで一斉に伝えられた。
ああ、よかった――。
精霊は見捨てていない――。
パソコン通信は一時、昨日を上回るほどの活気を見せた。その夜、町では至る所で宴会が開かれた。
事件は後に、アーレスだけではなく吾妻慶一からも事の仔細は白井へと伝わり、俺たちにも届いた。森羅の司祭によるものだったようだ。
恐ろしい場力だった。天空の逆だ。
俺たちもその夜は食堂で安堵の息を漏らした。
「恐ろしい人間がいるもんだな」
「正義は勝つでしたね」
窓の外には穏やかな風景が広がっていた。
少し寂しい一本のブナが外灯に照らされているのが見えた。




