107、紫学の抜庭
目が覚めると外は薄暗かった。朝か夕方かのどちらかだが、空気に朝のような張り詰めた感じがないから多分夕方だ。俺は火桶に火を入れた。五徳に網を乗せて買ってあった餅を焼く。餅はかたまりを買ったので猿田からもらった小刀で切り分けた。二日間歩き詰めだったが体は何ともない。歩くのには完全に慣れた。座卓の前に座って本棚を眺めた。今は読んだ本をもう一度読み返したりしている。新しい本は買っていない。約束の大地の新刊待ちだ。壁を背もたれにして餅が焼けるのを眺めていた。ときどきひっくり返す。音もなく静かな冬の夕暮れだ。部屋の中も暗くなってきた。火桶の中の赤い火だけが照っている。
そのとき、携帯が鳴った。果歩からのメールだ。神社の前で撮った写真が添えられていた。晴れ着姿だ。砂川が撮ったのだろう。俺は似合ってるよと返事を送った。
道楽には去年の秋以降帰っていない。一度帰った方がいいかもしれない。その相談もするため食堂に向かった。
食堂にはいつものように猿田とノエルがいる。
「おう、長旅ご苦労さん。報酬もらいにいけよ」
そうだ、初詣の報酬をもらっていなかった。
初詣と言ってもいいのかわからないが、あのとき祠の中に納められていた古い札を新しい札に猿田が入れ替えていたから、あれが多分仕事だったのだろう。ギルドから毎年誰かが行くようだ。
「猿田さんはグリードカンパニーに寄付しているのですか?」
俺は前にも気になったことを聞いてみた。
「してるよ。蓄えはほとんどないよ」
「俺もしている」
ノエルも答えた。冒険者にとってはそれが暗黙の了解のようだ。俺はまだそんな余裕はない。
「俺も頑張らないと」
「お前はお前のやりたいようにやればいい。あと二年で報酬も増えるしな」
紫学冒険者から抜け出せばドメイン登録者は何もしなくても毎年かなりの報酬がもらえるそうだ。他にも永年登録した冒険者が毎年同じようにもらえる。
猿田とノエルは蕎麦を頼んでいた。俺も同じように蕎麦を頼む。部屋には焼き途中の餅もある。
大きなお世話なのだろうがこういう姿を見ると、余計な情が湧いてくる。猿田とノエルにはもっと美味いものを食ったり好き放題やってくれと思うが彼らにとってはこれが喜びなのだろう。俺もこの一年、共に過ごして学習したはずだ。できることはこの穏やかさがいつまでも続くようにと願うだけだ。それを叶えるために俺も強くなることだ。
「猿田さん、殴殺は覚えたのですが、針夜はどうやるのですか?」
スキルの話に切り替えた。
「突き刺すときに捻りを加えるんだ」
「捻り?」
「右でも左でもいいから捻りながら突き刺すんだ。殴殺との違いはそれだけだ」
「なるほど。それは試してませんでした」
「この前会った建具屋のあくたれは自分で見つけたようだな。山に籠ると何でもやることが自然と本物に近づくんだ」
「今度試してみます」
「針夜と殴殺は使い手の潜在能力次第でどこまでも威力が伸びるからな。ある意味、短剣と素手の奥義だ」
「肝に銘じておきます」
「勉強、勉強。お前は冒険者であり、まだ学徒だ」
三人で蕎麦を待ちながら茶を飲んでいた。
俺は春になってようやく十七になる。この間の丙と呼ばれる冒険者たちも思わず息をのむほどの手練れに見えた。俺はまだ半人前だ。そう思って精進しなくてはならない。




