105、年始の朝
年が明けた。朝起きると日が上っていた。着替えて顔を洗い、部屋に戻ると俺は窓から見える太陽に手を合わせた。
食堂ではおせち料理が振舞われるという。食堂に向かった。
「去年はご苦労。今年は飛躍の年だな、総理大臣」
会うなり猿田は冗談を言ってきた。
「今年も平凡ですよ」
向かいに座り返事をする。
「そうか」
座卓にはおせち料理が並んでいた。数の子、かまぼこ、黒豆。雑煮まである。
お銚子もあってもう飲み始まっている。猿田の隣には芽留もいた。
「今日は正月だから飲むが、明日からはまた控えるよ」
猿田がお猪口に注がれた酒を飲みながら言う。
「そうですか……」
「お前たちの気持ちは嬉しいが、やっぱり気が乗らないからな。春が過ぎてからだな」
「……」
「心配するな、相葉」
猿田が珍しく俺の方を向いた。
「正義は必ず勝つ。もし俺たちが負けるとすれば、相手方の正義の方が正しいと精霊が判断したときだ」
相手方の正義。
そんなものがあるなんて考えなかった。
相手にも何かの行動に対する根拠があるはずだ。
俺たちは正しくいなくてはならない。
「負けるのは相手が強いときだ」
芽留が横からもっともらしく言う。
「それもある」
「それしかないだろう」
「ははは」
正月の朝は静かだった。給仕の娘だけが食堂内を忙しなく歩き回っている。山水の前掛けをしている。
「食ったらお詣りに行くか」
猿田の提案で初詣に行くことになった。
近くの社にでも参拝に行くのかと思ったらとんでもなかった。
朝食後、四人で食堂を出ると西へ向かった。そのまま西門を抜けて国を出た。
目的の場所は白井本国の外にあるようだ。一体どこまで行くのだろう。
「どこまで行くんだ?」
芽留がそう尋ねると。
「井黒との国境の辺りまでだ」
「なっ」
あまりの遠さに呆気に取られると、悪いなと付け加えて歩き続けた。
「一日で着きませんよ」
「途中で宿を取る」
「金は」
俺はポケットを探った。金はそこそこ持っていた。
「ないときは俺が立て替えるよ」
みんな待ち合わせはあったようだ。井黒との国境沿いまでは歩いて一日半ほどかかる。目的地はその手前にあるという。支部長には猿田が連絡を入れたみたいだ。
「正月休みに旅行に行くと思えばいいだろう」
確かにこの顔ぶれで旅行したことはない。いつも一緒にいるし宿舎が旅館みたいなところだから新鮮味はないが、猿田の言う通り慰安旅行だと思うことにしよう。
通りすがりの家々では正月飾りを出していたり、子どもたちが凧揚げをして遊んでいるのが見えた。穏やかな風景がずっと続いている。
「飴舐めるか」
ノエルが俺たちに向かって言う。
「舐める」
芽留が飴を一個もらった。
俺たちは遠慮した。
「ああ、退屈だ。仕事にならないのかこれ」
芽留が退屈そうに歩きながら言う。
「実は仕事なんだ」
猿田が答える。
「仕事? 初詣がギルドの仕事なのか?」
「そうだ。戻れば報酬も出る。四人で向かうことは申請済みだ」
初詣が仕事。どういうことだろう。俺たちにはこのときはまだわからなかった。
俺たちはひたすら歩き続けた。活気のある集落を通り過ぎ、寂れた廃屋地帯を通り過ぎた。打ち捨てられて崩れかけた車があった。錆びた空っぽのたまごの自動販売機もある。養鶏場が近くにあったようだ。途中まではいつも通る道楽までの街道だったが、分かれ道で人通りの少ない方に移った。こちらの方が近いらしい。初めて通る道だ。車というものも実物を初めて見た。俺はしばらく中を覗いていた。座席は座面が剥げて骨組みが剥き出しになっていた。走っていた頃の姿を思い浮かべるのは難しかった。しかしハンドルやシフトレバーはそのままだった。これを操縦するわけだ。少しだけ興味が湧いた。だがこれだけ大きな鉄の塊が高速移動するとなると街中が一気に窮屈になる気がした。朽ち果てた車は正面からだとおばけのように見えた。俺は車から離れてまた街道に戻った。
「車って後始末はどうしたんですかね」
ゴミとしてはかさばりすぎる。俺は気になって聞いてみた。
「全部バラして再利用したり、廃材は一箇所に集められている」
「一箇所に?」
「井黒だ。路是は井黒が発したから、責任持って預かると当時の井黒の国王が言ったそうだ」
井黒には廃材で溢れるスラム街があるらしい。
四人とも歩くのに疲れ始めた頃、日も暮れたところでちょうど見つけた街道沿いの旅籠に入った。
食事付きで一人、一泊五千円。随分安い。これでも正月料金だという。四人で部屋を取って中に入った。二階の部屋だった。
十畳の畳部屋だ。部屋に入ると何も言わずに猿田は橙色の照明魔法を作って座卓の上に置いた。お茶と茶菓子が置いてある。
浴衣に着替えた後、猿田と芽留はお茶を飲んでいた。芽留は手洗い場で着替えた。俺とノエルは障子付きの窓際に座って外を見下ろしていた。
最初に仲居が来て部屋のストーブをつけるとすぐにお食事をお持ちしますと言った。
しかしまだ食事は来ない。部屋は暖かいが窓の外は寒そうだ。暗い空から雪が降り始めた。
「猿田さん、雪です」
「明日には止むだろう」
茶を飲みながら猿田が言う。
空から舞い落ちる雪をしばらく眺めていた。
目的の国境付近まではもう少しだ。帰りも一泊することになりそうだ。
そのうちに仲居が夕食を運んできた。そこそこに豪華な正月料理だ。雑煮に祝い肴がある。猿田は酒を一本頼んだ。
「これで仕事だなんて贅沢だな」
芽留が言う。本当にその通りだ。
寝る前に風呂に入ってきて、部屋に戻ると布団が敷いてあった。もう一度明かりを作って真ん中に置き、それを囲むように俺たちは布団の上に座った。
「芽留。お前ももういい年だろう。縁談の話とかないのか?」
寝る前の雑談が始まった。
「ない。そういう猿田こそ三十過ぎだろう」
内容を聞いて俺は話の流れに乗っかるチャンスだと思った。
「実は国元のギルドにちょうど三十手前の娘がいて、いい相手いないかって言われたんですよ」
「そうか、俺も身を固めるのも悪くないとは思ってるけどな」
「結構、可愛いお姉さんですよ」
「なるほどな。あと支部長に対してはお前たちはどうなんだ。不満とかあればこの機会に話そうじゃないか」
佐藤小豆の話はスルーされてしまったが、まあいい。ゆっくり詰めていこう。
露九戊に対する不満を考えてみたが思い当たらなかった。
「俺はとくにないですね」
「芽留はどうだ。よく呼び出されているだろう」
「不満はないが、支部長の自由技能の人形の面倒を見させられているよ」
「あの気味の悪い人形か」
「人形のことは女の方が勝手がわかるだろうと、変なこじつけをされてやらされている」
「ははは。支部長よりそのうち芽留のいうことを聞くかもな」
「それも困るけど」
窓の外では雪が音もなく降っていた。
寝るときにストーブは消して下さいねと言われている。まだついている。暖かい。
「飾家側にお前と同じ年くらいの女が確かいただろう」
猿田が思い出したように聞いた。今日はあまり普段知る機会のなかった芽留の話が聞けている。
「永崎か。あの女は取っ付きにくい。誰とも馴れ合おうとしない」
「確か精神病院に入院しているんだろう。色々事情があるのだろう」
初めて聞く名前だ。俺の知らない人だ。
「相葉とノエルは本当に不満はないのか?」
もう一度聞いてきた。
「今までに比べれば今は天国です」
「今まではそんなに辛かったのか」
「そうですね。風呂が辛かったです。水しか使えなかったので。今は毎日旅館の風呂じゃないですか」
「冬でもなのか?」
「そうです」
「それは辛いな」
芽留がしみじみと言う。
「それわかるな。俺もだった」
ノエルが割り込んできた。
「ノエルさんもですか?」
「貧乏だったのか?」
芽留が尋ねる。
「いや、貧乏ではない。修行だといってやらされていた」
「ひどいなそれは」
「でもそれ以外は優しい養父だった」
あの苦しみを共有できるものがこんなそばにいたことに驚いた。
「辛いですよね」
「辛い。だが多分相葉の方が辛い」
「もう一回風呂入りたくなってくるな」
「ははは、もう寝ましょうよ」
「そうだな。明日は白井に戻るまで徹夜で歩き通す予定だ。宿を取る頃はもうすぐ白井に着くっていうところだろうからな。今日は二日分寝ておけ」
そう言われて俺たちは床についた。




