104、大晦日
年の暮れだ。午前中にギルドで終戦の公示が出され、それを確かめた後、夕方頃になって裏町の食料品店に買い物に出かけた。正月用の餅ともろはくを買うためだ。もろはくは一年間世話になった猿田へのものだ。ノエルには菓子を買って帰ろう。店の中は客でごった返していた。母親の服の裾を掴んで子どもが泣いている。母親は他の客とお喋りをしている。売り場に置かれたラジオカセットからは正月の歌が繰り返し流されていた。
買い物を済ませて外に出ると通りの向かい側で若い男が弾き語りをやっていた。通りすがりの人が数人そこで立ち止まって聴いている。俺は店の前の長椅子に座って、自動販売機で買ったしるこを飲みながらしばらく聴いていた。どれも聴いたことのない歌だ。自作の歌のようだ。町の中も暮色に包まれ始めた頃、隣に誰かが座った。よく見ると小林だった。店のエプロンをつけたまま俺の隣に座り、歌を聴いている。
「いい歌だな」
俺の方は見ずにそう言うとポケットからたばことライターを取り出した。
「店長に店の前でやるなって言って、止めてこいって言われてきたんだよ」
「止めなくていいんですか?」
たばこに火をつけるとゆっくり煙を吐きながら言った。
「いいよ、止めるふりで」
薄暗くなった空に煙が上っていく。
「集客にもなるじゃないか」
初めて俺の方を見て笑いながら言った。
その後で小林は押し黙り、二人で遠くを見ながら歌を聴いていた。
「どうもありがとーう。続いては、ティッシュペーパー」
若い男の声が聞こえ、次の歌をうたい始めた。
俺たちは無言でしばらく聴いていた。
小林が二本目のたばこに火をつける。
「ああ、何もない一年だった」
感慨深そうな顔をしてそう言った。
「何もないっていうのは幸せなことなんだぞ。どうしてだかわかるか」
小林が聞いてくる。
「どうしてですか」
「俺はやりたいことが何もない。だから何もないと夢が叶ったことになるんだ」
「随分と後ろ向きのような」
「そうか? お前はやりたいことがあるのか?」
「いえ、何も」
俺は正直に答えた。すると小林も嬉しそうに言う。
「だったら俺と一緒だ。何もない一年を祝して、乾杯」
灰皿に置いてあった誰かの缶コーヒーを拾い、俺のしること乾杯をした。
確かに何もないのが一番だ。俺もそれを願っていたことを思い出した。
「どれ、店長に報告してくるか」
そう言ってたばこを灰皿に突っ込むと小林は立ち上がり、店の中に入っていった。
俺も買い物袋をさげて家路についた。
若い男はまだギターを弾いていた。
宿舎に戻ると晩飯を食べるために食堂に向かった。猿田とノエルが待っていた。歳暮を渡して三人で蕎麦を頼んだ。今日は天ぷら蕎麦だ。改めて三人で安い茶で終戦を祝った。蕎麦が運ばれてくる。
「男と女では寿命に差があるのって何故なんでしょう」
食いながら俺は尋ねた。
すると待ってましたとばかりに猿田の講釈が始まりそうだ。いつもそのときになると行う仕草をした。
踏んづけていた座布団をどかして座卓に右手をついた。
「それは怒るからだ。怒りというのは著しく生命エネルギーを消耗する。怒りっぽいやつで長生きはいない。発散と溜め込むのとでは溜め込む方が長生きには繋がる。年取ってからも女の方がストレスを溜め込みやすいからな」
「なるほど」
確かにその通りのような気がした。
話し終えるとまた蕎麦を食い始めた。
「天ぷらもいいけど素の蕎麦の方が噛みしめられる気がするな」
清貧なのが冒険者だといわんばかりに言う。俺もそれには同感だった。
蕎麦を食い終わり、風呂にも入ると部屋に戻ってきて座卓の前の窓際に座った。寒いので火鉢に火を入れた。
窓枠に寄りかかりながら外を眺めていた。雪がまだ所々に残っているのが見える。
座卓の上のフクメンを見た。割り箸の袋をマフラーにしてみた。不気味さが少し和らいだような気がする。
果歩にさっきメールを送ったらすぐに返事が来た。よいお年を、と書いて送ったら同じ文面が返ってきた。電話をしたらお父さんと初詣に行くと言っていた。元気な声だった。心のこもった声で本当にどうもありがとうと言われた。病院ではなく家で正月を迎えられることに対してだろう。本当に山田には感謝だ。
間もなく年が明ける。
障子と窓を開けて外を眺めた。風もなく穏やかな夜だった。




