95、グランベル戦記(13)
一行はロイヤルベルの街の中を歩いていく。
辺りはすっかり日が暮れていた。城まではあと数刻の距離だという。
空っぽの家が多く、正規兵たちの目にも幾度となく留まりその度に喜ばれた。
――よかった。
――もう大丈夫だ。
ヨルコの姿を認め、正規兵たちは安堵の息を漏らし、戦いがもうすぐ終わることを感じ取っていた。
兵士たちが屯し、民家が集まる一角の空き地で焚き火をしていた。もうすぐ春になるが、まだ夜の間は冷え込む。兵士たちと居残った住民たちがそばで火に当たっていた。
話によると六番隊はあらかた片付いたという。あとは城から動かずにいる一軍のみでそんなに数は多くない。夜が明けたらディランにも伝えよう。ディランにもぜひ会って下さいと言われた。城下町で指揮をとっていたのがディランだったようだ。
「俺たちも休もう」
そういうと街の中にある宿に目星をつけた。従業員のいない空っぽの宿だった。玄関は空いていた。
「勝手に上がらせてもらおう」
そう言うとアクセルたちは銀貨を一枚、受付の台に置き、靴を脱いで中へ入った。人の気配はしない。
部屋を二つ借り、布団を敷いた。その後、受付の休憩所で女三人が飯を作るのを待っていた。
「今日はクライスがいないな」
「寂しいね」
「……」
宿の厨房でヨルコとコノハが飯を炊いている。リュゼは冷蔵庫を物色していた。
「ヨルコさんは、すごいな。何でもできて」
「……」
「私なんて、何もできないから。リュゼは明るいからみんなを元気づけられるし」
「コノハさん」
ヨルコが落ちついた声で手を止めて言う。コノハがヨルコの方を見る。
「初めて会ったとき、あなたは私が頼んだ黒罵詈を作り、それを曲げようとしましたね」
「うん」
「確かに医療で使う針は曲がっています。でもそんなこと普通は知りません。あなたはあの少年のことを考えて、より負担がなくなるようにと慮って針を曲げようとした」
ヨルコが穏やかな声で言う。
「あなたは何もできなくなんてことありませんよ」
それを聞いてコノハが泣きそうな顔でヨルコを見る。
「さあ、さろそろ炊き上がりますよ」
ちょうどその頃、リュゼが何かを抱えて戻ってくる。
「おいしそうなお魚があった」
そう言って保存用の田作りを持ってきた。海苔もあった。三人で大量に握り飯を作った。それを休憩所へ運ぶ。
「うん、美味い」
「あー、生き返るナア」
「天使もお腹が空くんですね」
「人間と一緒だよ。糞だってするぞ」
「ご飯中はやめて」
ルインに向かってリュゼが叱る。
「風呂も使えたら最高なんだが勝手がわからんな」
「あきらめてもう寝ようよ」
「そうだな」
明かりには神術の光術を使っている。それを持ってそれぞれの部屋へ行き、一行は眠りについた。
翌朝、早くに六人は宿を出た。
昨日の空き地には焚き火の跡があった。燃え残った煤が見える。辺りにはまだ人影はなくひっそりしている。冬の澄んだ空気が張り詰めていた。
「さあもう少しだ」
一行は北に向けて歩き始めた。
グランベル帝国。
かつては大陸の大部分を支配下に治め、時の皇帝は大陸中にその名を轟かせたという。そんな皇帝の前に音もなく現れた黒い衣を着た男は自分を神だと言った。少々出過ぎたな、と言ってたしなめるその男を前に皇帝は狂喜した。神をも従えるのだと。しかし、勢いだけでは敵わず、瞬く間に返り討ちにされる。殺されはしなかったが、代わりに呪いを受けた。それ以来、皇帝の血筋のものは何代にも渡って病弱になった。力のない皇帝では広大な領地は治めきれず、国土は見る間に縮小していった。その結果、現在の版図に収まった。神は言った。上に立つもの痛みを知らなくてはいけない。病弱だったが、代々の皇帝は皆穏やかだった。全ては私たちの責任だと言って矢面に立とうとする歴代皇帝に周辺各国は刃を向けられなかった。それで大陸は一応平和が保たれていたが、所詮は人の世。平和というものは柔和さだけでは成り立たない。次第に力をつける周辺国は軍事力を燻らせるようになった。強大な力、リーダーシップ。そういうものの元で初めて世は平らげられる。ヨルコ・リフォルウィッチという存在はまさにこれまでグランベルに足りなかった、待望されたカリスマ性だった。
黒檀を引き摺る男がいる。
街の中を歩く六人の前に突然、姿を現したその男は黒檀の切っ先をヨルコに向けて。静かに言葉を放った。
「かつての上官殿へ。ご報告奉ろう」
「誰だ? あんた」
ルインの問いかけには答えずに続ける。
「一番隊バルドス、四番隊イリーナの手により死亡。四番隊イリーナ、六番隊オウロラにより死亡。三番隊レオン、ロングソードを手にし自害。二番隊ディラン、五番隊、このフォルードの手により死亡」
「……」
全員の表情が曇る。
「残るは五番隊、六番隊のみ」
フォルードはそう言うと、握っていた黒檀を放して地面に落とした。
カランと音を立てて黒檀が落ちる。
「ヨルコ……。チヨも死んだよ」
男は懐から短剣を取り出した。鞘から抜き放つ。
「反乱を恐れたルカーサに人質に取られた。狭い牢獄に閉じ込められた」
それをヨルコに向ける。
ヨルコはただ黙って聞いていた。
「病み上がりの体で過酷な環境で生きていける筈がない」
短剣を持つ右手を下ろし、項垂れた。
「あんたに刃は向けられない」
場の空気が少しだけ和らいだ。
「ヨルコさん……。ありがとう」
顔を上げ、少し微笑んで言った。
そして持っていた短剣を自分の体に突き立てた。
「……!」
「ごふっ」
「おい、何てことを!」
その場に前のめりで倒れる。
全員が駆け寄る。
「コノハ!」
「うん!」
回復神術【白湯】を施す。
しかし、回復は追いつかない。傷が深い。
フォルードはそのまま絶命した。
「くっ、またかよ」
「どうして、こんな」
呆然と見下ろしていたヨルコはやがて膝をつき、泣き始めた。
「……うっ」
フォルードが最後に見せたのは、武器商でも軍人でもなく、父親としての顔だった。
これでかつての隊長たちは全員死んだ。
それでも、前へ。
ヨルコを前へと送り届けるために全員死んだのだ。
ロイの元へ。
泣いている暇はない。
朝を告げる日の光が東の空から登り始めていた。




