第6話 罪を犯す 3
村尾蒔苗は正直言ってよくわからない人である。
中性的な外見と読めない表情が特徴の私のルームメイトだ。
こちらに引っ越してから何度かトラブルに巻き込まれたけれど、だいたいにおいてろくに表情を変えもしないのである。
いつかほえ面をかかせてやる、などと思っているけれどそれは今は関係がない。
とにかく淡々とトラブルに対応してくれるので今回のような状況では頼りになるだろう。
私のように感情的になって判断を誤ることは少ない人だと思う。
連絡すると村尾さんは五分で来た。
さすがに早すぎる。
なんでもまたぞろどこかの部活動の
見学をしていたとか。
もう五月も終りになるというのになかなか活動的なことだ。
とりあえず事情を説明することにする。
私は背筋を伸ばし、できるだけ要点を絞って話し始めた。
「どうも小船井さんのぬいぐるみが盗まれたようなんですが……」
小船井さんが慌てた様子で声を上げた。
「いやまだ盗まれたとは限りません。
私の不注意でどこかに落としたのかもしれませんし……」
正直なところまだそんなことを言っているのかと思う。
これは私の頭に血が上りすぎているせいだろうか。
迷いながらもとりあえず小船井さんにはとりあわずに状況を村尾さんに説明する。
一通り話を聞くと村尾さんはいつも通り感情の読みにくい表情で質問してきた。
「化学室の入口ってどういう感じだっけ?」
私もよく知らない。
小船井さんの方を見る。
彼女は眉を寄せ、慌てたように答えた。
「ここの教室とそんなに変わらない感じです。
教室の前と後ろに一つずつ入口があります」
彼女は思い出すように、一瞬目を閉じた。
「気にしているのが目撃者の先輩が両方の入口が外から見えていたのかであれば、多分見えていたと思いますよ」
入口は両方とも見られていた……、か。
多分それなら思った通りの方法だろう。
少し気分が悪くなるが、まあまだ本当にそうかはわからない。
話を聞いた村尾さんがどういう結論を出すかが問題だ。
それとなく反応をうかがうけれど、村尾さんの表情は相変わらず読みづらく、何を考えているかはわからない。
村尾さんは少し考えこんだ後、相変わらずの無表情で言った。
「多分あってると思うんだけど、化学の先生って××先生かな?」
いきなり核心が突かれた。小船井さんは不審そうに答えた。
「確かにそうですけど……」
小船井さんの声は明らかに動揺していた。
一度喉を鳴らして、続ける。
「××先生が犯人だっていうんですか」
「多分そうじゃないかと思うんだけど。最近なにか恨みをかったこととかないかな?」
村尾さんの声は淡々としていたが、その言葉には確信が感じられた。
小船井さんはちょっと考え込むと、顔を青くした。
両手を胸の前で握りしめ、声を落として言う。
「この前授業中に××先生が間違えていたところを指摘したことがあったんですけど、まさかそれで……。
確かにその後から先生の態度がちょっとおかしいかなという気はしていたんですけど。
まさかこんなことまで……。
でもそもそもどうやって見られずに化学室に入ったって言うんですか?」
村尾さんは小さく息を吐き、答えた。
「普通に見られてたんだと思うよ」
その答えの簡潔さに、小船井さんは戸惑った表情を見せた。
村尾さんは続ける。
「さっき瀬島さんが言ってたけど目撃者は××先生のクラスの人だったんだよね。
詳細は省くけど、××先生のクラスではこういう嫌がらせをされている人が他にもいるけどクラスの人はみんな無視しているみたい。
今回も触らぬ神にたたりなしで見なかったことにしたんじゃないかな。
それに……」
村尾さんはこちらを見た。
その視線には珍しく鋭さがあった。
「このくらいのことは瀬島さんもわかっていたんじゃない?」
小船井さんも驚いた様子で身を乗り出し、こちらを見た。
私は思わず視線を逸らした。
少しばつが悪い。
ただダブルチェックは必要だろう。
特に私は頭に血が上りやすい。
××先生への怒りで犯人を決めつけていないとも限らないのだ。
ただ、小船井さんはまだ納得できていない様子だ。
「でもあの先輩はそんな隠し事をしている様子はありませんでした」
彼女の声には真摯さがあり、純粋に理解しようとする意志が感じられた。
「嫌がらせを見て見ないふりをしているというなら多少でも後ろめたさはあると思います。
でもあの人は堂々としていて、疑われるのが不愉快そうな様子でした」
村尾さんはその言葉を静かに聞いていた。
テーブルに置いた両手の指先を軽く組みながら、少し考え込むような仕草を見せる。
「その辺りの人の内心とかを想像するのは苦手だなー。
単に内心を隠すのが上手なのかもしれないし、もしかしたら本当に見てないのかもしれない。
でもだとすると化学室に入る方法は思いつかないね」
村尾さんは本気で言っているのだろうか?
そんなのわかり切っているだろうに。
それとも本人の言うように他人の内心がわからないのだろうか。
「多分××先生が犯人で間違いないと思いますよ。
あの先輩が堂々としていた理由もわかると思います」
少しだけ言い淀む。
「……単純な話です。
あの人は消極的に嫌がらせを見逃していたんじゃなくて、積極的に嫌がらせに参加する側の人だったんだと思います」
私の実家の例を出すまでも無く、嫌がらせを目撃した人間の反応はだいたい二つに別れる。
つまり見なかったことにするかそれとも自分も嫌がらせをする側に回るか。
弱い人間が居たら自分も嫌がらせをしていいと思う人間の数は存外に多いものなのだ。
「もともと××先生の嫌がらせに参加していた。
だから今回××先生が別の人に嫌がらせをしているのを見てもこいつも嫌がらせをしていい奴なのか、ぐらいに思っていたのでしょう」
小船井さんの表情が引きつる。
目が大きく見開かれ、唇が小さく震えている。
彼女の世界観が根底から揺らいでいるのが見て取れた。
村尾さんの方は相変わらずの無表情で「なるほどね」と言った。
「無理やり従わされていやいや黙らされてるんじゃなくて、自分から加担しているのであれば、当然後ろめたさなんて感じるわけもない、か。
それは考えいてなかったな。
勉強になったよ」
村尾さんはそう言うと小船井さんの方を見た。
「どう、小船井さん。
まだ違和感は残ってる?」
小船井さんは両手で顔を覆いそうになったが、途中で止めた。
彼女の目には混乱と恐れが浮かんでいる。
声はほとんど囁くように小さくなっていた。
「もしその通りなら違和感はないですけど、まさかそんなことって……」
小船井さんとしては信じがたい事なのだろうか。
でも私にとってはそれが現実だった。
弱っているときに見捨てられるのならまだいい方で、こいつは弱いから自分も嫌がらせをしようと思う人間には山ほど会ったことがある。
それに助けが欲しいときに助けてくれる人間なんていなかったのだから。
「で、それには納得したんだけど、なんで瀬島さんは僕を呼んだの?
聞いた感じ僕の考えたことくらいはすでにわかっていたみたいだし」
「一つには同じ結論にいたるかが知りたかったというのがあります。
私が××先生のことを嫌いすぎて先入観で犯人を決めつけていないとも限らないので。
それともう一つ……」
ちょっと言い淀む。
自分の力不足を口にするのは苦しいものだ。
「私では犯人らしき人間を決めつけることは出来ても、どうやって肝心の小船井さんのぬいぐるみを取り戻せばいいのかが思いつかないんです。
私が怒り狂って乗り込めばいいのであれば今すぐにでもするんですが……。
それで状況が良くなるとも思えません。
相談できる相手が欲しかったんです」
小船井さんが驚いたような表情でこちらを見る。
なんだろう。
そんなに変なことを言っただろうか。
一方、村尾さんは納得したように頷くと言った。
「まあ確かに誰が犯人かとかよりは取り戻せるかどうかが問題だね。
難しい話だけど策を考えてみようか」
村尾さんならそういってくれると思っていた。
とりあえず気になった点から相談させてもらおう。
「今問題のぬいぐるみはどこにあると思いますか?
どこかに捨てられているのなら化学室周辺の教室のゴミ箱を片っ端から探してもいいんですが、正直そうやって捨てるとも思えないんですよね」
もし仮にゴミ箱からぬいぐるみが見つかりでもすればさすがに嫌がらせだと誰にでも分かるだろう。
さすがに犯人もそれは避けると思いたい。
……生沼先輩から聞いたこの学校の嫌がらせへの対応からすると、実際にゴミ箱から見つかったところで学校が問題視してくれるかは半信半疑ではあるけれど。
村尾さんはしばらく考えるといった。
「僕なら一旦は手元に隠しておくかな。
小船井さんが騒いで問題になりそうだったら、いかにも落としてそうなところにでもこっそり置いておけば、小船井さんが自分で落としたのに大騒ぎしたことにして面子もつぶせるだろうしね」
そういう考えもあるか……。
確かに犯人の立場からすればそれは効果的だ。
嫌がらせをする相手の信用を落とし、周囲からの孤立を深める。
村尾さんは続けていった。
「でも正直言って犯人が持っているか、もう捨ててしまっているかは半々かな」
半々か、そんなところだろうか。
まあここで想像していても仕方がない。
「じゃあ今から××先生に怒鳴りこんで解決すると思いますか」
正直私にはそれで解決するとは思えない。
村尾さんもそれは同じだったようで黙って首を横に振った。
じゃあどうすればいいだろう。
××先生と交渉しようにも材料がない。
考え込んでいたところで村尾さんが口を開いた。
「成功するかはどうかはそれこそ半々だけど、僕に考えがある」
思わず村尾さんの顔をまじまじと見てしまった。
この状況でなにか手があるというのか。
期待して呼んでおいてなんだが、そんなにあっさりとアイデアが出てくるとは思っていなかった。
「どんな手があるんですか? 正直手詰まりだと思ってました」
自分の声が少し上ずっているのを感じた。
村尾さんは淡々と言う。
「僕のクラスの担任知ってるよね。
丸山先生。
あの人結構長い間この学校に勤めていて、教職員内でも発言力がある方のはずなんだ」
その言葉には確信があり、村尾さんがそれなりに教師の力関係を把握していることが窺えた。
「何とか言いくるめて立ち会ってもらって××先生と話そう。
そこで何かぼろを出してくれれば荷物の確認くらいはさせてもらえるんじゃないかな。
さっきも言ったけど××先生の手元にぬいぐるみがあるかはわからないけどね」
学生だけなら話にならなくても発言力のある先生が居れば話になる、か。
教室の窓から見える暗くなりつつある空を見ながら、私は複雑な感情に襲われた。
正直気に入らない考え方ではあるけれど、他に思いつく方法もない。
一旦村尾さんの考えに乗るのがいいだろうか。
失敗したところで今より状況が悪くなるわけでもないだろうし。
××先生には警戒されるかもしれないけれど、それは言っても仕方がない。
「わかりました。
一旦その手で行きましょう。
小船井さんもそれでいいですか?」
私たちのやり取りを小船井さんは目をしばたたかせながら見ていた。
そこに急に話を振られて動揺した様子だったが、しばらく考えると言った。
「お願いします」
彼女は両手を強く握りしめていた。
その表情には不安と決意が交錯している。
「でも本当に無茶はしないでくださいね」




