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第6話 罪を犯す 2

 その日はボードゲーム同好会も休みの日だったので、さっさと帰ってもよかったのだけれどたまたま気まぐれを起こして校内をぶらぶらしていた。

 廊下の窓から斜めに差し込む午後の日差しが、床に長い影を作っていた。

 ほとんどの生徒は部活動に向かい、廊下はすでに閑散としていた。


 生沼先輩への嫌がらせをやめさせる件で考えがまとまらなくて、なんとなく気分転換がしたかったのだ。

 普段見ないような物を見ることで刺激を受けて何か思いつかないかな、などと藁にもすがるような気持ちが半分、そもそもこんなことは私がやる前に誰かがすでにやるべきことではないかという苛立ちの気持ちがもう半分。


 生沼先輩に嫌がらせをしている教師、ここでは仮に××先生としておこう。

 ××先生がどういう先生なのかはよく知らない。

 接点と言えば廊下ですれ違ったことくらいで、生徒を見下すような目つきをしているな、という印象を持ったことを覚えている。

 先入観だろうか。

 他に知っていることといえば生沼先輩に嫌がらせをしていること、生徒会担当とかいう役職にあることくらいで、担当科目も知らないくらいだ。


 その××先生が生沼先輩に嫌がらせをしていることを学校側や生沼先輩の同級生が知らない訳がない。

 何なら先輩はハラスメント相談窓口とやらにまで相談していたという。

 そのうえで放置しているのはどういう了見なのだろうか。

 他人の不幸など知ったことではないと、そういうことだろうか。

 思えば私も実家で暮らしていたころはずっとそういう目で見られてきたような気がする。


 それに気が付いたのは一通り校内を見て回って、そろそろ帰ろうかと思った頃の事だった。

 結局何も収穫はなく、見つけたものといえば玄関のあたりに燕が巣を作っていたくらい。

 ほほえましいものだが、現状を改善するヒントにはなりはしない。


 そんなことを思いながら教室に荷物を取りに戻る途中、何やら焦った様子の聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。

 高く、震える声音は明らかに動揺している。


「何か見ていませんか!」


 もちろんそのまま無視して帰っても良かったし、普段なら多分そうしていたはずだ。

 他人のトラブルに首を突っ込むほど面倒なことはない。

 ただ今日はなんであれ刺激が欲しい気分だったので、一瞬立ち止まった後、声がした方向に足を向けたのだった。


 化学室の前で二人の人間が話し合っていた。

 というより一人がもう一人を問い詰めていた。

 小さな体が大きく前のめりになり、男子生徒に詰め寄る姿勢。


 珍しい、と思ったのはそれが見知った顔だったからだ。

 小船井郁子、いつもの余裕をもった表情は今回に限ってはなく、かなり焦っている様子だ。

 頬は紅潮し、目は潤み、両手を小刻みに震わせながら必死に何かを訴えている。


 問い詰められているのは男子生徒だ。

 高身長で端正な顔立ち、制服のボタンを外した不良っぽい雰囲気。


 どこかで見た覚えがある。

 ……確か生沼先輩と同じクラスの生徒だろうか、ボードゲーム同好会の活動の関係で先輩のクラスに行ったときに何度か見た覚えがある。

 彼は腕を組み、明らかに面倒くさそうな表情で小船井さんを見下ろしていた。


 さて、どうしよう。

 一応は小船井さんは知り合いにあたるわけだし、声をかけても不自然ではないだろうか。

 そう思いながら近づいていくと、二人の方も私に気が付いた。

 小船井さんがこちらを向き、声をかけてくる。


「あ、文さん」


 泣きそうな顔でこちらを見てくる。

 目は赤く、まつげには涙が光っている。

 正直やめてほしい。


 小船井さんは普通の人生を送っていそうで、性格も裏表がなく実のところ私にとっては苦手な相手だ。

 明るく、素直で、周囲から好かれるタイプ。

 なんなら小船井さんひどい目に会うところを想像して溜飲を下げたこともあるくらいだ。


 私とは違う世界に生きている人間への、ねじれた羨望と反感。

 けれど実際にそういう顔をされるとやはり気分のいいものではない。

 そういうものは妄想の中だけで十分で、現実に持ち込むべきではないだろう。

 そんなことを考えながら返事をする。


「なにかあったんですか」

「私のかばんについていたぬいぐるみ、わかりますよね。

 それがなくなってしまったんです」


 小船井さんの声は震え、言葉の最後がわずかに上ずっていた。

 そのぬいぐるみには確かに覚えがあった。

 小さな茶色のクマのぬいぐるみで、少し色あせて毛並みが擦り切れたところがあった。

 たしか中学校の親友だかなんだかが「私だと思って大事にして」などと言ってくれたものらしい。

 一度小船井さんが嬉しそうに見せてくれたことがあった。


 その話を聞いたときは恵まれた人間関係を過ごしてきたんだな、と思って印象に残っていた。

 それほど大きなものでもないのでかばんに着けているのよく見た覚えがある。

 それが紛失したというのだろうか。


 確かに小船井さんにとっては大問題に違いない。

 両手を胸の前で握りしめ、男子生徒を見上げる姿は、まるで必死の願いを伝えようとしているようだった。

 それで……、


「先輩は何か関係があるんですか?」


 話を男子生徒に向ける。

 彼は私の方を少し見下ろすような姿勢で立っていた。

 返答は投げやりな口調で、簡潔だった。


「別に何も。

 たまたまここで作業をしてたから、何か見てないか問い詰められていただけ」


 声には明らかな苛立ちが含まれており、小船井さんを見る目には軽蔑の色が浮かんでいた。

 なんだか不愉快そうだ。

 まあ気にしていても仕方がない。

 必要なことを訊いておこう。

 私は一歩前に出て、できるだけ落ち着いた声で質問した。


「それで何か見ましたか?」


 先輩はちょっと面食らったようだ。

 眉が上がる。

 私が小船井さんに加勢するとは思っていなかったのだろうか。

 戸惑った様子の返事が帰ってきた。


「そっちの子にも言ったけど何も見てない。

 俺がここにいる間にはその子以外には誰も化学室には入らなかった」

「そうですか……。

 先輩がここにいたのはいつ頃からですか?」

「放課後になってすぐだよ。

 その子がここに来た頃にはもういた。

 だからきっとどこか別のところで落としたか何かじゃないか」


 小船井さんの方を見ると、彼女は必死に首を横に振っていた。

 髪の毛が左右に揺れ、その目には必死の色が宿っている。

 たぶんここに置いたころにはまだあったと言いたいのだろう。


 ただここで先輩に反論しても仕方がない。

 一旦場所を変えて小船井さんから話を聞いた方がいいだろう。

 そう提案しようとしたところで、急に態度を変えた先輩から声をかけられる。


「瀬島さんだよね。

 随分勉強熱心だって聞いてるよ。

 そのわりに成績は良くないとも。

 担当の先生とも話してたんだけど、良かったら生徒会に入る気はないかな。

 勉強なんかよりそっちの方が人間力が高まると思うし、何だったら効率のいい勉強法も教えてあげられると思う」


 随分嫌な噂の立ち方だな。

 それに勉強なんか……、ね。なんか白けてしまった。

 あんたはなにもわかっていない、などといっても意味がないだろう。

 理解できない相手には何を言っても通じないものだ。

 湧いてくる怒りを表に出さないように、拳を強く握りしめながら返答する。


「申し訳ありませんが、お断りします」


 私の声は静かだが、冷たさを帯びていた。

 相手の目をまっすぐ見つめながら、一語一語を噛み締めるように続ける。


「あなたの言う人間力とやらが他人の大切にしているものを馬鹿にすることであればそんなもの私はいりません。

 それに……」


 喧嘩を売る前に撤退の準備を整える。

 そして言った。


「あなたの生沼先輩に対しての態度に私はまったく賛成できません。

 それが人間として優れた態度だと言うのであればそんなものとは関わり合いになりたくありません」


 言い終わると同時に、私は小船井さんの手を取った。

 彼女は驚いた表情を浮かべたが、抵抗はしなかった。


「行きましょう」


 それだけ言うと、小船井さんの手を引いてその場から逃げ出した。

 廊下を歩く二人の足音が空いた校舎に響く。

 去り際に見ると先輩の顔はすこし引きつっているようだった。

 多少なりとでも動揺したというのならいい気味だ。

 背中に冷たい視線を感じながらも、私は足を止めなかった。


 荷物も回収しないといけないし、とりあえず自分の教室まで戻ってきた。

 夕暮れが近づく校舎の窓から、オレンジ色の光が教室の床に長い影を落としている。

 幸い教室には誰も残っていなかった。

 話をするには都合がいいだろう。


 小船井さんを見ると無理に引っ張られてきたせいか、目を白黒させていた。

 とりあえず一番近い椅子を引き出し、彼女に勧める。

 小船井さんは椅子に腰を下ろすと、小さなため息をついた。


「あの……、なんであんなことを……」


 彼女の声は小さく、震えている。

 眼差しには戸惑いと好奇心が混じっていた。


「そもそも生沼先輩ってどなたですか?」


 その質問に、私は一瞬言葉に詰まった……、説明が面倒くさい。

 生沼先輩が教師から嫌がらせを受けていることや、同級生がその嫌がらせから先輩を助けていないことに対して私がどんな思いでいるかなんて語ってもしょうがないことだろう。

 それに今問題なのはそんな事ではない。

 窓の外を一瞬見つめ、私は話をそらすことにした。


「そんなことよりあの先輩はああ言ってましたけど」


 私は意図的に声の調子を変え、体を前に傾ける。

 話題を変えるという明らかな意図を込めながらも、できるだけ自然な口調を心がけた。


「あの人が見てたはずの間に化学室でなくなったって言うのは確かなんですか?」


 露骨なごまかしだとは自分でもわかっていた。

 小船井さんもそれは理解していただろう。

 ただ無理に詮索はすることは選ばなかったようで、真剣な表情で質問に答えてくれた。


「はい、化学室に荷物を置いた時点では確かにあったはずなんです」


 彼女の声には揺るぎない確信が込められていた。

 両手を膝の上に置き、まっすぐ私の目を見る。

 その真摯な様子に、少しだけ申し訳なさを感じた。


 記憶違いということもありえなくはないけれど、ここまで断言するようならとりあえずは信じてもいいだろう。

 それより気になることがある。


「そもそもどうして化学室に荷物を置いていたんですか?」


 放課後にそんなところに荷物を置く理由がわからない。

 確か小船井さんは部活動などには入っていなかったはずだ。

 授業が終わり次第真っ先に帰る姿をよく見る。

 まあよく見るのは私もだいたい真っ先に帰っているからなのだけれど。

 それが今日はなにか用事でもあったのだろうか?


 小船井さんは少し考えるように目を伏せ、それから言葉を選ぶように話し始めた。


「今日の最後の授業が化学だったんですけど、グラウンドでちょっとした実験をしていてその片づけを頼まれていたんです」


 彼女の手は制服のスカートのひだを握りしめている。おそらく無意識だろう。


「片づけが終わったらそのまま帰ろうと思って一旦化学室に荷物をおいていたのですが……。

 そうしたばっかりに……」


 言葉の最後が詰まり、目に涙が浮かぶ。

 彼女は慌てて袖で目元を拭った。


 とはいえこういうことになると予想するのは難しいだろう。

 こればかりは小船井さんの責任だとは言えない。

 ただの不運だ。

 それより気になることがある。


「グラウンドで化学の実験って何をしたんですか?」

「なんかテルミット反応とかいって爆発する実験をしていました。

 室内だと危ないからグラウンドでやったんだと思います」


 爆発……、随分派手な実験だ。

 とりあえず疑問はとけた。

 それなら確かにグラウンドぐらいでしかできないだろう。


「それでグラウンドに行って片づけをして、化学室に道具を持ち帰って、気が付いたら例のぬいぐるみがなかったというわけですか?」

「はい」


 小船井さんは静かに頷いた。

 その瞳には不安と期待が混ざり合っていた。


 とすると怪しいのは名前も知らないあの先輩という気がする。

 誰も化学室に入っていないというのならば先輩自身が犯人ということはないだろうか?

 そう口にすると小船井さんから反論が帰ってきた。


「単なる印象ですけどあの人には後ろめたそうな様子はありませんでした。

 不愉快そうではありましたけど。

 それにあの人はいくらだって嘘をつけたわけじゃないですか。

 自分が盗っていたのならわざわざ誰も見なかったなんて言う必要もないはずです」

「それもそうですね」


 犯人だったらわざわざ自分が怪しまれるようなことを言う必要なんかない、か。

 確かにそれはそうだろう。

 小船井さんはさらに続ける。

 小船井さんは机に肘をついて、さらに続ける。


「それに……、私はあの人とあったのは初めてです。

 そんな嫌がらせをされるほど嫌われる理由もないはずです」


 その言葉には純粋な困惑が込められていた。

 彼女の世界では、理由なく人を傷つけることは考えられないのだろう。


「あのぬいぐるみは私にとっては大事なものですけど、嫌がらせ以外に盗む価値があるとも思えないですし……」


 それはどうだろう?

 世の中には悪意に満ちている奴がいるものだ……。

 例えば私みたいに。

 小船井さんのような幸せそうなひとが気に入らないというだけで嫌がらせをすることも無いとは言えない。


 まあでもあの先輩が犯人ということはおそらくないだろう。

 というか犯人が誰かはわかっている。

 あるいは決めつけている。


 問題はその決めつけが正しいかどうかだ。

 頭への血の上りやすさには自信がある。

 ただ単に私が冷静で無くて犯人を決めつけているだけだと言う可能性もあるだろう。

 それに問題は犯人が誰かということではない。

 小船井さんのあのぬいぐるみをどう取り戻すかだし、今後二度と同じことを起こさせないことだ。


 頭に血が上って余計なことをしたばっかりに事態がさらに悪化することもありうる。

 ここはとりあえず冷静な第三者に意見を求めるべきだろう。

 事前知識が私とそれほど変わらない第三者でも同じ結論にいたるのであれば、私の決めつけが事実である可能性も高いはずだ。


 村尾さんの淡々とした表情が脳裏に浮かぶ。

 あの人なら冷静に判断してくれるはずだ。


 この抑えが効くようになったのは私も成長したといえるだろうか……。

 あるいはただ状況に対して妥協しているだけだろうか。

 そんなことを考えながら小船井さんに声をかける。


「一度村尾さんに相談してみませんか。

 多分あの人こういうことを解決するのは得意なはずです」


 小船井さんの目に、微かな希望の光が灯った。

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