第5話 不運について 2
結局次のゲームも私のプレイにいいところはなく、運だけで勝った。
今回も勝負を決めたのは生沼先輩が引いたイベントカードだった。
一回目の焼き直しのようだ。
もちろん最初にくらべて私のゲームへの理解も多少は深まっているため、そこまでは比較的いい勝負ができたとは言ってもいい。
今回の勝負を決めた「ハラスメント」カードをもてあそびながら先輩は言う。
その声は不自然なほど平静だった。
「さすがにこのレベルのカードが二枚あるのはやりすぎな気もしてきたよ」
「たまたまかもしれませんが、結果だけ見るとさすがに運ゲーが過ぎる気がしますね」
しかも引いたのは二回とも生沼先輩だ。
私だったら嫌になって投げ出しているかもしれない。
水を一口飲みながら「ハラスメント」カードの効果を再確認する。
「ハラスメント」の効果は能力点と健康点をそれぞれマイナス三する。
単純な点数の合計で見れば「大病」よりも凶悪なカードだ。
僅差だったゲームの流れを決定づけるには十分すぎる威力だった。
とはいえ単純に「ハラスメント」のカードを抜いたら済む問題ではないだろうとは思う。
テーブルに散らばったカードの一枚一枚には、生沼先輩の意図が込められているはずだ。
指先でカードの端をなぞりながら考える。
生沼先輩の作るゲームなのだから先輩が納得いく形であるべきだ。
「でもこういうカードを入れたいんですよね。
先輩にとってのリアリティーの関係で」
生沼先輩は手元のカードを見つめたまま、しばらく動かなかった。
やがて顔を上げると、 少し困った顔をした。
「そうだね。
世の中には理不尽な不運がつきものだと思うから」
その言葉には重みがあった。
私は手元の「ハラスメント」カードを見つめ、そこに書かれた文字と実際の出来事との距離を測るように言葉を選んだ。
「先輩が受けている嫌がらせも不運ですか」
踏み込み過ぎたかもしれない。
生沼先輩は特に気にした様子もなく、むしろ肩の力が抜けたように見えた。
「まあそれも不運だけどこのカードほどではないかな」
それから生沼先輩は少し迷っているような様子を見せた。
言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。
「いつか言わなきゃならないとは思ってたんだけど、いい機会だから言うね」
私は自然と身を乗り出していた。
静けさの中で先輩の声だけが存在しているようだった。
「あの嫌がらせの犯人はわかってるんだ。
誰かは言えないけどね。
このカードの……モデルになっているのは僕の友人だった人なんだけど、そもそも最初嫌がらせをされたのはその子だったんだよね」
別の人が嫌がらせをされていたというのは初めて聞いた。
喉の奥が熱くなるのを感じる。
生沼先輩は続ける。
「その子が僕に相談してくれてね。
僕もなんとかしようとしたんだけど、結局何もできなかったから、その子は転校しちゃったんだ。で、そこから嫌がらせの対象が僕に移ったってわけ」
転校……。
そこまでの事になってたのか。
テーブルに置かれた「ハラスメント」カードの文字が、単なるゲームのルールを越えた意味を帯びて見えた。
無意識のうちに、右腕を左手で握りしめていた。
思い出したくもない記憶が、うっすらと意識の表面に浮かび上がりそうになる。
「ところで、この学校にハラスメント相談窓口っていうのがあるのは知ってるかな?」
その言葉を口にした瞬間、生沼先輩の表情が一瞬だけ歪むのが見えた。
目元にしわが寄り、少しつらそうな目をした。
一瞬のことだったが、そこに隠された感情の重さを感じずにはいられなかった。
「知りませんでした。
そんなのがあるなら相談したら対応してもらえるんですよね」
「あの子が転校する前に相談して、結局結果を教えてもらったのが最近でさ、不適切なふるまいではあったけどハラスメントにはあたらないってさ」
「不適切」と「ハラスメントにあたらない」という言葉の間の矛盾に、私の中で怒りが静かに燃え始めるのを感じた。
先輩は続ける。
「それだけでも納得いかないんだけど、ハラスメントじゃない以上ハラスメント相談窓口は何もしないって言われたんだよ」
「無茶苦茶じゃないですか」
思わず声が上ずった。机を両手で強く押さえつけ、沸き起こる怒りを抑え込む。
右腕が熱を持つように痛み、傷跡が訴えかけてくるようだった。
現に人が転校するまでの事態になっておきながら何もしないというのでは、生沼先輩も納得できるわけがないだろう。
「だからもうその方向での解決は無理なんだよね。
正直どうしようかなって思ってる。
それで相談というか、謝らないといけないことがあるんだけど」
その言葉とともに急に視線が私に向けられた。
その真剣な眼差しに、一瞬言葉を失う。
「なんでしょう」
謝られるようなことには心あたりがない。
先輩は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
その呼吸の間にも躊躇いが見える。
「ハラスメント相談窓口に相談して、一応解決のめどが立っていると思ってたんだよね。
だからボードゲーム同好会の募集もしたんだけど、結局どうにもならなそうなんだ」
再び私を見る先輩の目には申し訳なさが浮かんでいた。
「だからせっかく入ってもらったんだけど、危ないからやめてもらった方がいいかもしれない」
ちょっとカチンときた。
いや、かなり。
息を整えようとしたが、胸の奥の熱は冷めなかった。
爪が手のひらに食い込むのを感じた。
「私がやめたら先輩はどうするんですか」
「どうしようかな。
転校するのもいいかもしれないけど、その前に決着だけはつけないといけないとは思ってる」
決着。
その言葉に潜む意味が、教室の空気を重くする。
私は両手をテーブルに置き、椅子から半分立ち上がるような姿勢になっていた。
「絶対にやめたくありません」
私は強く言い切った。
自分でもびっくりするくらい強い語気だ。
頬が熱くなり、鼓動が早くなるのを感じる。
怒っているのかもしれない。
我が事ながらなぜ怒っているのかはわからないけれど。
生沼先輩は目を見開き、少し驚いたような顔をした後で、申しわけなさそうに言った。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどね」
先輩の声には複雑な感情が混ざっていた。
感謝と心配と、何か言いようのない感情。
「前にも言いましたけど、私なら巻き込まれたって自分でやり返すから平気ですよ。
それに……」
「それに?」
私は先輩の目をまっすぐ見つめた。
「私は暴力とか脅しで自分の行動を変えさせられるのが、大っ嫌いなんですよ」
その言葉を発した瞬間、胸の中で何かが溶けていくような感覚があった。
声が少し震えていたが、目は逸らさない。
「やりたいようにやらせてもらいます」
生沼先輩はとても困ったような顔で溜め息を一つついた。
その呼吸には、何日も、いや何か月も積み重ねてきた疲労が詰まっているように感じられた。
「そう。でも絶対に危ないことはしないでよね」
その言葉とともに、先輩の目に一瞬、何か暗いものが浮かんだように見えた。
「なんかこっちのセリフな気がしますね。
決着をつけるって言ってましたけど、何をするつもりだったんですか?」
「なんだろうね。具体的には考えてなかったよ」
その言葉が嘘であることは、先輩が机の端を強く握る指先の白さが物語っていた。
「どうにか二度と同じような嫌がらせをできないようにはしたいとは思ってたけど」
「私にはその過程で危ないことをするつもりだったように聞こえたんですが……」
刺し違えでもしそうな雰囲気だった。
腕の傷跡が疼くような気がした。
生沼先輩はもう一度溜め息をついた。
「そういわれてしまうとそうだね。
そういう手も考えてないわけじゃないよ」
「それ私も混ぜてください」
私は静かに、しかし揺るぎない声で言った。
その言葉を発した瞬間、自分の中の何かが確かになるのを感じた。
「危ないよ。
これは私の問題だから、君には関係ない。
無理に解決しようとしなくてもいいんだよ」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で怒りが再び膨らんだ。
血が頭に上るのを感じる。
息を深く吸い込み、言葉を選ぶ。
「違いますよ。
先輩の問題でもない」
生沼先輩は少し困惑した顔でこちらを見る。
「話を聞いている限りハラスメント相談窓口とやらがまったく機能していないことが問題じゃ無いですか。
先輩の問題じゃなくて、どう考えても学校の問題でしょう」
ハラスメント相談窓口なんていう立派な名前をつけてまるで機能していない。
実際に助ける気のない、アリバイ作りのためだけの形だけの制度なのだろう。
そんなものの責任を生沼先輩ひとりが代わりに背負いこむ必要は無い。
「先輩は自分の責任でも無い問題をひとりで抱え込もうとしているだけですよ。
そんなの先輩の気は晴れるかもしれないですけど、溜め込み過ぎて健康に悪いです」
そう言いながら、私は自分の腕を無意識に押さえていた。
かつての傷跡は既に癒えつつあるが、記憶だけは生々しく残っている。
「見てるこっちが見ていられない。
それに……」
声のトーンを明るく変えて、ちょっとおどけるように言った。
「ようやくボードゲームの楽しさも少しはわかってきたところなんです。
ここでやめろって言われるのは生殺しですよ」
その言葉に少しだけ本音が混じっていることに、自分でも驚いた。
テーブルに散らばったカードを両手で掻き集めながら続ける。
「先輩に責任があることといったら、むしろボードゲーム同好会の方じゃないんですか」
言い終えてから、自分の言葉が予想以上に効いたことに気づいた。
生沼先輩は目をしばたたかせ、何かをしばらく言い淀んでいた。
ようやく口を開いたとき、先輩の声はいつもより高く、どこか戸惑った様子だった。
「ボードゲームは楽しい?」
そんなことは重要ではないとだろうと思ったが、素直に答える。
「ええ。最初は村尾さんについてきただけでしたけど、やってみると意外と楽しいかもと思い始めたところです」
「そう……」
先輩は少しの間黙っていた。
その表情はいろいろな感情が入り混じっているようで、私には何を考えているのか読み取れなかった。
それから先輩は少し笑って、肩の力が抜けていくのが見てとれた。
両手を上げると「降参」と言った。
その声には諦めではなく、新しい何かを受け入れる柔らかさがあった。
「そうだね。
確かに僕の責任じゃ無いかもね」
その言葉を聞いた瞬間、自分の肩から力が抜けるのを感じた。
緊張していた指先がようやく柔らかくなる。
「じゃあ約束してください。
ひとりで危ないことはしないって」
生沼先輩は小さく笑い、首を傾げた。
「なんか立場が逆になってるね。
わかったよ。
約束する」
「じゃあ、また今度いろいろ方法を考えましょう。
とりあえず今日はテストプレイの続きをしませんか?」
私はカードを切りながら提案した。
ゲームに集中することで、さっきまでの重い会話から解放されたかったのかもしれない。
「でもさすがに運の要素が強過ぎるからちょっと調整しないと」
「今日のところはこのままでもいいんじゃないですか」
生沼先輩はまた困った顔で言う。
「この内容で続けてもテストプレイになるかは疑問なんだけど」
「まだたった三回やっただけじゃないですか。
たかが一回や二回上手くいかなかったからって駄目だと決めつけるものじゃないですよ」
人生じゃあるまいし、と付け加える気にはさすがにならなかった。




