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第4話 小船井郁子の穏やかな日常と謎 5

 え……?


 蒔苗さんの言葉が脳に届くまで、一瞬の遅れがあった。

 何を言っているんだろう?


 一方、堀江先輩の反応は驚くほど冷静だった。


「どうしてそう思うの?」


 その声には震えひとつなく、表情も変わらない。

 難癖をつけられた人の反応とは思えないほど堂々としていた。

 むしろ予想していたかのように……。

 その態度を見ると本当に先輩が犯人なのかと思えてしまう。


 蒔苗さんの声は静かだが確信に満ちていた。


「バーベキューの間、席を外したのは瀬島さんと先輩だけです。

 文さんが犯人ではないなら消去法で先輩が犯人ということになります」


 堀江先輩は薄く笑った。


「瀬島さんは自分が犯人だって言ってるよ。

 それはどう説明するの?」

「あんなのは明らかな嘘でしょう。

 さっきも言ったように一応部屋は確認しましたけど、絵はありませんでした。

 瀬島さんは部屋と庭を往復していただけなのでどこにも隠せないでしょう」


 先輩の態度は相変わらず堂々としたものだった。


「外部犯って可能性はないの?」

「じゃあなんで瀬島さんは自分が犯人だと言ったんだと思いますか?

 僕は知り合いが犯人なのを隠すためだと思います。

 それに価値があるかもわからない絵を盗む人がいるというのも考えにくいと思います」


 先輩は頷くとちらりと一瞬こちらを見て、それからあきらめたように言った。


「じゃあ、なんでわざわざ私が自分の絵を盗むようなことをしたんだと思う?

 私にだって盗む理由なんてないはずだよ」


 蒔苗さんは堂々と答えた。


「わかりません」


 先輩は目をしばたたかせた。


「わかりませんって……、それで私が犯人だって告発しようっていうの?」

「はい。

 というかそうじゃないと先輩も困るんじゃないですか」


 そういって蒔苗さんもこちらをちらりと見る。

 それから付け加えた。


「私が思うに、あの絵には何か先輩に都合が悪いものが描かれていたんじゃないですか?

 多分もう少し真面目に調べればそれが何なのか突き止めることも不可能ではないんじゃないかと思います」


 村尾さんは先輩と私を交互に見た。


「ただ、必要ないのに人の秘密を暴く趣味はありません。

 提案なんですけど、先輩が犯人であることを認めてくれたら、私はこれ以上動機については追及しませんし、小船井さんにもどうにか納得してもらいます」


 ……どうやら蒔苗さんにとって最初から問題は私だったらしい。

 この部屋に戻ってきたとき蒔苗さんは「ごまかしてしまえば一番いい」と言っていた。

 誰を……?

 先輩が犯人であると考えていたのならごまかさなければいけないのは私に決まっている。

 私が動揺しているのを察したのか、蒔苗さんは珍しく安心させるように微笑みかけてくれた。


「多分絵をどこかに飾ってくれと送って来たこと自体に悪意があったんだと思います。

 瀬島さんは多分それに気づいていた。

 あの絵を欲しがっていたのもあそこに飾っておくとまずいと思ったからじゃないでしょうか」


 村尾さんはそこで一旦言葉を止めると、少し考えて付け加える。


「いや、瀬島さんのことだからもしかすると本当に欲しかったのかもしれませんけれど」


 先輩は母親が自分に絵を描かせたがっていないと言っていた。

 そもそも考えてみればそんな人が絵を飾るようにと送ってきたことが自体が変だ。


「安心してほしいんですけど、私は何も気が付きませんでした。

 多分小船井さんもだと思います。

 僕たちが鈍いだけなのか、先輩のことをよく知っていないとわからないのかどちらかはわかりません」


 私も何も気が付かなかった。

 蒔苗さんの言葉を聞いて、先輩の表情にわずかな安堵の色が見えた気がした。

 蒔苗さんが言っていることは見当違いというわけでもないようだ。


「では具体的な提案です」


 蒔苗さんは決然とした様子で、指を立てていった。 


「僕と小船井さんはこれ以上絵に何が書いてあったかについて追及しません」


 堀江先輩はじっと聞いている。


「そのかわり先輩は自分が犯人であると認めてください。

 それで丸く収めましょう。

 瀬島さんには僕の方から説明しておきます。

 先輩の秘密が何か、瀬島さんは気が付いてるからこんなことをしたと思うんですけど、あまり人の秘密をべらべらしゃべるような人ではないのでそこは安心してもいいと思います。

 不安だったら直接聞いてみてください」


 蒔苗さんは言葉を切って少し考えると続けていった。


「あと、絵がなくなったことを管理人さんに説明しないといけないので、代わりに飾る絵が欲しいですね。

 先輩の描いた絵で、他人に見せられる絵があればお願いします。

 説明は昔の絵は恥ずかしいから今の絵を飾りたいからで大丈夫だと思います」


 ここまで喋り終えると蒔苗さんは深く息を吐いた。


「こうすればひとまず状況は丸く収まると思うんですけど、どうですか?」


 そこまで言うと瀬島さんは大きく息をついた。

 長く話していてさすがに疲れたようだ。

 沈黙の中私の視線は自然に堀江先輩の方に向けられた。

 先輩はしばらく考えるとゆっくりと頷いた。


「わかった、それでいいよ。

 小船井さんもそれでいい?」


 さすがにここで私だけ逆らうこともできない。

 そもそもこの件について、私は当事者であるとは言えないのだ。

 とはいえただ黙って頷くこともできない。


「基本的には納得しました」


 慎重に言葉を選ぶ。


「ただ、あの絵は本当にいい絵だと思いました。

 そんなに見られたくないものだとは思えないんです。

 どうしてこんなことをしなければいけなかったのか、できる範囲だけでいいので説明をしてもらえませんか」


 勇気を出して先輩を見つめる。

 我ながら物分かりが悪かったかもしれない。

 先輩が知られたくないことを追及しないことが丸く収めるうえで私に要求されていることなのだ。

 それでも先輩は答えてくれた。


「さっき小船井さんには話したけど、私には絵の才能、少なくとも私が描きたいような絵の才能がなくてね。

 ごまかしながら絵を描いてたんだけど、あの絵でそれがいろんな人にばれちゃった。

 世の中には才能がない人が絵を描いていることが気に入らない人が多くてね。

 母親をはじめ才能がないから絵なんか描いても無駄だってわざわざ止めに来る人が山ほどいたんだ」


 そう言うと先輩は大きくため息をついた。


「でもそれは大きなお世話だよ。

 私は私のやりたいことをやりたいようにやる。

 才能があるかどうかなんて関係ないよ。

 だから家を出てこっちに来てからは余計なことを知られないように絵を描いてた」


 窓から差し込む光が先輩の横顔を照らしていた。


「あの絵が飾られるなんて……、びっくりしたよ。

 できるだけ早くあそこに飾られている状況を解決したかった。

 言えることはそのくらいかな」


 それから申し訳なさそうに付け加えた。


「実家にいたころ母親には散々絵を描くことを止められて結構ひどいことも言われたから、また邪魔をされて焦っちゃったね。

 もう少し落ち着いて対応すればこんな大事にならずにもっとうまくやれたかもしれないのに」


 あのすごい絵が才能がないことがわかる絵だったというのがよくわからないけれど、詳細は先輩としても話したくないのだろう。

 たぶんこれが先輩として話せるぎりぎりの所なのだ。

 納得するしかない。


 それに私としても無駄な努力はやめろと言われたことは山ほどある。

 気持ちはわかるとまでは言えないけれどきっと先輩が感じているのもその延長線上にある思いなのだろう。


「わかりました。

 私は今の説明で納得することにします」


 その言葉を口にした瞬間、肩の力が抜けていくのを感じた。

 いろいろと揉めはしたもののこの件は私に不利益があったというわけでもない。

 事情はある程度わかったし、これ以上首を突っ込むのも野暮というか野次馬でしかないだろう。


 まあとはいえややこしいことに巻き込まれはしたので、漫画のネタにするぐらいは許してもらおうか。

 今回の件でいえばいささか唐突だったとはいえ、自分が罪を負ってでも先輩を守ろうとした文さんの行動は面白い気がする。

 先輩を守ろうとしたあの瞬間……。

 表情も声も、記憶に鮮明に残っている。

 もちろん、誰が元ネタか分からないようにキャラクターや状況は変えるけれど。


 そんなことを考えながらふと肝心なことを忘れていることに気が付いた。


「それで結局絵はどうしたんですか?」


 その質問を口にした瞬間、堀江先輩の表情が一変した。

 目を逸らし、明らかに居心地悪そうな様子。


「あの……、今さら見せてほしいとか言うつもりはないんです」


 私は急いで付け加えた。


「ただ、先輩はどこに絵を隠していたのか気になって……」


 堀江先輩の自室は二階だ。

 バーベキュー中も階段は視界に入っていたから先輩が自室に戻っていないことはわかっている。

 とすると一階のどこかに隠したのだろうか。

 少しなら瓶内荘の外に出る時間もあっただろうからどこか近くに隠したのかもしれない。

 外に隠したのなら取りに行くのは早い方がいいだろう。

 そう提案しようとした私に答えをくれたのはまたしても蒔苗さんだった。


「絵ならたぶん先輩が持っていると思うよ」


 そう言いながら蒔苗さんは堀江先輩のエプロンを指さした。

 バーベキュー中は着ていたものだが、今は折りたたんで手に持っている。


「多分そのエプロンのポケットの中じゃないかな」


 その言葉に私は首をかしげる。


「そのポケットじゃ絵は隠せないでしょう。

 丸めて筒状にしたとしてもそれなりの長さになるはずです。

 そんな状態で戻ってきたらさすがに私でも気が付きますよ」


 当然のことを言ったつもりだった。

 しかし、堀江先輩の顔はさらに曇っていった。

 その表情からすると本当そこに入っているのかもしれない。

 蒔苗さんは淡々とつづけた。


「多分一回りすると言って出て行ったときに、額から取り出した絵を破くか、折りたたんでポケットに入れてるんじゃないかな」


 破いた……?

 折りたたんだ……?


 その言葉の意味を理解するまで数秒かかった。

 そんなことをしたら絵はもう元通りには戻らないだろう。


 思わず先輩の顔を見る。先輩の顔には後悔が満ちているように見えた。

 対照的に蒔苗さんの顔にはなんの動揺も見られない。

 対照的な二つの表情に私は言葉を失った。

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