第4話 小船井郁子の穏やかな日常と謎 3
瓶内荘の裏手には、「庭」と呼ぶにはあまりに簡素な空き地があった。
それでも今日はそこがバーベキュー会場となった。
先に始めてくれと言われたので始めていたものの、いつ文さんが下りてくるかが気になっていた。
階段の上り下りは庭からも見えるのでちらちら眺めていたもののようやく文さんが現れたのは、私たちが火を起こしてから十分ほど経った頃。
一瞬、硬い表情が見えたけれど、私たちに気づくと普段の無表情に戻った。
「お待たせしました」
でも安心したのもつかの間、文さんのポケットからはたびたび着信音が鳴り、その度に「すみません」と言って席を外し、自室へ戻っていった。
一体どんな電話なんだろう?
堀江先輩の料理の腕前は「下手」という言葉では収まらないレベルだった。
明らかに生焼けの肉を、何の躊躇もなく口に運ぼうとする。
慌てて止めると、照れ笑いを浮かべた。
「普段は緑が全部やってくれるから...」
同室の先輩の名前らしい。
てっきり堀江先輩は料理上手かと思っていた。
だって使い込まれたエプロンを着けていたから。
よく見ると、そのエプロンの大きめのポケットには絵筆や小さなパレットナイフが入っている。絵を描く時に使うものだったんだ。
「先輩、まだ食べられませんよ」
途中から見かねた文さんが堀江先輩から生焼けの肉を取り上げ、手際よく焼き直し始めた。
人に構わないはずの彼女が、こんなふうに世話を焼く姿は新鮮だった。
女子だけの集まりとあって、会話は自然と弾んだ。
バーベキューの煙と笑い声が混ざり合い、あっという間に食事は終わった。
何の予定もなかったゴールデンウィークが、思いがけず充実した時間に変わっていた。
「そろそろ片付けましょうか」
食器を手に、階段の前を通りかかった瞬間、私の足が止まった。
「あれ...?」
確かにそこにあったはずの絵が消えていた。
額縁だけが壁に残され、中身が綺麗さっぱり取り除かれている。
「蒔苗さん!
絵がなくなってる!」
慌てて声をかけると、蒔苗さんはゆっくりと額縁に近づき、まるで日常的な出来事を確認するかのように淡々と言った。
「ほんとだね。
なくなってる」
もう少し驚くなり、動転するなりしてもいいのに……。
蒔苗さんの冷静さに半ば呆れながら思っていると、後ろから声が聞こえた。
「何があったの?」
振り返ると、文さんと堀江先輩が食器を手に立っていた。
「絵がなくなっているんです。
文さん何回か部屋に戻ってましたけど、その時になくなってたりはしませんでしたか?」
文さんは少し目を伏せ、困ったように唇を噛んだ。
「どうだろう……。
電話のことで頭がいっぱいで、ぼんやり歩いていたから気づかなかったかも」
「階段の前に飾られてるから、なくなってたらさすがに気が付くでしょう?」
「この絵、私にはちょっと高すぎるから見ようと思って見上げないと気が付かないかも」
確かに絵は階段脇の少し高い位置に飾られていた。
文さんの身長なら、ちょうど視線より上になる。
意識して見上げなければ気がつかないのも不思議ではない。
とすると……。
「堀江先輩も一度席を外していましたよね。
その時は絵は見ましたか?」
たしか堀江先輩はバーベキューが一段落した後、食べ過ぎたからちょっと一回り歩いてくるといって席を外していた。
先輩は記憶を探るようにゆっくりと答える。
「見てないなあ。
階段の前は通り過ぎただけで絵の方は見なかったから、その時絵があったかどうかはわからないよ」
絵がなくなった時間を特定するのは難しいようだ。
でも、もっと気になるのは「誰が」「なぜ」という点だった。
「ひょっとして外から誰か入ってきたんじゃないでしょうか」
思いついたことを口にした。
「ここの位置は庭からは見えないけど、通りからなら見えますよね。
誰かが気に入って...」
私たちがバーベキューをしていた庭から絵の飾られている位置は見えなかった。
外部から人が入り込んで盗んでいくことは十分にできたはずだ。
確かにその可能性は十分あった。
絵を額から外して丸めれば、筒状にして持ち運ぶのも簡単だ。
だから額縁だけが残されていたのかもしれない。
しかし何かがしっくりこない。
堀江先輩の絵は確かに素晴らしかったけど、金銭的価値があるとは思えない。
それに飾られたその日のうちに盗まれるなんて、あまりにタイミングが良すぎる。
文さんと蒔苗さんは何やら考え込んでいるようだ。
堀江先輩は私の「誰かが持っていった」という推測に同意してくれたものの、その表情には違和感があった。
自分の絵を盗まれたというのになんだか気にしていないようだ。
というかむしろ喜んでいるような、清々しているという様子に見える。
見られるのは恥ずかしいとは言っていたけれど、盗まれて喜ぶほどにいやだったのだろうか。
沈黙が続く中、突然、文さんが顔を上げた。
「あの絵、どうしても欲しかったんですよね」
欲しがってるのは知っていたけれど、なぜ今それを言い出すのかがわからない。
ただでさえ悪い目つきを少し不機嫌そうにゆがめながら、感情の読みとりにくい声で文さんは続ける。
「他の人に疑いが向くのはよくないと思うのであえて言いますけど、あの絵は私が盗りました」
そう口にする間、文さんは右腕を強く握りしめていた。
その仕草には何か痛みを堪えているような緊張感があった。
そのまま文さんは挑発的に微笑んだ。
「でも証拠はないはずなので、もし返してほしいのであれば証拠を出してくださいね」




