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第3話 正反対の人間 3

 図書室に移動した。

 扉を開けると、埃と古書の匂いが鼻腔をくすぐる。

 書架の間から漏れる午後の陽光が床に斜めの明るい四角形を作り出している。

 椅子に腰掛け、教科書を広げてからも少し集中を欠いていた。


 本当に、先生に話が通じたらしいことが意外だったのだ。

 頭の中は先生との会話が木霊のように繰り返されていた。


 今までの失敗事例と今日上手くいった一回との差はいったい何なのだろうか。

 考えても自分の行動に何か違いがあったとは思えなかった。

 とすると相手に受け入れる気があったかなかったかの違いに過ぎないのではないだろうか。

 つまり、運が良かったかどうか、その違いだ。


 私にはだれかのように自分の意見の通じない相手をコミュニケーション能力が低いとなじる気はない。

 ただ住む世界が違うのだろうと思うだけだ。

 自分の意見が通じる世界で生きていけばいいだろうと思うし、私は一人でいい。

 実害が出なければ他人がどんな意見を持って生きていようが興味はないのだ。


 ただ実害が生じているならば話は別だ。

 生沼先輩への嫌がらせを見過ごすことはできないし、見過ごせと要求されるのも不愉快だと言っていいだろう。

 だから先生に反論した。

 そこまではいい。


 その反論がどうやら先生に届いたらしいことが、こんなにも私を動揺させている。

 住む世界が違うはずの人間に言葉が届くことが私には信じられなかった。

 これまで私がどうせ無理だと思って諦めてきた相手も、もしかしたら会話が成立したのかもしれない。

 そんなありえなさそうな夢想をしながら、教科書をめくっていた。


 集中しようと目を閉じて深呼吸した瞬間、紙がめくれる微かな音が聞こえた。

 目を開けると、隣に村尾さんが座っていた。

 足音ひとつ立てずに現れた彼女の姿に、思わず背筋が凍りついた。

 いつの間に来たんだ、この人は。


 不審の念をこめてそちらを見ると、無機質な瞳で不思議そうな顔をされた。

 仕方がないので口頭で訊くことにする。

 周囲では数人の生徒が本のページをめくる音だけが聞こえている。

 図書室では静粛に。

 できるだけ声を落として言う。


「なんでいるんですか」

「今日は勉強会の日程だったじゃない。

 中止になっても、どうせどこかで勉強してると思って見に来たんだよ。

 ついでに僕も多少は勉強するつもりでさ」


 そういうと読んでいた教科書をちょっとかざしてみせた。


 たしかに生沼先輩に勉強を教わるときには村尾さんもだいたい一緒にいた。

 村尾さんのことだから私の行動を読むのもそんなには難しくないだろう。

 だからと言って私の勉強に付き合う理由はないのではないだろうか。


「だからその見に来た理由は聞いているんですが……」

「友人の様子を見に来ることがそんなに不思議かな。

 勉強についてもお互い監視役がいる方がさぼらなくて済むし、効率がいい」


 相変わらずよくわからない人だ。

 まあ確かに黙って勉強していてくれるなら一人よりも効率がいいだろう。

 それに私よりも村尾さんの方が成績がいいはずだ。

 いざというときに質問することもできるだろう。

 図書室であまりもめるのもよくないし、そういう言い訳で自分を納得させることにした。


 それから小一時間ほど二人で黙々と勉強をした。

 確かに一人でやるよりは効率がよかったし、感謝しないでもない。

 なんでわざわざ付き合いに来たんだという思いはぬぐえないけれど。


 勉強については、正直なところ篠原さんのように馬鹿にしてくる人ばかりで、自分から一緒にやろうという人はこれまで出会ってこなった。

 戸惑いの方が先に来る。

 これで行動原理が面白そうかどうかだと自称しているのだからよくわからない人だ。


 一区切りしたところで今日は十分かと思って帰宅することにした。

 村尾さんもそのままついてくるようだ。

 帰りについでに本を借りようかとも思っていたが、他人と一緒だと言い出しづらい。

 またの機会にしよう。


 帰りながら村尾さんの今日の行動について問いただすとしよう。

 さっきは図書室だったのであまり細かくは突っ込めなかったのだ。

 どうもこの人の行動原理は読めないけれど、私の邪魔にならないものであるかは確認しておきたい。


 問題が起きたのはそんなことを考えながら階段を降り、校舎の外に出たあたりだった。 


 篠原さんと遭遇したのだ。


 正直に言ってあまり関わりたい相手ではない。

 だれでもそうだと思うけれど、馬鹿にされるのは好きではないのだ。

 馬鹿にする側はそんなことを意識してはいないのだろうけれど。


 篠原さんの方は例によって楽しそうだ。

 こちらを見つけるとにやにやして話しかけてくる。


「今帰り? 相変わらず無駄に勉強でもしてたの?

 天才でも無いのに勉強したってなんの意味もないよ」


 いきなりご挨拶だな。

 さてどう答えようかと考えていたところで、隣の村尾さんに気が付いたようだ。いぶかしそうに見つめながら言う。


「へー、友達いたんだ。てっきり私以外ろくに話す相手もいないと思ってた」


 さんざんな言われようだがまあ否定はできない。

 村尾さんとも、たまたま同室にならなければ話す機会などなかっただろう。

 ……たぶん。

 篠原さんはそのまま私の方は指さすと、村尾さんに向けて言った。


「この子勉強ばっかしてるし、付き合うの大変でしょ。

 私ももっとあそぶように言ってるんだけど聞いてくれなくて……」


 余計なお世話だ。

 とりあえず黙らせようと口を開きかけるが、村尾さんの返答の方が早かった。


「僕は今のままでいいと思いますよ。

 今のままで十二分に面白いし」


 村尾さんの私の面白さへの信頼はいったい何なのかと問いたい。

 私を芸人か何かかと思っているのか。

 この二人を話させていると会話が明後日の方にそれそうだ。

 悪口が通じなかったせいか不満そうな篠原さんに声をかける。


「それで何か用ですか。

 私の悪口を言いふらしたくて声をかけたんですか?」

「悪口とはひどい言いようだね。

 アドバイスだよ。

 アドバイス」


 だれも望んでいない、状況を考えてもいない自称アドバイスなんて悪口よりもたちが悪い。

 その程度のことも理解できないのかと思うと頭が痛くなる。

 そんなものはただの押しつけに過ぎないだろう。

 眉をひそめている間に篠原さんは続けていった。


「もう一つアドバイスをしてあげようと思ってね」

「いらないですよ」


「まあ、そう言わずに。

 さっき先生と話しているのを聞いてたんだけどさ、家族と仲悪いんだって?

 そういう風に勉強ばっかで愛嬌がなくて、人のアドバイスをろくに聞きもしないような性格だからじゃないかな。

 もっと私みたいにコミュニケーションに気を使って、人のアドバイスもしっかりきけばそういうことにはならなかったんじゃないかな」


 なるほど、そういう話か。

 頭の中で何かが切れるような感覚があった。

 さてどうしようかな。

 暴力に訴えてもいいんだけど……、と思って拳を握りかけたところで冷たい感触が私の手首を包んだ。


 村尾さんの指だ。

 どうやら予測済みだったらしい。

 村尾さんの方をみると黙って首を横に振られた。

 この人にしては珍しく少し心配しているように見える。

 その顔を見ると少しだけ、あくまで少しだけだが気勢がそがれてしまった。


 仕方がない。

 私としては最大限平和的にことを済まそう。

 いまだに楽しそうに笑っている篠原さんに向き直る。

 一度その顔をぶん殴る想像をして気分を落ち着け、口を開いた。


「では、私からも二つだけいいですか?」


 私の反応が思っているのと違ったのか、いぶかしげな顔を向けられた。

 怒鳴り散らされるとでも思っていたのだろうか。

 いやまあそれ以上のことをするつもりだったのだけど。


 村尾さんの前だし、周囲に人目もないわけではない。

 今回は冷静に拒絶しよう。


「一つはコミュニケーションについてです。

 仮にも他人と友好的に話をしたいというのならその人が大事にしているものを頭ごなしに否定するべきではないと思いますよ」


 もしかしたら勉強を大事にしている人間なんて存在していると思わなかっただけかもしれないけれど。

 もしそうなら狭い見識だ。

 続けて言う。


「もう一つ。

 家族についての話は私の……、逆鱗です。

 そんな風に不用意に触れられたら激怒するとは思わなかったんですか?」


 それとも、と少し溜めてから付け加える。


「あなたはコミュニケーションがとてもお得意なようなので、そんなことなんて百も承知で私をわざと怒らせたかったんですかね?

 どちらにしろ家族のことをおもちゃにされたからにはただでは済ませられません。

 もう二度と話しかけてこないでください」


 それから村尾さんを促すとさっさと帰宅することにした。

 篠原さんが何かまだごちゃごちゃ言っていたようだがもう聞く義理はない。

 無視してそのまま歩き去った。

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