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第3話 正反対の人間 1

人間らしさとは感情を表現し、個性を尊重することである。

 青い鳥という話が嫌いだ。

 とはいえ私の知識なんて子供の頃に読んだ簡略版の絵本程度なので原作を呼んでみるとまた違うのかもしれない。

 ただそうする気にもならないほどに苦手意識がある。


 当時から私の家は荒れていて両親が離婚するぞなどと怒鳴りあうこともしょっちゅうだった。

 子供心にそこまで言うならさっさと別れろよと思った記憶さえある。

 耳を塞いでも漏れてくる怒号は、今でもときおり悪夢のように蘇る。

 両親だけでもそんな調子なのだから他の兄妹を加えればもう手が付けられなかった。

 そんな家にいた私が本を読むことにせめてもの楽しみを見出したのは自然なことだったように思う。


 青い鳥を読んだのもそんな頃だったと思う。

 さんざん苦労して幸せを探し回って、結局家に戻ってくると幸せはすぐそばにあったんだ、とそんな話だったと記憶している。

 当時は明確に言語化できなかったけれど何かしっくり来なかった。

 今にして覚えば言いたいことは簡単だ。

 生まれ育った環境から、手の届かないものを望んであがく人間をあざけるのはそんなにも楽しいのか?


 そんなことを思い出したのは高校に入学してできた友人とも言いたくなくなるような知り合いのせいだ。

 同じクラスで席も近いということで相手から話しかけてきたのだが、なにせ勉強が嫌いらしい。

 勉強なんかすると頭が悪くなると公言してはばからない、そんな人だ。

 名前は篠原さん。


 もちろん私に他人の思想への興味などない。

 どこか遠くで好きにやってくれればいいと思う。

 ただ彼女の場合は私の目の前でそれをやるのだ。


 もちろん私は暇があれば勉強をして少しでも実家での無駄な時間を取り戻したいので、必然彼女は勉強している私の前でそういうことを言い続けていることになる。

 私が馬鹿にされていると感じるのもさすがに無理はないだろう。

 それでいて彼女がいうところの頭とやらをよくするために何をしているのかといえば特に何をしている様子もない。


 今日も休み時間に勉強している私のところに来て声をかけてきたものだ。


「瀬島さんそんなに勉強なんかしてても頭が悪くなるだけだよ」


 開いていた教科書のページに篠原さんの影が落ちる。

 正直言ってとても面倒くさかった。

 眉間にしわが寄るのを感じる。

 さりとて学校で問題を起こしたいわけでもない。

 教科書を持つ指に力が入るのを意識的に緩めた。


 露骨に自分を見下していると感じる相手と会話をするのは正直言って苦痛だった。


「中学ではなかなか勉強ができなかったので、今のうちに追いつきたいんですよ」


 私の答えを篠原さんは鼻で笑った。


「そんなもの勉強したって意味ないって。

 今は個性とコミュニケーション能力の時代だよ。

 勉強なんかしたって個性がなくなるだけ。

 勉強できるだけの人間なんてロボットみたいなもんじゃないか」


 勉強すると個性がなくなるという理論の根拠が知りたいところだ。

 結局自分が勉強したくない言い訳じゃないのかとか、その個性とやらを高めるための努力はしているのかとか、今ここで私の神経を逆なでしているコミュニケーション能力は大丈夫なのかとか、いろいろ言いたいことはあった。

 でも言えなかった。


 ひとつには彼女に反論したところで平行線だろうという予感があったこと。

 自分を見下している相手と議論することほど非生産的なこともそうそうない。

 ただもうひとつの理由のほうが大きかった。


 勉強できるだけの人間ならロボットとかわらない……、か。

 私はロボットになりたかった。

 個性などというものは私を救わなかった。

 私の人生はなかなかに個性的だと思うけれど、そんな個性ない方がいい。

 なんなら子供は機械的に生産され、一律に管理されて育てられるべきだとさえ思う。

 さすがに引かれるから他人には話さないけれど。


 機能だけの生き物になりたかった。

 その思いは昔から変わらない。

 勉強するだけでそれが可能というのなら願ったり叶ったりだ。

 現実ではそううまくいかないのが難しい。

 相手が悪口のつもりで言っているのはわかるのだが、どうしてもそう思ってしまう。


 さてこの無価値な議論をどうしようか。

 篠原さんの得意げな顔をみながら考える。

 反論しなければ私が言い負かされたと思ってさらに調子に乗るだろう。

 反論したところで会話が通じるとは思えない。

 つまり大事なのはタイミングだ。

 見計らって言う。


「ロボットっていいじゃないですか。

 ロボットになれるんだったら私いくらでも勉強を頑張れますよ」


 言いながら、自分の声が機械的な平坦さに変わるのを感じた。

 背筋を真っ直ぐに伸ばし、感情を押し殺した目で篠原さんを見つめる。

 一瞬、教室の空気が凍りついたように感じられた。

 

 それは間違いなく本音だったのだけど、篠原さんに通じるはずもない。

 話をそらされたのかとでも思ったのか、あきれたような表情で何かを口にしようとしたところでチャイムが鳴った。

 計算通りだ。

 無言で篠原さんの机を指さす。

 篠原さんはまだ話したりないといった様子だったがおとなしく席に戻っていった。


 最近の学校生活はだいたいこんな感じだ。

 彼女が何を思って私に話しかけてきているのかわからない。

 勉強なんかをしている自分より下のやつがいるからからかってやろうというのだろうか。

 それとも勉強は無価値だという言い訳で避けている勉強をあえてしているやつを見ることで、自分の言い訳に傷が付くのが嫌なのだろうか。


 どちらにしても勘弁してほしい。

 私に他人のことにかまっている余裕はない。

 私は私の人生を何とかよくしようとすることだけで精一杯なのだ。

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