第2話 平穏の中の闇 5
帰り道、先輩は逆方向だったようで、校門を出て早々に別れることとなった。
村尾さんと私は同じ瓶内荘に住んでいるので並んで歩く。
下校する生徒はこの時間ではもうまばらで、私たちは薄暗い中二人きりで家路についた。
この二人でいるといつも会話はほとんどない。
間についたてがあるときも、ないときも。
しかし、今日は珍しく村尾さんから話しかけてきた。
「ねえ、さっきの話だけど入会するつもり?」
「今のところそのつもりはないです」
「そう。僕は入会するつもり。
まあ、気が向いたらいつでも来て。
歓迎するよ」
意外だった。
村尾さんがそこまで強く興味を持ったようには見えなかったから。
それとも、何か別の理由があるのだろうか。
とはいえ正直部活動に時間を費やす気分はわからない。
先輩はまあいい人そうではあったけれど、それでも他人のやりたいことと自分のやりたいことが一致するなんてことは珍しいことだと思う。
お互いに気を使ってやりたいことを我慢するよりは一人ひとりで好き勝手やったほうがいいと思うのだ
とはいえ嫌がらせをしてまで他人を妨害する気持ちはもっとわからない。
先輩もひどい災難にあったものだと思う。
私の災難には誰も助けをくれなかった。
そのことに怒っているのだから他人の災難を見過ごすわけには行かないのだ。
「さっきの嫌がらせについてなんですけど……」
村尾さんに話すべきことではない気もするが人に話したほうが考えがまとめやすい。
それに明らかな考え違いなら指摘をもらえるとありがたい。
「多分残った四人の誰かが犯人ではないかと思うんですよ」
頭の中で状況を整理しながら言葉を紡ぐ。
「先輩が戻ってくることはわかっていたはずなので、わざわざ一度教室を出た人が、残ってた人が去るのを待って戻ってくるのは心理的に考えにくいかなと。
最初から嫌がらせをする気で残っていたかあるいはたまたま最後の一人になってチャンスだと思ったのかどちらかだと思います」
「たまたま気まぐれで戻った人がいたのかもしれないけど、言いたいことはわかるよ」
状況として一番怪しいのは一応動機がある原口さんか。
ただおしゃべりしていたという三人全員が共犯の可能性もありうる。
もし口裏合わせをされたとしたら証拠をつかむのは難しい。
そんなことをぼんやり考えながら村尾さんとの会話を続ける。
「なので明日最後に残ったのが誰なのかわかればその人が犯人の可能性は高いと思います。
でもそれだけで決めつけるわけにも行かないですし、何か決定的な証拠を得る方法ってないでしょうか?」
「証拠って言っても難しいと思うよ。相手がぼろを出すのを待たないことには」
「それじゃあ嫌がらせがいつになったら終わるかわからないじゃないですか」
「すぐに止めるのは難しいと思うよ。
第一、当事者の先輩も止められていないわけだし。
部外者の僕たちが手を出すのは慎重にしたほうがいいと思う」
「先輩は我慢しているだけじゃないですか。
何か対応しないと相手がつけあがるだけだと思います」
思わず不満が口からもれた。
声が震えているのを自分でも感じる。
先輩の対応に不満を抱いてしまうのは実家の連中のことを思い出すからだろうか。
ああいう奴らはこちらが我慢していると再現なくつけあがっていくものだ。
たとえこちらがそんなことをやりたくなかったとしても、やり返さなければずっとやりたい放題されるのだ。
腕の傷が熱を持ったように感じた。
先輩がやり返さないなら、代わりに私が何とかしなければと思う。
「そうだね。
それはわからなくはないけど、でも先輩が我慢している以上、僕たちが余計なことをするのも違うんじゃないかな」
頭の中で考えていたことを否定されたので、少し驚く。
同時に不満も感じた。
「どうしてそう思うんですか?
先輩が嫌がらせされているのを見過ごせっていうんですか?」
声のトーンが上がったのには自分でも気が付いた。
感情のコントロールが難しくなっている。
「見過ごすとは言ってない。
ただもう少し様子を見てもいいんじゃないかなって思う」
「でも……」
わたしが言い淀んでいると村尾さんが歩みを止め、こちらを見る。
街灯の光が彼女の横顔を照らし出す。
「僕だって先輩には早く解決してほしいと思っているし、できる限りの手助けをしたいと思ってる。
でもね、それは先輩の意思を尊重した上での話だよ。
先輩が私たちを巻き込まないことを望んでいるならそれを尊重するべきだし、もしそうでないのなら、僕も手を貸すことに躊躇しない」
村尾さんは強い口調でそういった。
言っていることはわかる。
先輩が望んでいないことに無理に首を突っ込むべきではないというのも納得できる話だ。
でも、それじゃあ先輩がいつまで経っても嫌がらせから解放されないじゃないか。
「先輩が自分で解決しようとしているならまだしも、何もせずに我慢しているだけでしょう。
それでどうやってたら解決するっていうんですか?」
「……まあ、確かにね。
でも本人がそれをよしとしている以上、私達が勝手に何かするのはやっぱりおかしいと思う。
それに、僕たちは何も知らないからね。
先輩が何を望んでいるのか知るためにも、まずは情報収集から始めるべきなんじゃないかな」
情報収集。
確かにまずはだれがどのような意図で先輩に嫌がらせをしているのか、それがわからなければ対応のしようがない。
「情報収集が大事なのは同意します。
とりあえず明日、今日残っていた人たちに話を聞いてみます」
「あー、それなんだけど……」
村尾さんは何か言い淀んでいる。
いつも淡々としている印象があるこの人にしては珍しい。
「まあいっか、話したほうが早そうだし。
たぶん明日聞いても無駄なんじゃないかと思うよ」
「無駄かどうかは試してみないとわからないでしょう」
先輩もそうだったがやる前から無駄と決めつけてもしょうがない。
無駄という話であれば、私がこれまで私の人生を改善しようとした行いはほとんど無駄だったといってもいい。
それでもどうしようもない状況を少しでもましにしたいのならば、たとえ無駄に思えようともやれることからやるしかないのだ。
しかし、続く村尾さんの言葉は予想外だった。
「たぶん明日までに先輩が口止めしてるんじゃないかな」
「なんで先輩が」
とはいえ先輩が私たちを巻き込みたくないと思っていることはわかっている。
そのためなら口裏合わせも辞さないということだろうか。
しかし、その理屈にはひとつ疑問がある。
「でも犯人が誰かもわかっていない状態では、口止めするのも無理がありますよね。
口止めする相手が犯人ではないという確証がないと」
「多分先輩は犯人を知ってると思うよ」
そういうことになる。
ただなぜ村尾さんがそう確信しているのかがわからない。
まあこの人が私より状況をよく把握していることには特に違和感はない。
以前にもそういうことがあった。
少しばかり劣等感は感じるものの、話は早いほうがいい。
意地を張らずに聞かせてもらうことにした。
「この際どうしてそう思ったのか一から説明してもらってもいいですか?」
村尾さんはうなずくと、歩きながらゆっくりと話し出した。
「まず先輩が僕たちを巻き込みたくないと思っているという前提に立つと、そもそも明日の聞き込みを止めなかったこと自体に違和感があるよね。
仮にその中に犯人が混じっているとすると瀬島さんが狙われることになりかねないよ。
少なくとも先輩は犯人は残っていたっていう四人の中にはいないことを確信していたと考えられる。
単純に考えると犯人が誰か知っていたと考えるのが妥当じゃないかな」
確かに私が巻き込まれる可能性はある。
自分のことなのであまり気にしていなかったけれど。
というか、来るなら来いと思っていた。
仮に私に手を出してくれれば、犯人特定の手掛かりにもなりうるし。
「瀬島さんはもう少し自分を大事にしたほうがいいと思うけどね。
まあ、それはともかくとして、問題は先輩がだれを犯人だと思っているかということだけど、多分先生だと思うんだよね」
「先生というと……」
「先輩に用事を言いつけた担任の先生がその時間を使って嫌がらせをしたって感じ」
頭に血が上るのを感じた。
仮にも教師がそんなふざけたことを……。
そんなことがあり得るのだろうか。
「根拠はあるんですか?」
「先輩は用事を言いつけられて職員室で作業をしてたわけだけど、聞いていると先生が一緒にいたようではなかったよね。
多分、先生は飯島君とやらが書いていた原稿を教室で待っていたんじゃないかな。
先輩は残っていた生徒が四人とは言ったけど先生がどうしてたかは触れていなかったしね。
まあ、嘘をつこうと思えばいくらでもつけたと思うけど、ばれたときにまさか先生がこんな嫌がらせをするとは思わなかったとかなんとか言い訳をする余地を残しておきたかったんじゃないかな」
そういう想像はできなくはない。
ただ、想像が過ぎるようにも思う。
「だから聞いたんだ。
嘘をついていませんか? 何か勘違いをしていませんか? ってね。
先輩は嘘はついてないと自信を持って答えたけれど、勘違いについては動揺している様子だった。
それで確信したんだ。
先輩は嘘を付かずに僕たちを騙そうとしてたんだって」
あの質問はそのためだったのか。
確かに先輩は動揺していた。
あの動揺は先生がいたことを村尾さんが気が付いていると思ったからだったのか。
「あとは先輩がなぜ僕たちを巻き込むことをあんなに嫌がっていたかだよね。
まず瀬島さんが犯人が誰かわかればすぐにでも突っ込んでいきそうな様子だったからていうのがあるとして……」
あんまりな言いぐさだ。
「瀬島さんは三年生に嫌がらせされたところで大した事ないって言ってたけど、相手が先生なら話が違う。
もしも失敗して僕たちを巻き込んでしまったら、最悪の場合先輩がいなくなった後も含めて三年間僕たちは先生から嫌がらせを受け続けることになる。
それは避けたかったんだろうね」
私ならやられっぱなしになる気はない。
ただ教員を相手にすることになれば確かにいろいろと問題は起きるだろう。
先輩が巻き込みたくないと思ったのも無理はない。
「だからと言ってやられっぱなしでは先輩の高校生活が台無しじゃないですか」
思わず声が上ずる。
見て見ぬふりをされ続けた末に結局逃げるしかなくなった。
そんな経験もう誰にもさせたくない。
「慎重にする必要はあるとはいえ、他の先生に相談するとか何か方法はあるでしょう」
「そうかもね。
でも先輩は本当に何もしていないのかな」
「……」
「情報収集が必要だって言ったのはその部分なんだ。
先輩僕たちを巻き込みたくないと思っている以上、本当は何かをしていたとしても僕たちに話すわけがない。
もちろん何もしてないのかもしれないけどね。
ただ、もし先輩が慎重に動いていたとして、僕たちが中途半端に手を出してしまうと台無しになってしまうかもしれないよね。
それだけはしてはいけないことだと思う」
村尾さんの言っていることはわかる。
でも、先輩のことを考えると黙ったままではいられない。
だいたい教員からのいじめだというのなら、先輩が一人で対処すべき問題ではなく、学校そのものが対処すべき問題ではないだろうか。
「だからと言って先輩一人にすべてを押し付けるのも間違っていると思います」
村尾さんは私の顔をじっと見つめている。
その表情はいつもとまったく変わらず、何を考えているのか全く分からない。
そして唐突に変なことを言い出した。
「やっぱり瀬島さんは面白いね」
今言うことだろうかそれは?
思わず声を上げようとしたところで村尾さんは続けた。
「だから気長に情報収集から始めるつもりだよ。
同好会活動を一緒にしていれば今日みたいなこともあるだろうし、先輩が何か対応しているかそれとも我慢しているだけか知る機会もあるはず。
僕が手を出すのはそれからでも遅くないかなって。
まあ、これは僕個人の考えであって、瀬島さんがどうするかは瀬島さんの自由だと思ってるよ」
「私は……」
「でもさっきも言ったけど、先輩の努力を無駄にするようなことだけはやめてほしい」
村尾さんの言葉にうなずきつつ、内心少し動揺していた。
村尾さんがこんなに長く喋るのは珍しかったからだ。
そして、こんなに真剣に何かを頼まれたのは初めてだった。
「わかりました。
先輩の邪魔をしないように注意します」
村尾さんはだまって頷くと、すたすたと先に歩いて行ってしまった。
もし先輩のことを、先輩がどうやって問題に対処しようとしているのかを深く知ろうとすれば同好会に入らざるを得ないだろう。
そこまで人とかかわることに私は耐えられるのだろうか。
だいたいボードゲームにさほど興味があるわけでもないのだ。
そんなことを考えていると村尾さんから話しかけてきた。
「それにしても怒り心頭だね。
そんなに生沼先輩への嫌がらせが気に障ったの?」
「それは……、気にも障るでしょう。
目の前であんなものを見せられたら気分が悪い」
「そうかな。
先輩とは今日会ったばかりでしょ。
あんまり親しくない人間への嫌がらせにそんなに怒る人は、実はそんなにいないんじゃないかって思うよ」
「それは……」
そうかもしれない。
私が実家にいたころだって、家族の問題に気づいていた人はいくらでもいたはずなのに誰も何もしてくれなかった。
まあ当然だと思う。
わざわざ他人の問題に踏み込んで被害を被るなんて賢い人間のすることではないのだろう。
中学校時代の思い出に少し浸りそうになったところに村尾さんの言葉が続いた。
「少なくとも僕が中学校の時に嫌がらせされていた時は誰も怒りはしなかったなー」
その言葉はあまりにも平然と発せられたのでとっさに理解ができなかった。
しばらくの沈黙。
村尾さんの表情は相変わらず変わらない。
ただ、眼だけが何か面白いものを見るかのように、あるいは何かを探ろうとするかのように私をじっと見つめている。
続けて訊かれた。
「瀬島さんは嫌がらせされているのが僕でも怒ってくれるのかな?」
「……怒りますよ。
たぶん」
視線にひるみながらも答える。
村尾さんはうなずくと視線を前方に戻した。
訊きたかったのはそれだけだったらしい。
ただ、今度はこちらに訊きたいことができた。
「それで大丈夫だったんですか。
その中学校のころの嫌がらせとやらは」
「僕は鈍いみたいでね。
ああいうのだいたい何も感じないんだよね。
怪我とかさせられてたら困ることもあったんだろうけど、そういう嫌がらせではなかったから……」
本当だろうか。
精神的な嫌がらせも続けられるときついというのは身に染みている。
まあ私の方は怪我をさせられることもあったけど。
私の顔から心配を読み取ったのか、村尾さんは言い訳するように言った。
「嘘じゃないって。
……まあ強いて言うならあれがきつかったな。
気にならなかったから無視していたら結構拡大しちゃってね。
で、当時私があこがれていた人が何人かいたんだけど。
私には夢があります、やりたいことがあります、そのためにはなんでもがんばりますって感じの人たち。
その人たちまで僕に嫌がらせをするようになっちゃった」
「それは……」
きついだろう。私にはあこがれの人などいないけれど、それでもあこがれのその人間から嫌がらせをされるつらさは想像に固くない。
しかし続く村尾さんの言葉は予想外のものだった。
「まあ嫌がらせは本当にどうでも良かった。
くだらないことをするんだなとしか思わなかったよ。
本当にね。
ただあの人たちはそんなくだらないことを自分のやりたいと言っていたことと同じかそれ以上に優先してたんだよね」
「……」
そんなことが問題なのだろうか。どう考えても嫌がらせの方が問題だと思うが。
「僕はたのしいと思うことが見つけられなくて、本当に探し回ってたんだよ。
僕が生きている理由ってなんなのかしらってさ。
中二病ってやつだね」
自分で言うものでもないし、中学生が中二病でもまあ仕方がないだろう。
私もまあ似たようなものだ。
私ってなんで生きてるんだろうね。
ただ村尾さんは私よりも積極的だったようだ。
「前もちらっと話したけど、だからやりたいことのある人にあこがれるんだよね。
ああなりたいなって思う。
で、中学校の頃にあこがれた人たちはみんな自分のやりたいことよりも嫌がらせの方が楽しそうでしたとさ」
めでたしめでたし、と言って村尾さんはわざとらしく笑った。
それは……、確かにきついかもしれない。
私は村尾さんではないから気持ちはわかるとは言えないけれど。
その人たちに幻滅するだろうとは想像できた。
「だから僕もこんなくだらない嫌がらせは止めたいと思ってるよ」
村尾さんの声に珍しく力が込められていた。
「そんなことをしてる暇があるなら自分のやるべきことをするなり、探すなりしろってさ。
それに第一せっかく生沼先輩がボードゲームを楽しんでるのに邪魔するなんてもったいないよ」
話がだいぶそれてしまったが、そういえばその話だった。
ただ話を戻す前に訊きたいことがあった。
「それで村尾さんのやりたいことは見つかりそうなんですか」
「まだ全然。
でも中学校の頃よりは進んだ気がするなー」
そう言うと村尾さんは意味ありげにこちらを見た。
なんとなくその視線には居心地の悪さを感じた。




