汗血馬
「お?ここが都?」
「違う、宿場町的な場所よ。大体歩いて半カウントで一周出来るような都があるはずないでしょう?」
乗り合いのバスは途中途中で停まり、通り過ぎる風景は多彩で、森しか知らなかった少年の目を楽しませた。
メルカの言う宿場町的な場所にはお土産屋や軽食屋、遊戯施設などがあり、バスの停車時間も約クオート(1カウントの4分の1)程度と長い事から、三々五々降りて休憩したり遊んだり食べたりする乗客もいる。
メルカとナナソウの二人も便乗して外に出たのだ。
「良い匂いがする」
ヒクヒクと鼻を蠢かせるナナソウにクスッと笑ったメルカは、「何か奢ってあげる」と気前よく振る舞った。
都に近い大路沿いのこの宿場町は半歩という名前が付いており、うちが都に一番近い休憩所なんだぜ!と主張しているが、実はもっと先にも似たような場所はあるらしい。
ただ、食べ物はここの方が美味しいとの事だ。
「ほら、そこに大きな湖があるでしょ?あの湖の周辺が一大穀倉地帯になっていて、この辺一帯は農業牧畜が盛んな場所なの。つまり都よりここの方が新鮮な食べ物が手に入りやすいって事なのよね。もちろん物量的には都には及ばないんだけど、農家の人が直営で出してる屋台とか多いんで値段も安くて美味しいのよ。やっぱり料理って素材が大事でしょ?」
世間を全く知らないナナソウにメルカはそんな風に知識を伝授する。
実際に食べて見て体験した物に関することだからナナソウも理解しやすかった。
更に屋台のおじさんとのやり取りや、土産物の見分け方、ちょっとした地域の挨拶の特徴など、押し付けにならないさりげない自然な学習を促すメルカという少女はナナソウにとってかけがえのない教師となっている。
「そうだな、時間が経つと腐っちまうからな。でも肉とかはある程度熟成した方が美味いっておやじは言ってた。俺はあの匂いがどうも苦手だけどね」
「ああ、熟練の狩人や貴族階級の人達は肉は寝かせて食べるのを好むわね。特に鳥肉なんかはそう」
「やっぱりそうなんだ。でも一般の人はそうでもないの?」
「肉を上手に熟成させるのって職人の勘だよりなのよ。だから誰でもかれでも出来ないから、市場に出るとすっごい値段になっちゃうの」
「ええっと、希少性?だっけ」
「そうそう、覚えが良くて良い生徒で嬉しいわ」
「お褒めに預かって恐縮です、我が師よ」
顔を見合わせてひとしきり笑った二人は、そろそろバスに戻ろうと歩きだす。
その時だった。
「えっ?」
誰かが小さな声を上げる。
それが合図であったかのように動力車溜りの方で何かが壊れるような大きな音が響いた。
「な、なんだ?」
「なんて迷惑な人!」
見れば一台のクルマがとんでもないスピードで突っ込んで来たのである。
菱型のフォルムは、海でマントと呼ばれる海獣に似ていた。
そのクルマは、他のクルマにぶつかりそうになって片側を大きく傾けそれを凌いだまでは良かったのだが、それでバランスを崩しすぎ、そのまま建物に衝突してしまったのだ。
不幸中の幸いか、巻き込まれた人はいないようだった。
「あ、あれ、中に人がいるんだろ?助けないとまずいんじゃないか?」
「んもう!仕方ないわね!」
クルマが衝突したのは二人が立っていた場所のごく近くだった。
下手をすると彼らこそが巻き込まれていたかもしれなかったが、そういう事にあまり頓着しない質なのか、彼らは二人共事故を起こしたクルマに救助に向かう。
反対側や屋内にはもっと近くにいる人もいたのだが、とっさの事に驚きから立ち直っていないようで、すぐに動いたのは彼らだけだった。
二人が近寄って詳しく見てみると、クルマの内部を守るためのシールドが剥がれ掛けて、幻想のほころびが少しずつ広がっていた。
このシールドが完全に剥がれると、その力で抑えられていた瓦礫が落下して内部の人間に危険が及びかねない。
もちろん内装骨格があり、それによって瓦礫が防がれる可能性もあるが、このタイプのスピード重視のクルマだと、内装骨格は軽く薄くというものが多いので安心は出来なかった。
とは言え、シールドが残っている状態だと逆に外からは手が出しようがないという、二律背反な状況ではあった。
「おい!大丈夫か!」
シールドのほころびから声を掛ければ、それに応えるように中からうめき声が聞こえ、二人はホッとした。
少なくとも生きているらしい。
その頃には周りの大人たちも我に返って救出に来ていた。
大勢の手助けがあればなんとか内部の人間を助け出せるだろう。
そう、安心した二人の耳に、うめき声と共に言葉が飛び込んできた。
「あ、……あいつが……来る」
その言葉を聞いたのは、一番近くにいた彼ら二人だけだっただろう。
事故を起こした男の声の怯えたような声は不安を掻き立てる。
「あいつ?」
反射的に呟いたメルカがその意味を考えようとした時、町とも言えぬ小さなこの場所に災厄が飛び込んだ。
ドカッ!と強く何かが地面に打ち付けられる音がしたかと思うと、ぐらりと地面が揺れる。
「ウィヒヒヒヒーン!!」
それは草原種と呼ばれる馬という動物を連想させるいななきだったが、それにしてはあまりにも馬鹿げた音量だった。
そのいななきに、まるで殴られたように昏倒する人が続出したのだ。
「あれは、汗血馬!」
ぎょっとしたメルカの声に導かれて、ナナソウはその馬を見た。
馬という草原種の生き物は、彼らの今いる地より西の、大草原地帯に生息する動物で、気性がおとなしく、走るのが速い事から人が乗って移動する為に飼い慣らされている。
人気がある生き物なので、この辺りでもよく見掛けられる動物だ。
大路の脇を時々人を乗せて走っている事もある。
しかし、汗血馬は馬に見た目は似ているが、全く違う生き物だった。
険しい山岳地に棲み、肉食で、気性が荒く、また、執念深い。
だが、危険な猛獣ではあるが、馬と比べて何かを恐れるという事がないその性質が戦向きとして、もっぱら戦馬として重宝されていた。
そして、汗血馬はこの地域で飼育されている特産でもある。
あまりにも気性が荒いので、育てる間に人が必ず一人は死ぬと言われていて、人喰い馬とも呼ばれる生き物なのだ。
その人喰い馬は今まさにその呼び名を証明しようとしていた。
いきり立って蹄を鳴らすと、間近な人間に襲い掛かったのだ。
「うわああああ!!」
「きゃあああ!」
事故は個人、或いはその場に巻き込まれた者達だけの不幸だ。
遭遇した瞬間に終わり、関わらなかった者からすればどこまでも他人ごとでもある。
しかし、この暴れまわる災厄はまるで災害のようだった。
その場にいた全員が当事者となって逃げ惑うしかない。
「やべえ!やっつける!」
ナナソウの勢い込んだ言葉に、メルカは強く否定の応えを投げた。
「ダメ!殺しでもしたら大変な事になるわ!」
「えっ?どういう事?」
「あの馬、一頭で大きな屋敷を買っておつりが来るぐらの値段がするの。弁償出来ないでしょ?」
「うへえ!」
見れば周辺の人々も誰一人として反撃や攻撃を行っていない。
ほとんどの者は出来る限り速やかに建物の中に逃げ込んで扉を閉める事で、この暴れる災いをやり過ごそうとしていた。
どうやらあの馬の価値は常識として知れ渡っているらしい。
しかし、汗血馬の方はそんな人間の遠慮など知らない。
何かでよほど怒り狂っているのだろう、我が身を傷付ける事も厭わない程の暴れっぷりである。
クルマ溜り周辺には、まだ建物内に逃げ込めなかった人々、クルマの中にいて、シールドを解いた状態で寛いでいて、とっさにシールドが張れないままの人達が残されていた。
更に、二人の背後には壁に突っ込んだまま身動きの取れない車内に取り残された人もいる。
放置していればこれらの逃げられない人達から犠牲が出てしまうのは間違いない。
もはややるしかないのだ。
そうと決めたら、ナナソウは養父との訓練の癖で相手の強さを測った。
その身、その術、その力、汗血馬は、ナナソウをして十分に勝機があると思えるぐらいの相手だった。
つまり手加減の利く相手だったのだ。
「よし!やろう!」
ナナソウは決断し、そうメルカに声を掛けた。
なにより、汗血馬の行動範囲に、どうやらシールドの無い状態で攻撃を受けてシールドが壊されてしまったらしいクルマがあり、それに小さな子供が乗っている。
小さな子供は感情を抑えるのが苦手だ。
泣き出されでもしたら標的にされてしまう。
「気持ちだけじゃお金は払えないわよ?」
「傷付けないようにすれば良いんだろ?いい毛皮が欲しい時の狩りのやり方があるんだ。あのさ、メルカってこう激しい光とか音とか出す魔法使える?実害の無いやつ」
「麻痺?汗血馬って確か対魔能力が高いよ?」
「いや、魔法の効果じゃなくってさ、ほら動物って突然強い光をあびせると硬直するだろ?あれを利用するんだ」
「う~ん、良くわからないけど、なんとなく分かったわ。やってみる」
「じゃ、俺が合図したらあいつの目前に頼む」
「でも、あんなに暴れてちゃ難しいよ」
「まかせとけ、あいつが俺の方を向くからその時に頼むぞ」
言うなり飛び出したナナソウをメルカはひやりとしながら眺め、はっとして魔法の体勢を整えた。
ぼけっとしている暇は彼女には無いのだ。
タイミングを合わせて魔法を放つには「タメ」が必要となる。
メルカは体内の自分の魔力を、指先から編むように一つにまとめた。
ナナソウは地面に落ちている瓦礫の1塊を拾い上げ、汗血馬に向けて投げるタイミングを計った。
始め恐怖に硬直していた子供達がとうとう悲鳴を上げ始めてしまい、汗血馬がそちらへと向きを変える。
人間の2倍を超える肩高のその巨体から繰り出す攻撃は恐るべき威力だ。
強度の低いクルマの内装ではそう長くは持たないだろう。
「よし!いくぞ!」
ナナソウは、汗血馬が攻撃動作に移ろうとした瞬間に手にした瓦礫を投げる。
その塊は、風を巻き付けながら汗血馬の鼻面を掠めて飛んでいった。
「ブルルッ!」と、激しい鼻息と共に、汗血馬の注意がナナソウに移る。
「目を閉じて!『砕けた太陽 その殻は天高く歌う!』」
メルカの短い詠唱が響き、汗血馬の正面にまるで雷でも落ちたかのような光と音が炸裂した。
既に汗血馬までの歩数を測っていたナナソウは、目を閉じたまま地を這うように駆け、その真下に潜り込む。
そして、跳び上がった。
光によってほとんどの人間の目は封じられていたが、もし見る者がいたとしたら、それはアッパーと言われる打ち上げ技に似ていると思っただろう。
しかし、実はそれは間違いだ。
ナナソウはグッと背を曲げて丁度荷を担ぐような体勢で飛び上がり、手のひらを返して相手をひっくり返したのである。
一連の動きが滑らか過ぎてアッパーを打ったように見えたのだ。
そして、着地までの間に荷物の中に持っていたロープで汗血馬の前足を縛り上げ、着地と同時に跳ねるように後方に移動して後ろ足を縛った。
「メルカすげえ!やるな!」
一連の作業的な攻撃を終え、ナナソウはメルカに惜しみない賛辞を贈る。
欲しい時に欲しいだけの攻撃を行える彼女の魔法は玄人じみていた。
自分自身の放った魔法によって一時的に音が聞こえなくなっていたメルカにはその言葉は届かなかった。
しかし、杯を掲げるように拳を向けたナナソウの意図をすぐに汲んだ彼女は、同じように拳を突き出してこの知り合ったばかりの相棒の力量を称える。
「すごい、びっくりした……」
メルカは耳鳴りを抑えながら、自分には聞こえない声でそう言って、微笑んだのだった。




