メルカという少女
「ごめんなさい!」
勢い良く、そして深々と体を折り曲げる、出会ったばかりの少女、メルカに、ナナソウはやや困惑したように慌てて両手を振り回してその謝罪を制した。
「いや、別に何かあった訳でもないし」
なぜそんな事になったかと言うと、先刻ナナソウが巻き込まれた不思議な渦を創り出したのがメルカだったからだ。
メルカはなぜナナソウが突然現れたかの事情を聞くと、すぐさま自分が彼を巻き込んだ事に気付いた。
それでこの謝罪になったのである。
「そんな、環境変化の魔法は下手をすると人を殺してしまう危険な物なの。だからこそ不注意は許されないわ。私、罰を受けないと」
「ええっ?だって、ほら、俺どこも怪我してないし、それにあれ、慣れると結構楽しかったぜ!」
あまりにも深刻そうな少女の様子に、他人慣れしていないナナソウの方が焦りまくった。
なにしろ初めての他人なのだ。
しかも可愛い女の子である。
出だしから不幸な出会いとなってしまうのは彼は嫌だった。
「楽しいですって?」
「おう、有り得ないぐらいの勢いでぶん回されたからな」
ナナソウの言葉に、それまで神妙な顔をしていたメルカは笑い出した。
それは影のカケラもない気持ちの良い笑いだ。
「もう、なんだか馬鹿らしくなってきちゃった。あなたすごい変わってるわ」
「えっ?そうか?まずい?」
「別に、考え方や性格なんて人それぞれだし、個性があるのは良い事よ。哲学書にも多様である事は豊かさであるって書いてあるし」
「へぇ、そういえばおやじも似たような事言ってたな。なんだっけ、同じような個体ばかりだとその種は滅んでしまうとかなんとか」
ナナソウの言葉に、今度はメルカの方が興味深そうにナナソウを見た。
「お父様は学者か隠者の方?」
その言葉に、今度はナナソウが大きく吹き出した。
「ないない、おやじって見た感じ野人みたいなんだぜ。まぁいろんな事を知ってるけどさ」
「世捨て人なのかな?」
どうやらメルカの中ではもう、ナナソウの父が一角の人物であると決定したらしい。
その様子にナナソウは肩をすくめたが、彼はそもそも口ではどう言おうが義父が世界で一番立派な人物だと無意識の領域では考えているような少年なのだ。だからメルカの思い込みに対して悪い気はしなかった。
「ところでさ、メルカはどうしてこんなとこで魔法を使ってたんだ?見た所戦いとか狩りとかじゃないみたいだし、ここって大陸大路からはちょっと離れているよな」
ナナソウは改めて周囲を見てみた。
まだ森の中である証拠に周囲は緑深い木々に覆われ、先ほどの魔法の影響だろう倒木に覆われた空き地があるだけだ。
また彼女がその魔法を攻撃として使った相手というものもいないようだし、第一メルカ自身に全く危機感がない。
とは言え、ただの散歩で来るには、この辺りはまだあまりにも人里から離れすぎていた。
「ああ、うん。この近くにね、野外修練所があって、届け出さえすれば誰でもそこで武術や魔法の練習をする事が出来るんだけど、私、ちょっとコントロールに難があってね。追い出されちゃった」
えへへと笑ってみせるメルカだが、今度の笑顔には前と違い影がある。
もしかしたらその追い出される過程で何か嫌な事があったのかもしれない。
しかし、他人との距離感が今ひとつもふたつもつかめていないナナソウは、そこまで彼女の心に踏み込んで良いのかどうか判断が付かなかった。
なので、彼はとりあえず過去の事はひとまず置いておく事にする。
「へえ、そんなのがあるんだ。でもメルカって俺と同じぐらいに見えるのにこんなすげえ魔法使えるんだから、もしかしてもうどっかのガードとかなの?」
「えっ、まさか、術をまともに使えないガードなんかいないわ。その、……そうなりたいとは思っているけど」
メルカの頬が赤い。
どうやら照れているらしい。
しかし、それだけではなく、彼女は自分の言葉に自信がないような、どこかにまだ暗い影が窺えた。
「ああっ!!」
だが、そんなメルカのちょっとした落ち込みは、すぐにナナソウの大声に吹き飛ばされた。
ナナソウは、やたらキラキラした眼差しでメルカを見ている。
「えっ?なに?」
「も、もしかしてメルカって学園の選抜試験を受けるの?」
ナナソウの無駄に眩しい笑顔に、メルカは若干引き気味だ。
「え、ええ、まぁ、そうだけど」
「うぉおほぅううう!ぃやったああああ!」
返事を聞くと同時にナナソウは飛び上がって喜んだ。
「なぁ、メルカ、もし良かったら友達になってくれないか?」
「ええっ?」
あまりの目まぐるしい成り行きにメルカは混乱してしまった。
呆然と出会ったばかりの少年を見つめている。
「うおおおおお!やった!初めての友達だあああ!」
そのメルカの混乱も他所に、ナナソウはいきなり彼女に抱き付いた。
ぎゅっと抱き締めると、そのまま持ち上げてぐるぐる回り出す。
「きゃあああああ!!」
パッチーン!と、森の中に小気味いい音が響いたのはその直後だった。
「振り回されたのはお互い様として、抱きつくのは駄目です!女の子に男の子がいきなり抱きつくとか、一体何を考えているんですか!」
浮かれすぎて羽目を外したナナソウは、思いっきりひっぱたかれて、土の上に座らされていた。
その周りをメルカが回りながら説教をしている。
「いいですか。あなたが今までお父様と二人暮らしで、他人との距離感が分からないという事は今の話で分かりました。ですが、あなたの事情に他人が合わせるという事はありません。あなたがどうあれ、他人にとって不快かもしれない事をいきなり行ってはいけません!」
「ごめんなさい」
ナナソウは縮こまって頭上から降ってくるお叱りを受け止めていた。
さすがに常識があまりない彼でも、いざ落ち着いてみると女の子にいきなり抱き付いたのはまずかったなと思ったのである。
どうやら10年ぶりの他人、そして友達に浮かれすぎていたようだ。
凄い顔で睨んできたメルカの怒りを鎮める為にナナソウは自分の状況、身の上を……父親と山奥で二人暮らしだった事を話したのである。
おかげでメルカもナナソウがとんでもない不埒者であるという思い込みは捨ててくれたらしい。
しかし、『とんでもない』という部分は残ったままだった。
「はあ、でも、その非常識ぶりで学園の選抜試験を受けに来たって、怖いもの知らずというか、純粋無垢というか、いっそ感心するわ。面接で落とされちゃうわよ。学園では共同生活だから協調性も採点項目なんだから」
「えっ!俺、強調性あるよね?」
真顔で言われて、メルカは唸る。
実際、ナナソウの人懐っこさは嫌味の無い気持ちの良いものだ。
しかし、今時3才の子供だっていきなり女の子に抱き付くのは恥ずかしい事だと知っているはずだろうとメルカはそう思うのだが、育った環境が変わっているせいでその辺りがちゃんと認識出来ていないのだろうと納得はしかかっている。
だが、その理解と共に、この飛び抜けた異端児を先ほどのように少々変わった個性として受け止めて良いのだろうか?とも考える。
いや、良くないと、メルカは思った。
常識が無いのは個性ではない。
それは学習が足りないという事なのだ。
「ナナソウ、あなた、都での宿はもう決まっていますか?」
「え?いや、まだ、というか、都自体初めてだから何の当てもないよ?」
「えっ?本当に?あっ、もしかして学園の選抜試験を受けるのに紹介状もないの?」
「おう」
頷いたナナソウにメルカはめまいを覚えた。
確かに学園の建前は万人に等しく門戸を開いた人材育成機関だ。
しかし、一方で学園を運営するのは貴族と豪商ギルドなのである。
当然ながらそれらの世界はコネが大きくものを言う。
いや、確かにそんなものをねじ伏せられるぐらいの実力があればその限りではないが、……そこまで考えてメルカはナナソウを上から下まで眺めた。
背丈はメルカとそう変わらない。
メルカ自身は女子としては背が高い方ではあるが、そう飛び抜けてはいないから、ナナソウは少々男子としては小柄だろう。
見た目は悪くない。
土の色、いや、胡桃のような色合いの髪は普通だが、夕焼けのような、色変わりをする落葉のような色合いの目は特徴的でなぜかどきりとする不思議な色合いだ。
体はよく鍛えられているようだが騎士達のような厚みが決定的に足りない。
まぁこれは年齢的なものとしてそう煩く考える必要はないだろう。
顔立ちは悪くない。
際立って良いという訳でもないが、人に好かれる信用される顔立ちだ。
これはどこか無邪気で人懐っこいこの少年の人柄が強く顔に出ているせいだろう。
「うん、よし、少なくともいきなり人に嫌われるような事はなさそうね。さっきの問答からしても基本的な知識が足りなかったり頭が悪い訳じゃない。他人と接してないから常識がないだけだわ。まぁこれが一番の難題だけど」
まるでこれから捌かれる肉のように品定めをされているナナソウはいたたまれなさにもじもじしている。
もう立っても良いかどうか図りかねているのだ。
「分かったわ。縁は人の運命と、導き手の聖典にもある事だし。こうなったら私がなんとかするわ」
「ええっと、メルカ、どうしたの?」
さすがに辛抱が出来なくなったナナソウは、恐る恐るメルカに尋ねた。
「これも私の人生の試練。ナナソウ、貴方を私が教育してあげる」
「えっ!?」
メルカの言葉にさすがのナナソウも仰天する。
意味が分からなかったのだ。
「だから、コネなしで試験を受けるなら不安要因は潰しておかないといけないでしょう?私が基本的な常識は試験までに叩き込んであげるって言ってるの」
メルカの目は真剣だった。
ここに至ってナナソウも状況を理解した。
この少女は会ったばかりの他人の世話を焼こうと言っているのだ。
「え?でも、俺、良いの?」
メルカはフッと微笑んだ。
「だって友達なんでしょう?なら仕方ないじゃない。友達って助け合うものよ」
なんだ、こいつカッコ良い!
ナナソウは自分の初めての友人をほれぼれと見つめたのだった。




