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【書き直します】最後の魔法使い ~世界に忘れられる妹を救うために~  作者: 白川 透


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記録庫

病棟の用紙は四枚あった。


下宿の部屋の卓に、イルザが四枚を並べた。まだ何も書きこんでいなかった。


「先に用紙を読みます。エナさんと、エナさんが選んだ人で」


エナはレトを見た。それからヴェルデリカを見た。


「兄さんと、先生」


ピムは窓の下で、自分の帳面に何か描いていた。顔を上げなかった。


レトは用紙を読んだ。


一枚目は、病棟に入る者の名と身元。二枚目は、入る目的。三枚目は、病棟の決まり。四枚目は、手当てを受ける人と、その家族への聞き取り。


四枚目には、欄が多かった。欠けはじめた日。家族の誰が、いつから思い出せなくなったか。今の様子。身体の変わり方。これまでに受けた手当て。


「これ、全部書くの」


エナが聞いた。


「書かなくても出せます」


イルザは四枚目の下の小さな字を指でなぞった。


「病棟の手当てを受ける者は、書く。見学だけの者は、書かなくてもよい。……ここに、そうあります」


「なら、書かない。見るだけ。……手当てを受けに行くんじゃない。ほかの人がどうやってここにいるのか、見に行く」


イルザは四枚目を脇へよけた。


二枚目の、目的の欄。


「何て書く」


レトが聞いた。


エナは少し考えた。


「欠けかけた人が、どうやって支えられているのかを見るため。……それだけ」


イルザが書いた。書いてから、エナのほうへ向けた。エナは読んで、うなずいた。


一枚目の名と身元の欄には、ヴェルデリカが自分の名を書いた。同行の補助の者、二名。病棟に入るのは、ヴェルデリカと、レトと、エナ。イルザはピムと下宿で待つことになった。


「ピムは」


「僕は、いい」


ピムは描きながら言った。


「病棟って、寝てる人がいるんでしょ。……ネネのこと、思い出すから」


誰もそれ以上は言わなかった。


三枚目の決まりは短かった。大きな声を出さない。本人に触れるときは、係の者に断る。病棟の記録を写さない。病棟の中で見聞きした者の名を、外で口にしない。


レトは最後の一行を、二度読んだ。


「これはいい決まりだ」


ヴェルデリカが言った。


*


用紙は次の朝、閲覧室へ上がる前に病棟の窓口へ出した。見学の日は係長が決める、と窓口の女は言った。案内してよいかを、係長が寝台を一つずつ回って聞いてからになる。


返事が来たのは七日後の朝だった。ハスケルが下宿の食堂に顔を出した。


「病棟は明日の昼だそうだ。係長が会う。今日は機関を見せてやる。見たいならだが」


ハスケルは立ったまま言った。


「見たい」


レトより先に、ピムが言った。


大記録庫のいちばん奥の建物は、外から見るよりずっと深かった。


地面より下へ、石の階段が二度折れ曲がって続いていた。階段を下りるにつれて、暖かくなった。湿った熱い空気が下から上がってきた。


釜は三つあった。


どれも人の背丈の二倍はあった。黒い鉄の胴に鋲が何百と並んでいた。釜の前で男たちが石炭を投げこんでいた。火の口が開くたびに、地下の壁が赤く照らされた。


「ここで湯を沸かして、蒸気を上へ送る。蒸気で機械を回して、電気も起こす」


ハスケルは釜の横の細い通路を歩きながら言った。


「病棟を暖める。帳場の灯りを点ける。電信の機械を動かす。上の階の書庫の湿気を抜く。……全部、ここからだ」


ピムが釜を見上げて、口を開けていた。


レトは釜の継ぎ目を見ていた。鋲の頭が一列ずつ揃っていた。一か所だけ、鋲の色が新しいところがあった。


「そこ、替えたんですか」


「先月だ」


ハスケルは足を止めずに言った。


「鋲が一本、緩んだ。蒸気が漏れた。漏れを止めるのに、この釜の管を半日閉じた。病棟が寒くなった。……その日、具合を崩して、決まった時刻に読み手と話せなかった者が何人かいた」


ハスケルは新しい鋲を指で叩いた。


「機械が止まれば、人が困る。だから、止めない」


*


電信の部屋は地上の三階にあった。


細長い部屋に机が並んでいた。机の上に真鍮の機械が一台ずつ載っていた。職員が機械の把手を指で叩いていた。かた、かた、かたかた。別の机では、機械から細い紙の帯が吐き出されていて、職員がそれを読みながら帳面に書き写していた。


「ほかの町の記録局から届けが来る。どこで、誰が欠けたか。欠けかけているか。こっちからも送る。……字をそのまま送るんじゃない。字を短い合図と長い合図に直して、線で送る」


かた、かたかた、かた。


エナがその音をじっと聞いていた。


部屋の奥の壁に大きな地図が貼ってあった。


この国とそのまわりの国の地図だった。町の名の上に丸い印がいくつも打ってあった。黒い丸と、白い丸。黒い丸どうしは赤い糸で繋がれていた。糸は地図の上を這って、ケルンハイムの印に集まっていた。


白い丸は、どこにも繋がっていなかった。


「黒が線の届いている局だ。白は、局はあるが、線が来ていない。届けは手紙で来る。半月、ひと月遅れる」


レトは地図を見た。白い丸は思っていたより多かった。山の多いところや、国境に近いところに固まっていた。


黒い丸の中にも、小さな×の書きこみがあるものがあった。


「これは」


「欠員だ。局はある。線もある。だが、読む者がいない。機械を見る者がいない。……人が辞めたか、死んだか、来ないかだ」


ハスケルの声は平らだった。


レトは地図の上を目で探した。


ハルネは、なかった。村の名は地図に載るほど大きくなかった。リュッセンを探した。白い丸だった。ヴィラメントは黒い丸だった。クルムは印がなかった。


地図の下の端に真鍮の札が一枚、打ちつけてあった。


記録局網敷設資金寄贈ギスベルト。


レトはその名を見た。


どこかで聞いた名だった。塔の受入所で、イルザが言った。書庫長とギスベルトという人が、若いころに同じ手記を読んだ。


ヴェルデリカも札を見ていた。杖の上で手を重ねていた。


「あの男か」


ヴェルデリカは小さく言った。


「この人、知ってるんですか」


ハスケルが聞いた。


「昔、顔を知っていた」


ヴェルデリカはそれだけ言った。


「局と局のあいだに線を引いた金は、半分があの人だ」


ハスケルは言った。


「会ったことはない。ここには来ない。金と、手紙だけが来る」


*


下宿へ戻ったのは日暮れ前だった。


二階へ上がりきったところで、エナが手すりを握ったまま立ち止まった。


「指が冷たい。……耳の奥で、また声がする」


前の波は三週間と少し前、塔の下の岩陰だった。


部屋は壁を一枚挟んだ隣同士だった。叩けば叩き返せる薄い壁だった。レトは自分の部屋から椅子を一脚運んで、エナの寝台の横に置いた。


「壁一枚でも、駄目か」


「たぶん。……戸の向こうは、遠かったから」


エナは寝台に腰かけて毛布を膝にかけた。レトは手を伸ばせば届くところに座った。


日が落ちると、エナの指の先が淡くなった。爪の向こうに毛布の織り目が薄く透けた。肩の線はくっきりしていた。


夕食はピムが食堂から運んできた。エナはほとんど手をつけなかった。眠りもしなかった。ときどき耳に手を当てた。


「遠い。……何言ってるか、やっぱり分からない」


夜半の少し前、指の先に色が戻った。エナはイルザに刻を聞いて、帳面を裏返した。同じ形の書きこみが五つ並んだ下に、六つ目を書いた。翌日、の横は空けておいた。


翌朝、エナは戸口から階段を見下ろした。手すりにつかまって二段下り、二段上がって戻ってきた。


「昼までに病棟は無理。門をくぐって、ずっと歩くんでしょ」


エナは帳面の裏の空けておいたところに書いた。朝、階段、無理。


「一日、延ばしてもらえないかな。係長さんに」


レトが頼みに行くことはできなかった。病棟は門の内の、ずっと奥だった。エナが昼まで下宿を動けないなら、レトも動けない。


「私が行きます」


イルザが言った。その朝は、ヴェルデリカと閲覧室で古い届けを出してもらう段取りになっていた。


「届けは私が頼んでおく。行ってこい」


ヴェルデリカは杖を取って、ピムと先に出ていった。


イルザは昼前に戻ってきた。


「明日の昼なら、と。見学を受けてもいいと言った人たちに、明日でもいいか一人ずつ聞き直すそうです。今日のつもりで待っていた人もいたから、と」


その日、レトは閲覧室へ行かなかった。


*


一日遅れの昼、病棟へ行った。


病棟は地上の二階だった。


渡り廊下を二つ渡った先の、長い部屋だった。窓が南に並んでいて、昼の光が床に四角く落ちていた。壁ぎわに蒸気の管が這っていた。管に手を近づけると、温かかった。


寝台が両側に並んでいた。三十近くあった。


係長は四十を過ぎた女だった。灰色の前掛けをして、髪を後ろでまとめていた。ヴェルデリカが用紙の写しを見せると、係長は一枚目と二枚目と三枚目を読んで、うなずいた。


「見学ですね。四枚目は、なし」


「なしです」


エナが言った。


係長はエナを見た。それから少しだけ表情を緩めた。


「決まりは、読みましたね」


「読みました」


「病棟の中の名簿にだけ、入る方のお名前を書いてください。外へは出しません。……それと、ご案内するのは、見学を受けてもいいと言った人の寝台だけです」


係長は名簿を差し出した。レトとエナは名簿の上の注意書きを読んでから、自分の名を書いた。


「では、どうぞ。……読み手の邪魔はしないでください」


レトは病棟を見た。


寝台の一つ一つの横に、小さな椅子と小さな台があった。台の上に帳面が一冊ずつ置いてあった。


椅子に職員が座っていた。全部の椅子ではなかった。半分くらいだった。


いちばん手前の寝台に年取った男が寝ていた。椅子の職員は若い男だった。若い男は帳面を開いて、低い声で読んでいた。


「……五十二の秋に、娘さんの嫁ぎ先へ、自分で作った棚を持っていった。棚は三段で、二段目に引き出しがついていた。引き出しの取っ手は、胡桃の木」


年取った男が目を開けた。


「胡桃じゃない」


かすれた声だった。


「樫だ。胡桃は、高かった」


若い職員は帳面にペンで線を引いて、横に書き足した。樫。


「樫ですね。……娘さんは、棚をどこに置きましたか」


「台所だ。鍋を、入れとる」


年取った男はまた目を閉じた。口の端が少し上がっていた。


レトは男の肩を見た。


くっきりしていた。寝台の毛布の縞が、肩を透けて見えたりはしなかった。


エナがレトの袖を握っていた。


レトは知っていた。冬の夜、ハルネの家で、母が帳面を膝に置いて、六つの冬の話を読んだ。かいてない、とエナが言った。いびきのことだった。母はそこで指を止めた。


あのときは、帳面を読むだけでは足りなかった。読んで、エナが答えて、それでも、母の目はエナを通り越していった。


ここでは、読んで、本人が答えて、読み手が書き直していた。胡桃を、樫に。


「読むだけでは、駄目なんです」


係長がレトの横で言った。レトが何を見ているのか、分かっているような声だった。


「帳面に書いてあることを読み上げるだけなら、誰が読んでも同じです。……本人に聞く。本人が違うと言ったら、直す。直したことを次の日に、また読む。そうやって、読み手がこの人を知り直していく」


「知り直す」


「毎日です。少しずつ。……どうしてそれで持ちこたえるのかは、私たちにも分かりません。ここで続けてきた、今のやり方です。効き方も人によって違うし、いつまで続ければいいのかも、まだ分からない」


係長は、病棟の奥を見た。


「そうならない人も、います」


*


病棟の奥の寝台に中年の男が寝ていた。


椅子に職員が座っていた。若い女だった。帳面を開いていたが、読んでいなかった。帳面の頁を指で行ったり来たりしていた。


男の顔は窓のほうを向いていた。


レトは男の手を見た。毛布の上に出ていた。指の先が淡かった。毛布の縞が、指の向こうにうっすら見えた。


袖を握るエナの指に、力がこもった。


若い女の職員が帳面を読みはじめた。小さな声だった。


「……四十の春に、川で、鱒を……」


男は窓を向いたままだった。


「鱒を、三尾、釣った」


職員は顔を上げて、男の横顔を見た。男は何も言わなかった。


職員はもう一度読んだ。男は答えなかった。


係長は寝台から少し離れたところまで、レトたちを連れていった。それから声を落とした。


「先月、読み手が替わりました。前の読み手が、ほかの町の欠員の局へ移ったんです。向こうも人が足りなかった。……引き継ぎに日が足りませんでした」


「帳面は、あるのに」


「帳面には、書いたことしか書いてありません。どこで間を取れば、この人が口を開くか。どの話なら、答えてくれるか。前の読み手が知っていたことは、全部は書いてない。それを今の読み手が、一から知り直しているところです」


係長は若い女の職員の背中を見た。


「交代は、決めてあるんです。一人に、読み手を二人つける。どちらかがいなくなっても、もう一人が知っているように。……決めてあるけれど、人が足りない。二人ついているのは、この病棟の半分もありません。残りは一人です。一人の読み手が、三人、四人を受け持っている」


レトは病棟を見回した。


空いた椅子が、半分。


釜の鋲なら、替えられる。替えた鋲は次の日から同じように蒸気を止める。


読み手は、替えたら、こうなる。


エナが袖から手を離した。


窓を向いた男の寝台の足もとまで行って、係長を見た。


「この人の名前、聞いてもいいですか」


係長は少し迷った。それからうなずいた。


「外で、口にしないなら」


係長が名を言った。エナは唇だけ動かして、それを一度繰り返した。


男のほうへ何かを言うこともしなかった。ただ寝台の足もとに立って、男の横顔を見ていた。読み手の邪魔はしない、と約束していた。


しばらくして、エナはレトのところへ戻ってきた。


「お母さんが読んでくれたとき、私、答えたよ。かいてないって。……でも、お母さんは私を見てなかった。帳面を見てた」


「……ああ」


「あの人、答えないね」


エナは男のほうを見なかった。


「答えても届かないって、思ってるのかな」


レトは答えなかった。


*


病棟のいちばん端、廊下に近い寝台のそばに、ハスケルがいた。


前掛けをしたまま、椅子に座っていた。寝台に女の子が上半身を起こしていた。エナと同じくらいの年に見えた。髪を短く切っていて、膝の上に分解した何かの部品を並べていた。


「だから三番の釜の安全弁は、ばねがへたってるんだって。音で分かる。しゅうっていう音が先月より半拍早い」


女の子は早口だった。


「半拍」


「半拍。数えた」


「寝てる者が釜の音を数えるな」


「寝てるだけで暇なんだもん。……あ」


女の子がこちらを見た。レトを見て、エナを見て、ヴェルデリカを見た。


「ハスケルさんの、新しいお客さん? 荷揚げ機の人?」


「……どうして知ってる」


「ハスケルさんが言ってた。爪の受け方がいい、田舎の職人がいたって。ハスケルさんがそういうこと言うの、珍しいの」


「ネッタ」


ハスケルが低く言った。


「余計なことを喋るな」


「喋るのが仕事だって、係長が言ったよ。喋ってれば、消えないって」


ネッタは笑った。


レトはネッタの手を見た。膝の上の部品を摘まんでいる指を。


指の先がほんの少しだけ淡かった。さっきの男ほどではなかった。けれど、部品の真鍮の色が指の縁から、うっすら透けていた。


ハスケルもその指を見ていた。


ハスケルは何も言わなかった。前掛けのポケットから自分の帳面を出して開いた。帳面の頁は角ばった字で埋まっていた。


寝台の横の台にも、病棟の帳面が一冊置いてあった。ほかの寝台の帳面よりずっと薄かった。ハスケルはそちらには手を伸ばさなかった。


「三番の安全弁の話はもう聞いた。……昨日の夜は何を食った」


「芋。また芋。それとハスケルさん、昨日ここの管が鳴ったの知ってる? 夜中に、こん、こんって二回」


「知らん。書いておく」


ハスケルは帳面に書いた。


レトはその場を離れた。読み手の邪魔はしない。


廊下に出ると、係長が横に並んだ。


「あの子の読み手は、あの人一人です。あの子のことは、あの人か、あの子に聞いてください。私から言えるのは、読み手のことだけです。……あの人は毎朝来て、毎晩来る。機関の仕事のあいだに。あの人の帳面は、あの人のポケットの中です。病棟の帳面には、ほとんど何も書いてない」


「二人目は」


「探しています。今も。……あの子は、あの人がいるときは喋る。機関の話なら、ほかの者ともする。でも、暮らしのことを聞かれると、黙ってしまう。無理には聞けません」


係長は廊下の窓から、渡り廊下の向こうの釜の煙突を見た。


「あの人が、一日来られなかったら。……だから、毎朝、帳場で判を押していく。今日も来た、と。誰かが見て、来ていなければ、気づくように」


レトは初めて帳場の前を通った朝を思い出した。薄い帳簿。一日も欠けずに並んだ朱の判。判の横の、角ばった書きこみ。よく喋る。今朝も、喋る。


一日、忘れると危ない子がいる。


*


閲覧室は病棟とは別の建物の、三階にあった。


受付の次の日から、ヴェルデリカは毎日そこへ通っていた。病棟の返事を待っていたあいだもだった。レトとエナとイルザも、補助の者として一緒に入った。ピムは閲覧室の隅の長椅子で、自分の帳面に何か描いていた。機関を見せてもらってからは、ハスケルに借りた機関の図を写していた。


集計の表は年ごとに一冊ずつ綴じてあった。


一冊を開くと、地域の名が縦に並び、その横に月ごとの欠落の件数が並んでいた。人の数、物の数、照合中の数。月報と同じ書式だった。


「この月は、届けが着いた月ですか。欠けた月ですか」


イルザが係の者に聞いた。


「欠けた月で綴じてあります。表紙の裏にそう書いてあります。ただ、届けが遅れて、いつ欠けたか分からないものは、照合中の欄に回っています。古い綴りほど、多い」


「照合中は、別に数える」


ヴェルデリカが言った。


「百年分、ある」


ヴェルデリカが棚を見上げた。


「正確には、百と、少し」


係の者が言った。


「いちばん古い綴りは、記録庫ができる前のものです。町の役場が持っていた届けを、あとから集めて綴じ直した。書式も地域の名も、今とは違います」


綴りの見方を覚えるのに二日かかった。三日目に、ヴェルデリカは鞄から紙の束を出した。


イルザが塔の受入所で写した帳簿の頁だった。回収の日付と、管の名と、管ごとの順。東三、七から四へ。北一、二から六へ。西五、十一から三へ。祖父の茶色い字で書き足された順番。それから、日記の写し。北方第三から、また欠けありとの報。回収は先月、済んでいる。


「今の地域の名と昔の管の名を、合わせないといかん。管がどこの地方から延びていたのか。それが分からんと、並べられん」


レトはいちばん古い綴りを棚から下ろした。


重かった。表紙の革がひび割れていた。


開くと、紙が黄ばんでいた。字は今の字と少し形が違った。地域の名の欄が、今の綴りよりずっと少なかった。


レトは地域の名を目で追った。


知らない名ばかりだった。今の地図にない名。今の地図にあるけれど、字の違う名。


指が、止まった。


北方第三区。


レトはヴェルデリカの紙の束を見た。日記の写し。北方第三から、また欠けありとの報。


「先生」


ヴェルデリカが顔を上げた。


レトは綴りをヴェルデリカの前に置いた。北方第三区の行を指で押さえた。


ヴェルデリカは長いあいだ、その行を見ていた。


「名が似ているだけかもしれん。管の名と、役場の区の名だ。同じ土地かどうかは、まだ分からん。……だが、見る値打ちはある」


行の横に月ごとの件数が並んでいた。


最初の何か月かは零だった。零、零、一、零、零。ぽつりぽつりと、一や二が混じっていた。


それから、ある月を境に数字が変わっていた。三。五。四。七。


「回収の日付は」


ヴェルデリカが言った。


イルザが紙の束をめくった。塔の帳簿の写しの、北方の欄。北方第三。回収、済。日付。


レトは綴りの月の欄を指でたどった。


イルザが読み上げた日付の月。その次の月から、数字が変わっていた。


レトは指を戻した。回収より前の月。零、零、一、零、零。


一。


「回収の前にも、ある。少ないけど。一とか、二とか。……回収の前から、欠けてる」


ヴェルデリカは何も言わなかった。


綴りのほかの行を見た。北方第一区。北方第二区。西方第五区。指でたどるたびに、ヴェルデリカの指は少し震えていた。


「並べられるかもしれん。管の行き先と昔の区の名を、一つずつ合わせていけば。回収の日付と、欠けの数と。……全部の地方を。百年分」


レトは綴りを持ち直した。黄ばんだ紙の、零と一の並びを見た。


欠ける前と、欠けた後。エナのことも、この並びのどこかで分かるかもしれない。分からないかもしれない。


閲覧室の窓の外で、釜の煙突が白い蒸気を吐いていた。

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