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【書き直します】最後の魔法使い ~世界に忘れられる妹を救うために~  作者: 白川 透


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目覚める塔

コンラディンが塔に着いたのは、調べはじめて三日目の昼だった。


南の入口の外の天幕から、塔の根元の踏み跡を回って、正面の岩場に現れた。ユリアンが杖をついて、その後ろにいた。右の膝にはまだ布が厚く巻いてあった。


コンラディンはまず、レトに頭を下げた。


「ユリアンを助けてくれたと聞いた。ありがとう」


それから、ヴェルデリカに頭を下げた。ヴェルデリカは杖の上で両手を重ねたまま、うなずきもしなかった。


「調べるのは、玄関の間と、受入所と、芯の広間だけだ。左の通路は崩れた。右の通路は割れている。どちらも使わん。あんたたちがどこを調べるかは、あんたたちが決めればいい。だが、私たちのいるところで、私たちの決めたことを破るな」


「破りません。扉は閉めない。鍵はかけない。笛は三度で出ろ、一度で手を貸せ。ユリアンから聞いています」


*


それから、日が過ぎた。


三日おきに、クルムから村の者が荷を運んできた。食料と毛布と、ピムの両親からの手紙。ピムはそのたびに返事を書いた。イルザがハインリクに宛てた手紙も、最初の荷と一緒に山を下りていった。返事はまだ来なかった。


調べる場所は決めたとおり、三つだけだった。


ヴェルデリカは受入所で帳簿を読み続けた。レトはその前の床で図を写し、必要なときだけ、エナに言ってから芯の広間へ行った。エナはそのたびに、広間の入口の石の台へ移った。


再興派は芯の広間を調べた。


広間の東の壁ぎわに、小さな部屋の口があった。中は狭く、壁に棚が作りつけてあり、その棚に真鍮の器械がいくつも並んでいた。三枚の円盤を重ねた、ヴェルデリカの研究室のものと同じ形の観測器もあった。扉の上の石に、観測小室、と彫ってあった。


五日目に、ユリアンが広間の西の壁ぎわの低い扉を開けて、皆に見せた。


「退避室です。揺れが来たときに、ここで働いていた人たちが逃げこんだ部屋らしい。壁も天井も厚い」


中には石の腰掛けが壁に沿って作りつけてあり、窓はなかった。扉は厚い石の枠に嵌まった、鉄で補強した木の扉で、外側に閂の受けが二つ、左右についていた。閂の横木は扉の脇の壁に立てかけてあった。


「扉は閉めない。ここも」


レトが言うと、ユリアンはうなずいた。


*


観測器は、動かなかった。最初の何日かは。


十日目、レトが広間で管の継ぎ目を写していると、小室の中から、ユリアンの小さな声がした。


「……光った」


レトが小室の入口まで行くと、ユリアンは観測器を指さした。円盤はただの円盤だった。


「今、一度だけ。円盤の溝が」


ヴェルデリカが受入所から出てきて、小室を覗いた。


「私の研究室でも、一度だけ光った。台を直したあとにな」


ヴェルデリカはコンラディンに言った。


「この器械が何を測るものかは、第四十七号にある。欠けの前と後で、同じ欄の数字が変わる。……そういうものを測っていた器械だということまでは分かる。それ以上は、分からん」


コンラディンはヴェルデリカの話を帳面に書いた。


それから、塔は少しずつ目を覚ました。


レトにはそう見えた。


ある朝、芯の広間の縦穴の縁に嵌めこまれた金属の輪に触れると、指先にかすかな震えが伝わってきた。昨日までは、触れても何も感じなかった。


ある午後、小室の観測器で、円盤の溝に淡い光が蝋燭の火ほどの長さだけ灯って、消えた。研究室で一度だけ見た光と、同じだった。


ある夕方、広間の壁から突き出た管の一本に耳を当てると、遠くで水が流れるような、低い音がした。管の中に、水はないはずだった。


光った、と聞けば、レトも受入所から出ていって覗いた。震えた、と聞けば、手を当てた。そのたびに、再興派の誰かが帳面に何かを書いていた。


ある夕方、レトはヴェルデリカに聞いた。


「先生。あの器械が動くようになったら、エナの体のことも、測れるようになりますか。今の計器より、細かく」


「かもしれん。欠けの前と後を測る器械だ。妹さんは、欠けかけて、持ちこたえた。……何かは分かるかもしれん。ただ、動くようになったら、の話だ」


エナが一度だけ言った。


「兄さんが広間にいるとき、あの人たち、よく帳面を書いてるね」


「器械が光るからだろ」


「……そうかな」


エナはそれ以上言わなかった。


*


十六日目の夕方、レトは受入所の前の床で綴りの図を写していた。


あと三枚で綴りが終わるところだった。明日の朝のうちに写し終えて、昼からは広間の東の壁の管の継ぎ目を確かめる。ヴェルデリカとそう決めてあった。


「兄さん」


扉の外の壁ぎわから、エナが呼んだ。両手を膝の上で握っていた。


「指が冷たい。……耳の奥で、また声がする」


レトは筆を置いた。


前の波は、塔に入る前の晩だった。あれから半月と少ししか経っていなかった。


「今日はここまでにします」


受入所の中へ言うと、ヴェルデリカは帳簿から顔を上げて、エナを見た。


「下りろ。暗くなる前に」


レトは写しかけの一枚を綴りに挟んで、イルザのところへ行った。


「綴りの残り、三枚。明日、写してもらえるか。線の太さと、管の向きの印だけは元のとおりに」


「写します。読めないところは空けておきます」


「それと、コンラディンさんたちには、理由は言わないでくれ。俺が来ないとだけ」


イルザは少し間を置いて、うなずいた。


正面の岩場は、エナが自分の足で下りた。まだ下りられた。


岩の庇の下で、エナは毛布にくるまって、火から少し離れた奥の壁にもたれた。レトはその横に座った。手を伸ばせば届くところ。触っていなくてもいいことは、もう分かっていた。


日が落ちてしばらくすると、エナの指の先が淡くなった。爪の向こうに毛布の織り目が薄く透けた。肩の線はくっきりしていた。指の付け根から先だけだった。


エナは眠らなかった。ときどき耳に手を当てた。


「遠い。何言ってるか分からない。……前と同じ」


案内の男が岩陰の入口で火の番を引き受けた。ヴェルデリカは火の向こうで横になったまま、ときどき目を開けてこちらを見た。ピムは何度か起きてきて、エナの毛布の端を直した。イルザは一度だけ、エナに聞かれて刻を答えた。


夜半を少し過ぎたころ、エナの指の先に色が戻った。


エナは帳面を裏返して開いた。裏の頁には、もう四つ、同じ形の書きこみが並んでいた。日付。始まりの刻。終わりの刻。聞こえたもの。翌日。


エナは五つ目を書いた。翌日、の横は空けておいた。


*


十七日目の朝、エナは岩陰の外へ出て、正面の岩場を見上げた。


しばらくそうしていて、戻ってきた。


「午前は上がれない。昼まで休む」


エナは帳面を裏返して、空けておいたところに書いた。朝、岩場、無理。


ヴェルデリカとイルザが上がっていった。イルザは写しの紙と筆を抱えていた。ピムは岩陰に残って、エナに字の続きを教わると言った。


レトは案内の男の鍋の取っ手の、緩んだ鋲を打ち直した。それから、することがなくなった。


岩場の上に、塔が丸く立っていた。あの中で今、イルザが自分の写すはずだった線を写している。


昼過ぎに、エナが立ち上がった。岩場の段を一段ずつ、休みながら上がった。レトは後ろについた。


玄関の間の壁ぎわで、ユリアンが杖を立てかけて、膝の布を巻き直していた。布を外した右の膝は、左より一回り太かった。膝の下の、崩落の日に紫だった色が、黄色っぽく濁っていた。


「引かないんです。冷やしてはいるんですが」


ユリアンは布を巻く手を止めずに言った。


受入所の前の床に、イルザの写した紙が二枚、石を載せて置いてあった。読めない字のところは四角く空けてあった。三枚目は、レトが自分で写した。広間の継ぎ目は次の日に回した。


*


十九日目の朝、コンラディンが受入所の扉の前に来た。


ユリアンが後ろにいた。杖はまだ手放していなかった。


「お話があります」


コンラディンは言った。ヴェルデリカにではなく、レトに。


「先生も、一緒に聞いてください」


受入所の前の床に、コンラディンは帳面を一冊広げた。再興派の帳面だった。日付と時刻と、印が並んでいた。印の横に、短い書きこみ。


観測器、光る。レト、広間。

縦穴の輪、震え。レト、広間。

管、音。レト、広間の東壁。

観測器、反応なし。レト、受入所。


レトは帳面を見た。


自分の名が何十も並んでいた。器械が光ったとき、震えたとき、自分がどこにいたか。誰かがずっと、それを書いていた。


「十九日分です。最初の二日は、ユリアンたちの記録です。器械が動いたとき、あなたは、ほとんど必ず広間にいた。あなたが受入所にいるとき、器械は、ほとんど動かなかった」


「ほとんど、か」


ヴェルデリカが言った。


「ほとんど、です。すべてではない」


コンラディンは隠さずに言った。


「ですが、ユリアンの報告もあります。崩落の日、隙間の中で、ユリアンの持っていた計器が鳴った。あなたが梁の石をどけていたときに。……ユリアンはそう書いて寄越しました」


レトはユリアンを見た。


ユリアンはレトを見なかった。床の帳面を見ていた。


崩落の日の夕方。膝の上で何かを書いて、仲間に渡した紙。先生への知らせかな、とピムは言った。崩れたこと。ユリアンさんが怪我したこと。


たぶん、とレトは答えた。


「あなたの近くで、器械が動く」


コンラディンは言った。


「私はそう考えています。考えているだけです。証明はまだない。……ですが、もしそうなら、力の出どころが、あなただということになる」


受入所の前が、静かになった。


「妹さんも、いつも一緒に動いていた」


ヴェルデリカが言った。


「この子が広間へ行けば、妹さんも入口の台へ移る。器械のそばにいたのが兄なのか妹なのか、二人ともなのか。それすら分けられていない。十九日、誰が立っていたかを数えただけで、出どころなどと言うな」


「ですから、正式にお願いしたいのです」


コンラディンはレトに向き直った。


「協力していただけませんか。あなたが器械の前に立ったとき、何が起きるのか。それを測らせてほしい。それから」


コンラディンは扉の外のエナを見た。


「妹さんのことも。妹さんを、あの器械の前に座らせて、測らせてほしい。妹さんの何が、どこにつながっているのか。それが分かれば、治し方も」


「駄目です」


自分でも驚くほど、すぐに出た声だった。言ってから、気づいた。エナに聞く前に、答えていた。


レトはエナを見た。


「……エナは、どうしたい」


エナは扉の外の壁ぎわで、帳面を膝に抱えていた。


「私は、覚えてるかどうかを聞いたよね。なかったことにしたら、私は今のことを覚えてるのかって。……答えてもらってない」


コンラディンは黙った。


「答えてもらうまで、あの器械の前には座らない」


コンラディンはしばらくエナを見ていた。それから、ゆっくりとうなずいた。


「分かりました。では、あなたのことだけ」


レトは言った。


「俺のことなら考えます。ただ、条件があります」


レトはヴェルデリカを見た。ヴェルデリカがうなずいた。


「先生とイルザが立ち会うこと。やる前に、広間の天井と壁を先生と俺で全部確かめること。そのあいだ、エナは塔の外にいること」


「天井と壁は、どのくらいかかる」


「十日」


ヴェルデリカが言った。


「急ぐ理由はない。百年待った器械だ。あと十日待っても、どうということはない」


コンラディンはすぐには答えなかった。


「輪の震えが、日ごとに強くなっています」


やがて、コンラディンは言った。


「私たちの記録では、十日前の倍です。今が、いちばん動きやすいときかもしれない。十日後には、止まっているかもしれない」


「かもしれん、だな」


「かもしれない、です」


コンラディンは帳面を閉じた。


「考えさせてください」


*


二十一日目の朝、ヴェルデリカが熱を出した。


顔が赤く、杖をついても足がふらついた。野営の岩陰で横になったまま、起き上がれなかった。イルザが額に手を当て、首の下を触り、時刻と熱の具合を帳面に書いた。昨夜から、三度目の書きこみだった。


その日は、クルムから荷の来る日だった。荷を運んできたのは、ブランの家の隣の、まだ十二、三の男の子だった。


「村の薬師のところへ、私が行きます。熱がいつ上がって、いつ下がったか、どこを痛がっているか。私が書いたものを持って、私が話さないと、薬を選んでもらえない。この子には、頼めない」


イルザは案内の男を見た。


「先生のそばにいてください。ピムも、ここに」


「わしが見とる」


イルザはレトを見た。


「戻るのは、明日の昼です。……今日は、塔へ行かないでください。先生がいないところで、あの人たちといるのは」


「行かない。今日は、ここにいる」


イルザは荷を運んできた男の子と一緒に山を下りていった。


*


昼過ぎ、ユリアンが野営の岩陰に来た。杖をついて、正面の岩場から下りてきた。


「コンラディン先生がレトくんを呼んでいる」


ユリアンの声は低かった。


「広間の縦穴の輪が、今朝から強く震えている。輪を留めている金具が一つ、浮いてきた。……輪が外れたら、縦穴に落ちるかもしれない。君に見てほしい、と」


「今日は行かないって、イルザと約束した。先生は寝てる。コンラディンさんたちのところへは、行かない」


ユリアンはうなずいた。


「そう伝える」


ユリアンは杖をついて、正面の岩場のほうへ戻りかけた。


レトはその背中を見ていた。


輪が外れたら、縦穴に落ちる。百年、あの縁に嵌まっていた輪が。その下の縦穴が、どこまで深いのかも分からない。輪が落ちたら、縦穴の縁の石も一緒に崩れるかもしれない。


見るだけなら。


金具が浮いているかどうか、見るだけなら。直さなくていい。見て、何が起きているのか分かれば、明日、先生とイルザに話せる。


「ユリアンさん」


レトは呼び止めた。


「見るだけ、行く。直さない。浮いてるかどうか見て、すぐ戻る」


ユリアンは振り返った。何か言いかけた。言わなかった。うなずいた。


レトは案内の男のところへ行った。


「広間の縦穴の輪を見てくる。見るだけ。半刻で戻る。戻らなかったら、笛を吹く。一度だったら、手を貸してくれって意味です」


案内の男は眉を寄せた。


「さっき、行かんと言うとったろう」


「見るだけです」


男はしばらくレトを見ていたが、やがてうなずいた。


それから、レトはエナのところへ行った。


「広間の輪を見るだけ見てくる。半刻。エナは入口の台」


エナはレトを見た。


「さっき、イルザさんに行かないって言ったのに」


「……見るだけだ」


エナは少し考えた。それから、立ち上がった。


「行く。入口の台にいる。台から動かない」


*


縦穴の輪は、確かに震えていた。


手を当てると、指先に細かい震えが伝わってきた。輪を縦穴の縁に留めている金具の一つが、浮いていた。


輪のすぐ横に、小室の観測器が出してあった。三枚の円盤の器械が木の台に載せられて、縦穴の縁に据えてあった。


コンラディンが、広間の真ん中に立っていた。再興派の者たちが、壁ぎわに並んでいた。ユリアンは小室の入口の横に、杖をついて立っていた。


「来てくれて、ありがとう」


コンラディンは言った。


「輪が震えると、縦穴の底から、ときどき強い揺れが上がってくる。今朝、一度あった。壁の上のほうから、粉が落ちた」


コンラディンは広間の入口を見た。エナが石の台に座っていた。


「妹さんは、入口の台より、退避室のほうがいいのではないかな」


レトは入口の台を見た。それから、天井を見た。


「揺れが来るなら、外へ出ます。二人とも」


「玄関の間を抜けるあいだに揺れが来たら、そのほうが危ない。玄関の間の梁は、両端が載っているだけだと、あなたが言った。右の通路の割れも、玄関の間の天井につながっている」


コンラディンは西の壁ぎわの低い扉を手で示した。


「退避室はそのための部屋だ。壁も天井も厚い。五日目に、ユリアンが皆に見せた。……扉は開けておく。揺れが収まるまで、少しのあいだだけ」


レトは退避室の扉を見た。


厚い石の枠。鉄で補強した木の扉。扉の脇の壁に、閂の横木が立てかけてあった。五日目と同じだった。


輪のところから、二十歩ほど。


レトはエナのところへ行った。


「揺れが来るかもしれないって。あそこの部屋のほうが、上から物が落ちてこない。扉は開けておく」


エナは退避室の扉を見た。


「扉、閉めない?」


「閉めない。約束してる」


エナは立ち上がった。


ユリアンが小室の入口の横で杖を握り直したのが見えた。


エナは退避室へ入った。石の腰掛けに座って、手首の鈴を見せた。


「ここにいる」


「ああ」


レトは縦穴の輪のところへ戻った。


膝をついて、浮いた金具を見た。


後ろで、重い音がした。


木と石のこすれる音。それから、鉄の横木が受けに落ちる音。


レトは振り返った。


退避室の扉が、閉まっていた。扉の前を、閂の横木が端から端まで渡っていた。


扉の前に、再興派の男が二人、立っていた。背の高い男と、髭の男だった。


「先生、それは」


ユリアンの声だった。杖をついて、一歩前へ出ていた。顔が白かった。


「下がっていなさい、ユリアン」


コンラディンは振り向かずに言った。


レトは立ち上がった。


「扉を閉めないって、約束した」


「した。破ったのは、私だ。それは否定しない」


レトは扉へ向かって踏み出した。


背の高い男と髭の男が、扉の前で腕を広げた。レトは男の腕を掴んだ。男はびくともしなかった。


*


壁の向こうから、音がした。


ちりん、ちりん、ちりん。


厚い石を通して、くぐもって聞こえた。少し間を置いて、もう一度。ちりん、ちりん、ちりん。


三回ずつ。


エナの合図だった。


「エナ」


レトは叫んだ。


「エナ、聞こえるか」


ちりん、ちりん、ちりん。


返事の代わりに、鈴が鳴った。


音は遠くはなかった。けれど、音が遠くないことは、エナの肩の線がくっきりしているということではなかった。扉の向こうは見えなかった。


レトは広間の入口を見た。


野営の岩陰まで走れば、案内の男がいる。けれど、そこまで行けば、エナからは今日一度も試していないほど離れる。崩落の日と同じだった。扉の向こうで、エナの肩がどうなっていくのか、確かめることもできないまま。


レトは懐の呼子を掴んだ。


口に当てて、吹いた。


一度。


鋭い音が、広間の丸い壁に跳ね返った。


少し間を置いて、もう一度。一度だけ。


野営の岩陰まで届いたのかどうか、レトには分からなかった。


「笛が聞こえても、ここまで来るには時間がかかる」


コンラディンが言った。責めるようではなかった。ただ、そう言った。


「そのあいだに、済む。……一度だけでいい」


コンラディンは縦穴の縁に据えた観測器を手で示した。


「装置を、一度だけ動かしてくれ。あなたが、あの器械に手を添えてくれればいい。……妹さんには、何もしていない。器械の前にも座らせていない。部屋で、休んでいるだけだ」


「エナは、断った」


「だから、何もしていない」


コンラディンの声は穏やかだった。研究室で弟の話をしたときと、同じ声だった。


「済んだら、すぐに扉を開ける。約束する」


レトはその声を聞いていた。


十九日目に、この人は、ほとんど、と言った。すべてではない、と言った。今は、あなたが手を添えれば、と言う。


約束する、と言った人は、さっき、別の約束を破った。


壁の向こうで、鈴が鳴った。


ちりん、ちりん、ちりん。

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